第九十一話『絶滅危惧種』
白銀の世界。そんな綺麗な言葉で表現するのは不適切であろう。地上からありとあらゆる熱が奪われ、生物が絶滅した世界。
いや、絶滅という言葉もまた不適切か。
怨嗟、怨恨、遺恨、怨念、宿怨、宿根。
頭の中を圧迫する様々な声は、自責する自らの声なのか、はたまた、僕が太陽の女神を殺したことにより、間接的に滅んだ全ての生物の声なのか。
激情的な恨みの感情や、ねっとりとした怨毒の声が脳内を絶え間なく圧迫していた。
そんな僕の脳内の喧騒とは対照的に世界からはあらゆる音が消えていた。
失われたのは音だけではない。地表からはあらゆる熱が奪われ、視界一面に広がるのは、厚い氷でおおわれた広大な原野。
文明は凍てつき、氷野と化した孤独の世界。
奇しくも僕がこの世界最期の生物となった。
アダムもきっとこんな気分だったのだろうか?
いや、彼と僕では状況が真逆か。神が創造した最初の人間が彼。それに比べて僕は最後の人間なのだから。
これからはじまる物語と、これから終わる物語。
地上から太陽が消え、僕は百回目の死を迎える。
* * *
ここを最初に訪れた時は神秘的な空間だと感じた。しかし、慣れてしまえば、無味無臭、無色透明、何一つ刺激の無いつまらない世界だ。
「おいおい、随分な物言いだね」
朧げな人の形とでも呼べば良いのか、空間に揺蕩う靄のような存在が僕へと語りかけた。
「実際に口にした言葉の責任ならとるが、人の心を勝手に読んでおいて文句をつけないでくれ」
実体がない癖に当たり屋とは手にを得ない。
「おいおい、君がいつ、口にした言葉の責任を果たしたって?」
「問答ならもう勘弁してくれ。はぁ、これで百回目だぞ。よく飽きないな?」
「当たり前だ。君にとっては百回目でも、私にとっては億を超える。もはや私は飽きることに飽きた」
「なんだ? 神様気取りか? なら僕をこの負の連鎖から救ってくれよ」
厳寒の世界の中で、凍死を永遠に繰り返すのだ。命がいくつあっても足りないという言葉が皮肉に感じる。無限の命を失い続ける苦しみに比べれば、たった一度の死に、なんの恐怖があるというのか?
この負の連鎖の中で僕は、眼前の神様もどきと何度も顔を合わせている。いや、顔など一度も拝んではいないが。
「おいおい、君が一番知っているじゃないか。神は人を助けない。まぁ、私は神なんて大層なものじゃないけれどね」
「はぁ……。これ以上の会話は無駄だ。そもそも何故、抗いようの無い凍死が原因で蘇生される?」
自殺ではないはずだ。
「いいや。君の死因は紛れもない自殺だよ。君が死に続けている理由を考えてみなよ」
目の前の存在に顔があれば、さぞ意地の悪い表情を浮かべていることだろう。
「僕の死因? 地上から熱が奪われ、あらゆるものが凍結しているからだ。純粋なる凍死だろ?」
「何を一人前に被害者ヅラをしている。何故、世界から熱が消えた?」
「太陽が消えたから」
「太陽が消えたのはなぜだ?」
「太陽の女神が死んだから……」
「死んだ? 女神が勝手に死んだのかい?」
「僕が殺した……」
「そうさ。単純明快。君が君自身の手で世界から太陽を消し去り、死んだ。ロープで首を吊ったのか、太陽を消し去ったのかの違いでしかない」
「そんなの詭弁だ。僕は女神が死ねば太陽が消滅するなど聞いていなかった。ならばあの場面での僕の選択は自らの死を望んで行ったものではない。生きることを放棄したわけではない!」
僕は重大な過失から目を背ける為に激昂した。
「君の感情面など知らないよ。いつだってね、ただただそこに結果があるだけさ。それに君は女神本人から忠告を受けていたはずだろ?」
「忠告?」
「俺が消えれば、この土地は本来の姿に戻る。お前ら全員死ぬぜ? ってね」
わざとらしく太陽の女神の口調を真似ながら神もどきはそう言った。
「あんなもの、戦闘中の嘘だと思うだろ……」
「はは、嘘をつけ。嘘を見抜ける君が、この世界で嘘に騙されることなどないだろ? 君は平気で嘘をつくようになったね。君がもっとも嫌悪した嘘を」
「違う……」
「違わないさ。いやぁ、見事だったよ。嘘一つで女神を殺して見せたのだから」
「違う……」
「いいや、違わない。君は日の教団の牢獄から脱獄する際に、脱獄囚全員に嘘を刻んだ。しかも、圧倒的な武力によって強引にね。死をちらつかせながら指示をした。それは君がもっとも嫌悪したやり口だろ?」
「違う……」
「今宵この教団に初めての夜が来る。日付けが変わるその瞬間、太陽が沈むのだ。その時太陽の女神は死ぬ。君はその言葉を脱獄囚全員の背に刻み込み、方々へと逃走させた。街中を走り回った彼らを見た信徒達の脳内にもその言葉が刻み込まれたはずだ。そして君は使った。君が最初に人を殺し、奪い取った、認識阻害のレプリカを」
「黙れ」
「実に鮮やかな作戦だったね。日の教団に住まう信徒達の意識から太陽を隠したわけだ。まぁ、流石にあの規模の発動だ。数々の命を奪って肥えた君といえど、十秒ほどが限界だっただろうね。しかし、その十秒で十分だったわけだ。日の教団の信仰の対象は太陽。信徒達の脳内に太陽が消えるイメージをあらかじめ植え付けた状態で認識阻害のレプリカを使う。効果覿面とはまさにこのことだね。太陽が消えたと思い込んだ信徒達の信仰力は一瞬といえど激減する。集信値は凄まじい勢いで失われた。その一瞬をつき、女神を殺した。隠しただけの太陽を本当に消してしまったわけだ。君は嘘を真実に塗り替えたんだよ。いいや、塗りつぶしたのさ」
「正解でもあったと言うのか……」
僕の口からこぼれたのはそんな縋るような惨めな言葉だった。
「ついた嘘には責任をとり続けろよ」
「この生物の消えた世界で、どうしろと」
「いいや、全てが消えたわけではない」
「まだ、僕以外にも生物がいるのか?」
摩耗した意識からか、いつの間にか僕は、ただ盲目に教えを乞う醜い人間へと堕ちていた。
「この世界は三つの階層に分断されている。君が滅ぼしたのは、その一つの地上だけに過ぎない。残り二つは天上と地獄。地上を滅ぼした罪人らしく、君はまず地獄へと向かうと良い」
「そうか、その地獄とやらにはどうすれば辿り着ける?」
「やけに素直だね? まるで人が変わったようだ」
「もう考えるのが嫌になってね」
地獄で罪滅ぼしをする気など毛頭ない。
ただ生物を見たかった。
ただ動くものを見たかった。
それは、もっとも原始的な欲求の一つなのかも知れない。
「三千キロ歩け。向かうべき道は君が死ぬ度に私が案内してあげよう。安心してくれ。十秒に一度新品へと生まれ変わる君の身体がスタミナ切れを起こすことはない。五十日程歩き続ければ、地獄の入り口へと辿り着く。時間にして千二百時間。秒にして、四百三十二万秒。十秒に一度死ぬ君はつまり、地獄へと辿り着く前に、四十三万二千回死ぬ。君が奪った命の数に比べれば随分と軽い十字架だろ?」
「あぁ、その通りだ……」
仮に僕の死ぬ回数が、奪った命の数を超えたとて、僕の罪が清算されることは無い。
「さぁ、自らの命を燃やし、歩き切れ。その先に見える景色がこの退屈な世界の結末を変えてくれることを私も祈っている」
祈る、か……。
その言葉に僅かな引っ掛かりを感じながらも、僕の意識は長い長い死の旅路につく。




