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第九話『シスター』

 性格というのは勿論、部屋の内装へも影響を及ぼす。僕の部屋が何もない空虚な空間であることはさておき、この部屋は少々、というか異常なまでに整理されていた。


 壁際にある本棚は著者名ごとに並べられており、ひょっとすると色彩のバランスすら考えられた配列なのかも知れない。床には塵一つなく、テーブルの上にはいくつかの資料と、数本の万年筆が寸分違わずいつもの位置にあった。


 そんな息の詰まりそうな部屋で僕は、淡々と仕事の話をする。


「先日の調査にて、メルクリウス教の有力な情報を手に入れました」


 僕はそう言って、嘘の情報が詰まった、一枚の資料を手渡す。


 その情報を無言で吟味しながら、あごに手をやり思案するアッシェ。


「なるほど、信徒の増加も気になるが、集信値が我らの教団よりも二割近く多いな……」


 アッシェのこの言葉と資料に書かれた情報を加味し、マールス教の集信値を割り出す。


「シュウよ、お前に限って、騙されるということは無いだろうが、この情報は確かなものなのだろうな?」


「はい」


 烙印の効果が弱まっているおかげで、僕の背信行為がバレることはない。

 だが、そんなことよりも、自らの口で嘘を吐かなければならない現状に、少なくない苦痛を感じる。


「ふむ、烙印に反応なしか。ならばこの情報をもとに、戦争を視野に入れた準備を行う必要があるな」


 戦争という不吉な二文字を語るには、この男の声音はいささか冷静過ぎる。その機械的な口調には温度が無い。


「僕はどうすれば?」


「引き継ぎ、メルクリウス教のカジノや周辺施設について調査を続けろ」


「はい……」


 僕はその命令にただ頷き、この息苦しい部屋を出るため、部屋の主に背を向ける。


「待て、シュウよ」


 張り詰めたその声に、思わず冷や汗が流れる。


「はい」


 必要最低限の言葉と動作で後ろを振り返る。無言の時間が、僕に緊張を与える……。


「今日は七日目の聖日だ、マールス様への祈りを忘れるなよ」


「はい、大丈夫です」


 そう返事をして、ようやく僕は部屋を出た。



 * * *


 静謐な空気の中、皆が祈りを捧げている。この場所が教会ということを考えれば当たり前の光景なのだが、しかし、何度見ても慣れることのない光景が僕の視界に広がっている。

 その異様さを生み出している原因は、教会の中央に据えられた、一本の巨大な剣である。皆がそれを囲み、剣に向かって祈りを捧げているのだ。


 僕の中で教会とは、平和を象徴するようなイメージと紐付けされていたが、そこに争いの象徴ともいえる剣を持ち出すとは、コントラストが効きすぎていて、僕の価値観が追いついていかないのだ。


「おいおい、シュウよ、この宗教の神はマールスだぞ? 軍神がもたらす平和は争いによって勝ち取ったものだ。だから、こいつらにとってその剣は、十分に信仰の対象に成り得るのさ」


 腕に巻きついたナカシュが急に話し始めた。しかし、その声には、いつもの力強さと憎たらしさが欠けていた。


「どうしたのナカシュ、元気が無さそうだけれど?」


 僕は祈りを捧げているフリをしながら、静かにナカシュへと語りかける。いくら、円の外側にいるとはいえ、この状況では慎重にならざるをえない。


「あぁ、ちょっと教会とは相性が悪くてな」


 あのナカシュが憎まれ口の一つも叩かずに、ただ言葉を発するだけとは、流石の僕も心配になる。


「そういうことだから、しばらくお前さんの中に避難するぜ」


 その言葉の次の瞬間、ナカシュの体は急速に縮まり、僕の首筋をするりするりと這い登る。思わず驚いてあけた口の中へと、彼は当たり前のように入っていった。要するに僕は、ナカシュを丸呑みにしたわけである……。


「ゴホッ、ゴホッ」


 特に異物感は無かったのだが、蛇を丸呑みしてしまった恐怖から、思わず咳き込んでしまった僕を、一体誰が責められるのだろうか。


 咳があまりにも酷かったのか、それを見兼ねたシスターが僕の方へと近づいてきて、背中をゆっくりとさすってくれた。


「あ、ありがとうございます」


 僕は動揺を隠しながらも、なんとか喉を働かせる。


「いえいえ」


 そう言って優しく微笑む彼女の名は、モンシュ。皆からは、シスターモンシュと呼ばれている。全体的に緩やかな雰囲気を纏った、癒しの集合体とも呼べる人だ。修道服から微かに覗く銀色の髪と、顔の中心に嵌め込まれた大きなエメラルドグリーンの瞳がとても印象的である。そして忘れてはならない、彼女の最大の特徴はその豊かさにある。


 そもそも、豊かさとは、なんなのか。それは富であったり、ある時は、広い心であったり、はたまたある時は、知識であったり。


 この世には無数の豊かさが存在するが、その中でも彼女が持ち合わせている豊かさとは何か?


 それはきっと、富のように人の欲を満たし、広い心のように優しさを与え、知識のように人を賢者にするもの。


 そうつまり、彼女の持ち合わせている豊かなものとは……。


 ーーおっぱいである。


 いや、この言葉は少しばかり、品を欠いているのかも知れない。彼女はそう、乳房に恵まれているのだ。


「あ、あの大丈夫ですか!? 鼻から血が出てます!!」


 彼女のその言葉が僕の鼓膜を揺らした瞬間、僕は、自らの鼻から命の奔流が溢れでていることに気づいた。


「へ、あ、おぅ!?」


 この、言葉にならない言葉達が僕の動揺具合を明確に表していた。


「あのぅ、救急箱があるので、私の部屋に来てくれませんか?」


「ぜひ!!」


 僕はおそらく、この世界に来て初めて前向きな返事を発していた。


 命の奔流は留まるところを知らず、その勢いを加速させる。


 血を出し過ぎたのかも知れない。軽い立ちくらみがする。だがしかし、何故だろう。不思議と心は安らぎに満ちていた。


 膨らむ想像と薄れゆく意識、僕はその中でついに、明確な光を見た気がした……。

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