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第八話『商業の神』

 僕は今、多くの人々が放つ欲望の渦中にいる。四方八方から浴びせられる視線の雨。興味と嫉妬が混ざり合った醜悪な空間。嫌な熱気が立ち込める中、僕はその中心に立つ。


「フルカウント」


 五枚のカードを扇状に広げ、真っ赤なテーブルの上に並べる。


 それに合わせて周囲に集まっていた野次馬が歓声を上げる。それもそのはずだ。どこの馬の骨とも分からないガキが、難度の高いカードゲームで十連勝を決めたのだ。それもこれは大金が動くゲーム。人の一生が動く事もあるカジノだ。そんな戦場にノコノコと歩いてきた鴨が暴れ始めたら、誰だって興味が湧くものだろう。


 目の前にはカラフルなチップの山が積まれている。これは人が積み上げた嘘の山だ。僕はただ、その嘘を見抜き、チップへと還元しただけに過ぎない。そこに駆け引きの入り込む余地はなかった。


「お客様、一般ステージでの上限に達しましたのでVIPルームへとご案内致します」


 テーブル越しに立つ女性ディーラーが感情の機微を感じさせない声で言った。


「はい、お願いします」


 今のところは計画通りだ。僕の今回の役目は他宗教が管理するこのカジノの調査だ。僕にとってはどうだって良い話なんだが、今の最低限の暮らしを守るにはこうする他にない。正直なところ、カジノで稼いだ金を持って逃げ出したいのが本音だが、僕の背に烙印がある限りそれは叶わない。

 一般客に紛れ込む為に、今日の僕は単独行動だ。


「おいおい、単独行動じゃねーだろ、俺様もいることを忘れるな」


 僕の首元に巻きついている、かまってちゃんが口を開いた。


「おいおい、誰がかまってちゃんだ?」


 僕の思考を読んだナカシュが異議を申し立てる。


「人の心を覗き込んでおいて、そこにまでリアクションを求める奴をかまってちゃんと呼ばずして、一体、誰をかまってちゃんと呼ぶ?」


 歩を進めながらも、声を潜めてナカシュと対話する。


「シュウよ、段々と俺様の扱いが雑になってきてる自覚はあるか?」


「自覚はあるさ、むしろ生き方そのものが雑になってきている」


 そう、僕は碌でもない世界から、一風変わった碌でもない世界に来ただけの話。そりゃあ、生き方そのものが多少雑になろうとも責められるいわれはない。そんな自暴自棄とも取れる言葉が漏れ出し始めたのと同時に、目の前を歩くディーラーの声が思考を現実へと引き戻した。


「こちらの部屋へどうぞ」


 案内された部屋には男と女が一人ずつ、ルーレットテーブルを囲み座っている。

 

「どうぞ座りなさい」


 ルーレットテーブルに上座があるのかは知らないが、リラックスした態度で座る男の姿からは、異様な貫禄を感じた。


「シュウ、上座どころの話じゃねーよ、あいつは神の座に居座る男だ」


 睨みを利かせたナカシュが呟く。


 その言葉に警戒しながらも、僕はただ、男の指示に従い、対面の席へと座る。


「ようこそ私の庭へ。随分と楽しんでくれているみたいだね?」


 含みのある言葉とは裏腹に、目の前の男の顔には笑みが溢れている。


「えぇ、まぁ」


「そうか、そうか、それは良かったよ。それじゃあ、自己紹介といこうか。私の名はメルクリウス。メルクリウス教の神をやっている者だ。そして、私の隣に座っているのが、フレアだ。彼女はこう見えても、腕利きの剣士でね。私の護衛をしてくれているのさ」


 あっけらかんとした声音とは対照的に、神を名乗ったその男の目には、底知れない何かがあった。そしてそのまま、彼の言葉に誘導されるように、僕は隣の女性剣士へと視線を移す。


 枝毛一つない真紅の髪を背にまで伸ばしている姿からは、護衛というイメージが連想しにくい。その瞳は髪同様に鮮烈な赤一色で、見る者に強烈な印象を与えてくる。


「えっと、その……」


 あいにくと僕は、神と名乗られた時の反応を持ち合わせてはいなかった。それに、僕は仮にもスパイなのだから、自ら名乗るわけにはいかない。


「あぁ、失礼。名乗り難い事情を加味していなかったよ」


 全てを見透かしているかのような視線が僕を包み込む。その視線に気圧され、僕がしばらく黙っていると、フレアと呼ばれた女性剣士が口を開く。


「お前がスパイなことは、もう分かっている」


 白磁のような肌に埋め込まれた、ルビーのような双眸が僕を威圧する。僕の瞳に反応が無いということは、彼女は嘘をついていない。つまり、僕の正体は丸裸ということである。


 ならば、洗いざらい吐いてしまおう。命だけは助けてくれるかも知れない。


「えぇ、僕の名前はシュウ、マールス教団から送り込まれた密偵です」


 どうしてスパイがバレたのか、この後、僕はどうなる。現状から逃げ出す方法は?


 頭の中に無数の思考が散らばるが、そのどれもがまとまらない。


「ふむ、君の思考は読みにくいね。レプリカの性質だろうか? うーん、副産物と言ったところか?」


 目の前に座る神はそう言って、楽しそうに笑っている。


「単刀直入に言おう、君には二重スパイをお願いしたい。別にマールス教に特別な信仰は無いのだろう? 報酬は前払いするよ。その背の烙印を弱めてあげよう。まぁ、完全に消してしまうと、二重スパイがバレてしまうからね。消し去るのは、君が依頼を達成してからだ」


 温厚な声音の中に混じる狡猾さには、どこか人間味すら感じる。場違いな感想ではあるが、この神に対しては少なくとも、駆け引きの余地があるように思える。


「わかりました」


 この言葉を口にした瞬間、背中の烙印に強烈な痛みを感じた。これは主人への背信行為による罰なのだろう。


「ふむ、宜しい。私は君を無条件で信じよう。何せ、私は神だからね?」


 神を名乗るその男の言葉の直後、背中の痛みが和らいだ。


「ありがとうございます……」


 背中に滴る汗を意識しながらも、僕は静かに礼を言う。それは痛みによる汗か、それとも緊張による冷や汗なのか。おそらくは後者だろう……。


「これにて契約成立だ。毎度ありってね」


 それは実に、商業の神らしい言葉といえた。


 商業の神、メルクリウス。彼との邂逅は決定付けられた運命なのだろうか。


 偶然を信じる為に必要な境遇を、僕は持ち合わせていない。『偶然』を信じ、『偶然』に責任を負わせられるような、幸福な人生を送ってみたかった。


 それにしても、嘘を憎んだ僕が、二重スパイに身を落とすとは。人生死ぬまで分からないものだ。


 いや、死んでみたって分からない。


 僕がそれを証明している。


 そんな現実逃避と共に、僕の新たな仕事がはじまる。

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