第七十五羽『俯瞰』
黒一色の羽をせわしなく動かしながら夕焼けに覆われた空を飛ぶ。
この身体になって、もう何年が過ぎ去ったじゃろうか? いちいち数えるのも億劫な程に積み重なった年月。しかしながら、すっかり心が枯れ果てたワシにも少しの楽しみはある。いや、少しというのは強がりじゃったかのぅ。老後の楽しみにしては、彼はあまりに刺激的なのだから。
ワシはその楽しみの源泉に向かって目を凝らす。
空の上からでもはっきりと視認出来る。女神の身体が黄金の粒子を散らしながら消え去っていくのが。そしてその近くに立つ、一人の少年の姿が。
情報を集めるのに鴉の姿はとても便利じゃ。
忌むべき呪いも、今となっては都合が良い。
空からの俯瞰的な視点は、ワシの生業には持ってこいのものじゃし、何より、この特等席からあの少年の姿が見られるのは大きい。
明日の新聞は嘘みたいに売れるじゃろう。何せ女神の一柱が死んだのじゃから。
火、金、土の三柱が退場し、残るは月、水、木、日。
実に厄介な面子が残ったものじゃ。まぁ、時を司る農耕の神がこの盤面で退場しているのは意外じゃったが、あれは商業の神が関わったのが大きい。それ以外は予想の範囲と言えなくもない。いずれにせよ、新聞は売れ、黒聴会に莫大な利益がもたらされるのは間違いない。
それにしても、怒涛の勢いとはこの事じゃな。あの少年は本当に面白い。彼ならば、地上の神々を殺し尽くし、天上のそれに手をかけるかも知れぬ。
それに、少年の横に立つあの少女も興味深い。何せ女神の魅了を打ち破ったのじゃから。
白翼の光や五芒星による別働隊が金の教団の主力を削り、女神から集信値の大半を奪っていたとは言え、それを加味しても女神の口付けをはねのけるとは尋常では無い。
まぁ、普通で無いのは当たり前か。神の瞳が馴染む人間など、そう多くは無い。
さてさて、これから先は忙しくなるのぅ。
欲を言えばもう少し、あの少年の姿を見ていたいが、残念ながら、ワシにはまだやらなくてはならない事がある。後ろ髪を引かれる思い、なんて表現を使えれば良いのじゃろうが、生憎とこの姿では引かれるものも無い。
そんな冗談が浮かぶ程にはワシも浮かれているのだろう。
立つ鳥跡を濁さず。ふむ、これなら悪くない。
ワシは黒一色の羽を忙しなく動かし、元来た空へと帰る。
* * *
「ウェヌスが死んだか……」
太陽をモチーフに作られた広大な宮殿内にある一室に俺の声だけが響く。
いけ好かねー奴だったが、同じ女神として思うところはある。女神の俺にとってあいつは張り合いのある数少ない相手だった。
女神が生きる悠久の時の中で、暇つぶしが出来る相手は貴重だ。
あのガキに、神の代償は高くつくってことを思い知らさないといけねーな。
「フラマ!! フラム!!」
俺は部屋の外に控えているであろう双子の娘達に呼びかける。
「お呼びでしょうか、お母様」
「お呼びでしょうか、お母様」
石造りの扉を開け中に入ってきたのは瓜二つの双子の少女達だ。まごうことなき俺の娘であり、人間と女神の間に生まれた半神でもある。背中にまで伸びた真紅の髪は、俺の性質を色濃く受け継いでいる証。全身を覆う真っ赤な鎧は、敵に畏怖を味方に勝利を与えてきた。
そんな双子の娘達へ、俺は言葉を贈る。
「赤髪の戦乙女を全員集めろ。神殺しのガキを捕らえて、俺の前に引きずり出せ!!」
「それは命令でしょうか? お母様」
「それは命令でしょうか? お母様」
双子の言葉が繰り返される。
「いいや、神令だ。この意味がわかるな?」
『承知しました。お母様』
俺の意図を汲んだ双子達の言葉がここに来てようやく重なった。
それは二人の覚悟と集中の表れであり、あのガキの死が決まった瞬間でもある。