第七十六話『読心』
自室という言葉に違和感を覚えるようになったのはいつからだろうか?
この世界に来て、住む場所がころころと変わるようになってからか? あるいはもっと前に……。
変わらないのは、どこにいたって僕の持ち物は少ないという事だ。必要以上に何かを所有することが怖いのだ。持つことはいつか失うことでもあるから。それは生と死の関係性に似ている気がする。生きていれば死に近づくし、持っていれば失うのだ。
「シュウ、あなた本当に暗いわね……。朝起きる瞬間からそんなこと考えなきゃいけないわけ?」
「え!?」
僕はそう言って、寝惚け眼を擦りながら、天井から視線を外し声のした方を見つめる。
視線の先には、腕組みしながら仁王立ち姿の少女がいた……。
「驚きすぎよ、オークが出たわけでもないのに」
「リファ、入る時はノックをしてくれって言っているだろ?」
金の教団での一件から一周間程が過ぎ去り、現在僕等がいるのは白翼の光の本拠地である。
武器商人であるアルマ・ピェージェの趣向なのか、このドーム状に作られた建物の内には様々な殺人兵器が搭載されているが、あくまでも僕個人の部屋には物が少なく、普段は閑散としている。
そんな僕の私室へと、彼女は当たり前のように侵入していた。
「ノックはしたわよ。シュウが陰鬱な考え事で上の空だったんでしょ?」
「ノックも大事だけど、それ以前に、人の心を勝手に読まないでくれよ……」
金の教団が崩壊し、なし崩し的に白翼の光へと入ったリファだったが、毎日飽きもせず、僕への嫌がらせに余念が無い。
「しょうがないでしょ、この左目が勝手に心を読んじゃうんだから。でもおあいこでしょ? あなたの瞳も嘘を見破るじゃない。同じようなものよ」
「いやいやいや、女神と奴隷くらい違うよ」
心そのものを読むことに比べたら、嘘を見破る力などかわいいものだ。
「あら、同じようなものでしょ」
つまらなそうにリファが言った。
「随分と大きな尺度で生きているんだね」
僕は皮肉の意味も込めて呟く。
「そりゃあそうよ。親の仇と暮しているのよ?」
「……」
返す言葉もない。
「ケケッ、こりゃ、一本取られたなシュウよ」
不意に現れたナカシュが僕をからかう。
「そういえば、イブの姿が見当たらないけど」
僕は逃げるようにして話題の矛先を変える。
いつもならイブが隣りでスヤスヤ寝ている頃だろうに。
「あぁ、あの子ね、今は私の部屋で寝ているわ」
「え、イブは自分で着替えも出来ないんだぞ?」
「だからよ! 若い男女が同じ部屋で寝て、着替えまで手伝うって異常事態よ!!」
激昂した様子でリファが叫ぶ。先程までの大きな尺度はどこへ行ったのやら。
「というか、イブはそれで納得したのか?」
彼女が僕以外の人間とまともに会話している様子を見たことがないのだが……。
「えぇ、イブはあなたより、私の部屋が良いって」
僕の鼓膜が彼女の言葉をとらえた瞬間、視界が一面真っ赤に染まった。
「僕に嘘は無意味だよ」
「えぇ、嘘よ……。あの子、全然言うこと聞かないんだもの! 最終的に肉で釣ったわ!!」
「なるほど」
僕はお肉に負けたのか……。しかし、納得の理由である。それにしても、そこまでしてイブをこの部屋から連れ出す理由があったのだろうか。
そんな感傷的な気持ちに浸っていたら、私室のドアが力強くノックされた。
「何か?」
僕は扉越しの相手へ問いかける。
「シュウ様、あの、そのですね……。イブ様がえーっと、あー、その……」
給事の狼狽しきったその声音と、まったく要領を得ない言葉から察するに、イブがまた何かをやらかしたのだろう。
「今行くよ」
僕は短くそう返し、ベッドから飛び起き、純白のローブに袖を通し部屋を出る準備を整える。
何も無ければ良いのだが……。
「何も無いわけないじゃない、あの子、端的に言って異常だもの」
「イブは他と少し違うだけだよ。異常というよりも特別に近い。あと、勝手に人の心を読むなって言ってるだろ?」
僕はそう言いながら、テーブルの上に置かれた真っ赤な眼帯を手に取りリファへと渡す。
「どうでも良いけど、シュウはイブに甘過ぎないかしら? それに私、誰かれ構わず心を覗いてるわけじゃないから!!」
リファはそう言って、僕から受け取った眼帯で左目を隠す。どうせならばその苛立ちも隠してくれれば良いのだが……。
「どうせ今、失礼なこと考えたでしょ? やっぱりこの眼帯外そうかしら」
「普段はつけときなよ、精神的にも疲れるだろ?」
心を読まれる側も疲れるが、おそらくは読む側の心労はそれをはるかに凌ぐだろう。
人の心など往々にして汚いのだから。
「何よ、知られたくないことばっかりってわけ?」
「そりゃ人間だからね。秘密の百や二百あるものだろう?」
「最低ね!!」
短い言葉を吐き捨てて、リファは部屋を飛び出した。
「何か間違えたかな?」
床を這うナカシュへと問いかける。
「ケケッ、お前さんが間違わなかった事あるか? それにあのお嬢ちゃんだって十分狂ってるだろ。親の仇と一つ屋根の下で生きてんだからよ」
「それもそうか……」
妙な納得感と寂寥感を抱えながら、僕も自室を後にした。