第八十八話『同じ穴の狢』
あちらこちらで戦闘音が鳴り響いていた。
それもそのはず。最初の囚人達が脱獄を始めて二十分近くが経過した。
様々な階層で解き放たれた囚人達が、更に他の囚人達の檻を破壊して回っているのだ。日の教団側も黙ってはいない。囚人達を鎮圧する為に赤髪の戦乙女達が駆り出されていた。彼女達は脱獄囚を見つけ次第、一方的な暴力を振るっている。
しかし、その中にも例外はあった。
そして僕はその例外の渦中にいた。
まったくの想定外。せっかくの作戦もあってないようなものだ。
本来であれば、混乱に乗じてこの監獄を抜け出すはずだったのだが、僕らは馬鹿正直に、ただ真っ直ぐに階段を駆け上がっていた。
神に反逆する大罪人達とは思えない程に堂々とした歩み。
シンプルな力の前では作戦など意味を為さないのかも知れない。
本来、圧倒的強者であるはずの赤髪の少女達が、ちぎっては捨てられ、ちぎっては捨てられる。
言葉のあやではない。
神の血を引く美しい少女達が、上半身と下半身を純粋な力だけで引きちぎられている。
灰色の髪をした半神は、その行為に微塵も疑問を抱いていない様子だ。彼からすれば彼女達は家族とも呼べる存在のはずだが。
「ドル坊、進路に死体を捨てるでない」
「油断すんなよ、ローク婆さん。そいつはまだ生きてるぞ」
サンドルさんの呑気な声音とは対照的に、下半身と別れを告げたはずの赤髪の少女が最後の力を振り絞り、上半身だけで長槍を投擲した。
「ほぅ」
ロークさんはただ一言そう口にして、眼前に迫る長槍を己の拳で叩き落とした。その拳には傷一つなく、この老婆が戦鬼と呼ばれる理由が分かった。
階段に転がる赤髪の少女は最後の命を燃やし尽くしたのだろう、それから動くことは無かった。
「あなた達、なんでわざわざ捕まっていたのよ。これだけの実力があれば、好きに生きられるでしょうに」
頬についた返り血を拭きながら、リファが怪訝な面持ちで言った。
「牢獄の中も外も、俺にとっては変わりない世界だったからな。婆さんは?」
「ふむ。生き甲斐を奪われたからかのぅ」
無類の強さを誇る戦鬼の瞳の先には一体何が映し出されているのだろうか。
「僕達の協力などなくても、世界をひっくり返せる勢いですね」
正直に言って、今の僕とリファは、開いた道をただ真っ直ぐに歩いている状態だった。
「さっきも言ったけどよ、日の教団で生まれたあらゆる生物には神令が刻まれている。簡単に言えば、奴隷の烙印みたいなもんだ。俺みたいな半神や、婆さんみたいな特異体質ですら、一定の拘束は受ける。太陽の光がある限り、俺達が許可無く他の地へ行く事は不可能なんだ」
「そんな強制的なルールの中で、信仰を集める事は可能なんですか?」
この世界の神の力は集信値、つまりは信仰心の総量で決まるはずだが、このやり方では、自発的な信仰心は集めにくいようにも思える。
「大抵のやつは疑問にすら思わねーよ。何せ生まれた時からのルールだ。それにな、神令という縛りは俺達に力も与えている。信徒の大半はこれを等価交換だと考えているのさ。生まれた時から自由がねーんだ。だからその価値も知らない」
「なるほど……」
「この教団では疑問を持つ事こそが異端なんだ。一つの価値観を信じることこそが至高で、それ以外は邪教ってわけよ」
「最初から選択肢すら与えられないのか……」
それが悪かどうかなど、僕の秤では確かめようがない。決まったレールを進む事はある種、楽であり、不自由が少ないともいえる。抱え切れない程の自由を手にすることよりも、見える範囲の世界を生きることの方が幸せな場合もあるのかも知れない。
「さて、辛気臭い話は終わりだ」
サンドルさんはそう言って、最後の扉を蹴破る。
重厚な鉄で作られた扉は飴細工のようにひしゃげ、久しぶりの外気に触れる。
視界を埋め尽くす圧倒的な光。
その原因は明白だった。
街に浮かぶ二つの太陽。
その一つが異常なまでの近さで街を照らしている。
「絵本で読んだ通りだわ。本当に太陽が二つあるのね……」
呆気にとられた様子のリファが言った。
「あぁ、あの異様にでかい太陽はソールが創り出したもんだよ。だからこの街には夜が来ない。年中暑いし、あいつの事が脳裏にちらついて、鬱陶しいことこの上ない」
「あの太陽の真下にある宮殿に女神ソールがいるのですか?」
「流石はシュウ、話がはやいな!」
「いや、誰でも分かりますよ……」
あれだけ目立つ太陽の下でなお、負けない存在感を放つ白亜の宮殿があるのだ。誰が見たってあの場所に女神がいることは明白だ。
「よし! さっそく殺しに行くか!!」
「遠足じゃないんですよ?」
「ん? 遠足ってなんだ?」
「あぁ、いや、なんでもないです。とにかく、まずは作戦を立てましょう。仮にも神殺しを遂行するわけですから」
「そうじゃな。彼の言う通り。太陽の宮殿では神令の支配力も更に強まる。無策で臨むのは無謀というもの」
「そんじゃ、一応、夜を待つか」
「ちょっと、あなたさっき、この教団に夜は無いって言ったじゃない!」
僕も感じた疑問をリファがいち早く口に出した。
「あぁ、言ったぞ」
「はぁ!? じゃあどういうことよ!!」
「落ち着けよ、お嬢ちゃん。シュウよ、この子はいつもこんな感じなのか?」
「まぁ、多少は気の早い部分も……。でも、僕も夜って部分には引っかかりを感じました。いずれにせよ、まずは場所を変えましょう」
いくらサンドルさんがいるとはいえ、わざわざ脱獄した監獄付近で話し込む必要も無いだろう。無用なリスクも無用な命も背負う必要はない。
「確かにな。久しぶりに外に出たんだ。立ち話も風情がないな」
「サンドルさんも風情とか気にするタイプなんですね……」
「おいおい、シュウよ。俺は案外ロマンチストなんだぜ? おっと、動くなよ?」
「え?」
そんな疑問符が口を溢れる頃には既に、サンドルさんの両脇に僕とリファが抱えられていた。
「よし、行くぞ!」
鼓膜を破りかねない程の轟音。それが地面を蹴り出した音と認識した頃には既に地面とのお別れが済んでいた。
次いで、空気の層を突き破る衝撃。
端的に言ってそれは、人間大砲。
時間にしてどのくらいだろうか?
身体の内容物を全て撒き散らしながらの空の旅。これ以上は考えられないであろう醜態。自慢じゃないが、人に抱えられながらの高速移動は初めてじゃない。そんな経験豊富な僕でさえ、ゲロってしまう程の尋常ならざる移動速度。この世界にGPSがあったとしても、僕を見失う程の速度だったろう。
三半規管が悲鳴をあげ、内蔵の位置が入れ替わってしまったのではないかと思う程の衝撃。それら全てを乗り越えてたどり着いたのは、なんの変哲もない洞窟だった。
「おぉ、まだあったか!!」
元気満々なサンドルさんが叫んだ。
「うぅ、もっとマシな移動手段はなかったの……」
口のまわりについた胃液を袖で拭きながら愚痴をこぼすリファ。こぼしたのは愚痴だけではないのだが、彼女の名誉の為に、これ以上はやめよう。
「ドル坊よ、二人は人間なのだぞ?」
何事もなかったように着地を済ませたロークさんがサンドルさんを窘めた。
「おっと、そうだった。すまんすまん」
この半神に悪気はないのだろう……。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
僕はゆっくりと息を整え、一拍置いて口を開く。
「わざわざこの洞窟まで来たのには何かしらの理由があるんですよね?」
流石の僕も、ここまでの醜態を晒したうえで理由が無いとなれば、ひと暴れさせてもらう。
「この洞窟内では陽の光を吸収する鉱石が採れる。時間も余っているからな、採掘しながら作戦会議でもしよーぜ」
「光を吸収する?」
「あぁ、太陽を司るあいつにとっては、天敵ってわけよ」
「へー、あんたも意外と頭が回るのね」
半神にむかって、フラット過ぎる口調のリファ。
「いや、でも、普通に考えればそんな女神にとって不都合な鉱石なんて、洞窟ごと処分されていてもおかしくないのでは?」
「流石はシュウ。良いところに気がつくな。そんじゃ、ちょっと試しにあの洞窟に向かって、レプリカをぶち込んでみろよ」
「いや、そんな事をして、洞窟内の鉱石が壊れたらどうするのですか?」
「まぁまぁ、良いから、とりあえずやってみろよ?」
サンドルさんがにやけた顔でこちらを見ている。
「知りませんよ?」
「あぁ、俺を信じろ」
「リリース!!」
その言葉と同時に空中に現れた巨大な氷柱が少し先にある洞窟へと撃ち込まれた。
甲高い破裂音とともに周囲の地面から砂埃が舞う。
少しの間の後にゆっくりと砂埃のカーテンが消えた。眼前には先程と同様に傷一つない洞窟の姿があった。
「ほらな? この洞窟の強度は異常なんだよ。並の人間の攻撃じゃ、びくともしねーよ」
サンドルさんが何故か、勝ち誇った顔でそう言った。
「へー」
「リリース、リリース、リリース、リリース、リリース、リリース、リリース、リリース、リリース、リリース、リリース」
空中には先程の氷柱に加えて風の刃や炎の大剣など、ありとあらゆる攻撃手段が出現し、それらが全て洞窟の側面へと降り注ぐ。
爆発音の連続。
数にして十一。
決してムキになったわけではない。
僕はただ、サンドルさんが自信満々で語ったその強度とやらを確かめたに過ぎない。
決してムキになったわけではない。
「おいおいシュウよ。お前さんらしからぬ行動だな。いや、これこそ神殺しに相応しい短腹とも言えるか」
そう言って豪快に笑うサンドルさん。
再び舞い上がった砂埃は徐々に消え去り、眼前に現れたのはやはり、傷一つない洞窟の姿だ。
「どうやら強度に問題は無さそうですね」
決して強がりではない。
僕は真偽を確かめたに過ぎない。
合理的な確認作業だ。
しかし、丈夫だから何だと言うのだ?
「この洞窟の強度が高いのは分かりました。しかし、その光を吸収する鉱石が全て持ち出されていれば無駄足になるのでは?」
「安心しろ、それは無い」
「何故言い切れるのですか?」
「問題の石は、この洞窟内にがっちり埋まっているからな。シュウの全力でも傷一つつかない洞窟の底に」
「全力ではありませんが、なるほど。しかし、女神の力を持ってすれば、この洞窟を破壊することも容易なのでは?」
「あの女は暗闇を嫌う。そもそもが、あいつの権能は太陽の光によるものだ。この洞窟とは何かと相性が悪いからな。近づくこともないだろう。そもそも神令に縛られたこの教団内に基本的に無法者は存在しない。だから、細かい対策なんてものはあの女の頭の中には必要がないんだよ。要は自分以外を舐め切ってるってことだな」
「なるほど。強大な女神故の慢心ですか……」
「あぁ、そんなところだな」
「分かりました。ですが、そんな鉱石を一体、どのようにして掘り起こすのですか?」
僕は頭に浮かんだ疑問符をそのまま口に出した。
「そんなの腕っぷしに決まってるだろ? 俺とローク婆さんがこの両腕で掘り起こすんだよ」
「なるほど、脱獄した後に穴を掘るとはなんとも皮肉な話ですね」
「ん? どういうことだ??」
サンドルさんが不思議そうに首を傾げた。
「いえ、何でもありません」
この半神にとって脱獄とは正面から行うことであってわざわざ穴を掘ることなど、選択肢にないのだろう。
そんな彼がわざわざ穴を掘ってくれるというのだから、僕らも大人しく便乗しようではないか。
人を呪わば穴二つ。
では、神を呪う僕らの結末は一体どこに繋がっているのか。
先の見えない暗闇へと一歩踏み出す。
同じ穴の狢が四匹、陽の光の届かない洞窟へと入る。
今はただ、この先に繋がる未来が虎穴で無いことを祈るばかりだ。
(ケケッ、墓穴だけは勘弁してくれよ?)
僕の思考を読み取ったナカシュが楽しそうに喉を鳴らした。