第九十九話『道徳の境界』
異常事態の前触れを感じた背中に、冷や汗が流れる。
「今の銃声は一体?」
誰一人微動だにしない空間に僕の声が響く。
「え、粛清よ?」
姉の口から聞き慣れない単語が、まるで当たり前かのように発せられた。
「粛正? 一体何の?」
物騒な響きに恐怖を感じるが、その恐れを見過ごす方が、今の僕には怖い事のように思えた。
「献金出来なくなった信者は殺す。シュウが決めたルールでしょ?」
「僕がそんなルールを……」
「そうよ。第三の救世主となったシュウが自ら決めたルール」
「僕が救世主?」
「えぇ、今や白蛇教を知らない人間などほとんどいないもの。その教団の最高位に座すのが貴方なのだから」
「そうか……」
姉の言葉から現状を整理するとどうやら、今の僕は宗教団体の代表なのか、あるいは信仰対象になっているようだ。その上で僕はとんでもない圧政を敷いているようだ。しかし、僕にその記憶が無いということは、おそらく、今の状況から考えてもナカシュの言っていた通り、やつが僕の意識の無い数年の間に身体を操って、こんな状況を生み出したのだと考えるのが妥当か。
「ごめん、みんな、一旦この部屋から出て行ってもらえるかな。いや、あなただけは残って」
真っ先に部屋を出ようとしたナカシュを制し、家族のみんなには部屋の外に出てもらった。
暫しの沈黙の後に、僕はゆっくりと口を開いた。
「ナカシュ、ちゃんと説明してもらおうか? お前が僕の身体で何をしてきたのか」
「ケケッ、そうこわい顔をしなさんな。俺様はお前さんの願いを叶える為に奮闘してきたんだぜ?」
ナカシュが操る中年男性の顔が歪む。
「他人を殺してまで金を搾り取る事が僕の願いに繋がると?」
「ケケッ、お前さんがそれを言うか? 己の八つ当たりで散々人を殺してきたお前様がよ」
「それは……」
「なんだ? 異世界人は殺しても良くて? 地球人は殺しちゃいけねーってか?」
返す言葉もない。
確かに僕は心の底で、線を引いていたのかも知れない。
異世界に住む人間達にも家族や生活はあったはずなのに……。夢の中の住人として見ていたのかも知れない。
あの世界での僕の悪行と、この世界でナカシュがしてきたであろう行いにどれだけの差があるのだろうか?
「だったら自分で確かめてみるか?」
ナカシュはそう言って僕の頭の上に左手を置いた。
すると僕の脳内に瞬時に膨大な情報が流れ込む。
視界がぐにゃりと歪み天地がどちらかわからなくなる。
船酔いやアルコールの過剰摂取とも違う独特の倦怠感が鼻から頭頂部を突き抜けるように刺す。
五秒程続いた嘔吐感が突如止み、鮮明な記憶が蘇る。




