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第七十八話『勝ち逃げ』

 結論から言おう。僕は逃げた。

 それはもう、まごう事なき逃走だ。


 今の僕にはそれなりの力がある。にも関わらず、逃げた。双子相手に一人で奮闘するリファを置いて。


 ただ、逃げた。ひたすら真っ直ぐに逃げた。


 イブの手が僕を引っ張ったからか? 


 違う。


 リファが逃げろと叫んだからか?


 違う。


 それが僕の本質だからだろう。


 僕を殺そうとする二人の少女。僕を生かそうとする一人の少女。


 僕は死から逃げたのではない。そうまでして他者の運命を変えようとする三人の少女から逃げたのだ。


 敵も味方も無い。僕はそうした強い意志が怖いのだ。強い意志は他者を捻じ曲げ変えてしまう。


 真実だろうが虚飾だろうが関係無い。その二つに大した差は無いのだから。


 もともとあったものが変わる。僕にはその事が只々恐ろしく感じるのだ。可笑しな話だ、先程までは世界を変えようなどと言っていた口が……。


「イブ、僕はどうしたらいい?」


 逃げ出した本部を背に、僕はイブへと問いかける。


「大丈夫」


 真っ白な顔にルビーの瞳。整い過ぎたその横顔に人間味は無い。しかし不思議と、僕にはそれが安心感を与える。彼女は何者にも変えられない。僕にとってその価値は計り知れないものだ。


 変わることはとても恐ろしい事だ。


 はじめは母がおかしくなった。

 そして父が疲弊し、姉が犯され、僕は死んだ。


 現状維持は人々が思っているよりもずっと難しい。


 眼前に広がる幸福は容易く覆り、不幸へと変わる。退屈は人を殺すなんて言葉を聞くが、人を殺すのは大概が不幸だ。


「変わらずにあるのは、死か君だけだ……」


 横を歩く少女へ言ったのではない。これは自身の為の言葉だ。自分への暗示(のろい)なのだ。


 変わらないことを信じるなんて、あまりにおぞましい行為。どうあがいたって正当化出来ない。


「大丈夫、死も私も、シュウも同じ」


 僕の言葉から何を感じとったのだろうか。繋いだ手をより強く握ったイブが、真っ直ぐな瞳でそう言った。


「どういう意味?」


「意味なんてない。全部」


 言葉とは裏腹に、その眼差しには僅かに、慈愛のような何かが含まれているように思えた。


「そっか、ありがとう」


 もともと意味が無いのならば、変わるも何もない。それは僕にとってある種、究極の許しに近い。


 しかし、神はそれを認めないようだ。


 イブの言葉に涙を堪えた僕が空を見上げると、そこには、数百にも及ぶ赤髪の少女達が。その全員が、目に見えない馬にでも跨っているかのような姿勢で、悠然と空に浮かんでいる。


 双子だけでも手に負えなかった赤髪の少女達が数百人。真っ青な空を真っ赤に染める彼女らの髪は、僕に明確な死を連想させる。


『シュウさん、私達は貴方に大人しく捕まることをオススメしますが、いかがでしょう?』


 数百の声が、一切の乱れなく一つにまとまる。それは、異様な圧力を周囲へと撒き散らし、僕から逃走という選択肢すら奪う。


「僕が頷けば、イブは見逃して貰えるのでしょうか?」


 イブは言った。イブも僕も、死でさえも、そこに変わりはないのだと。ならば話は単純だ。より美しいものを残せば良い。古びた硬貨も、輝く硬貨も、その本質的な価値に差はない。ならばこそ、世界(サイフ)の中に残すべき基準は明確なのかも知れない。少しでも輝くそれを僕は……。


『えぇ、お母様からの神令はただ一つ。貴方の身柄のみ』


「そうか、それは助かります」


 本当に。


「だめ、シュウ」


 繋いだ手に強い力を感じる。横にいる少女の顔を見れば、決意が揺らぐ。だから僕は空を見上げたまま口を開く。


「リリース」


 目には見えない空気の塊がイブの頭を打つ。

 それは意識を奪う為の最低限の攻撃だ。


 意識を失ったイブを、ゆっくりと地面に横たえる。不思議と心は落ち着いていた。


「お待たせしました。ところで、僕を誘拐する上で意識を奪ったりしますか?」


『はい、念の為に意識は奪わせて頂きます。この鉄鎚の中からお好きなものをお選び下さい』


 数百人もの少女達がそう言って、手に持つそれぞれの鉄鎚を掲げた。


 ふむ、どうやらあまり、穏便に事が済むわけでもないらしい。それに、連れ去られた先での扱いなど、考えるまでもない。


 ならばここは先手必勝といこう。


「リリース!!」


 空気の刃が自らの喉元を掻っ切る。


 溢れ出す鮮血を他人事のように眺めている自分がいる。


 薄れゆく意識、朧げになる視界に映るのは、僕の鮮血を浴びるイブの横たわる身体。


 真っ白なキャンパスを汚す真っ赤な血。そのコントラストに目が奪われる。


 完璧なものを汚す快楽がそこにはあった。


「ごめんね、汚しちゃって……」


 実際にその言葉が発せられたのかはわからない。ただ思っただけなのか、堪えきれずにこぼしたのか。



 まぁ、いいや……。


 諦念という名の自由とともに、僕の意識は闇へと消えた。

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