第六十七話『継承』
なんだろう。根拠のない直感が私の足を動かしていた。
大理石の階段を降り、噴水のあるエントランスを抜ける。
至る所で悲鳴や怒号が響いている。
おそらくは何者かが金の教団を襲撃しているのだろう。私は今、その音の中心へと近づいていた。
ウェヌス様の寵愛により咲き誇る薔薇達には、目もくれず、私は自らの衝動に従い全力で走る。
ここ数日は体調不良が続き、礼拝堂へ行くことすら出来ていなかったが、今は何故か嘘のように身体が軽かった。
まるで絶対の役目を与えられているかのように、決まった目的地があるかのように。
運命の見えざる糸なんてものが、もしこの世界にあるのだとしたら、私はきっとそれを辿っているのだろう。
願わくばこの糸の先に……。
そんな願いが頭を過った瞬間、強烈な頭痛が私の脳内を襲う。
平衡感覚は狂い、足元がふらつき、視界は突如真っ赤に染まる。
そして目の前には私の探し求めていた少年の姿が……。
「シュウ?」
私はおそるおそる、目の前の少年へと声をかけた。
しかし、次の瞬間、その少年の首が突如として宙を舞うこととなる。
「シュウ!!」
私は思わず強く叫んだ。ずっと探していた少年の名前を。
まるで心臓を鷲掴みされたように胸が痛い。
痛みに耐えかねた私は、強く目蓋を閉じた。
そしておそるおそる、もう一度、ゆっくりと目蓋を開けた。
最悪の現実と向き合う為に……。
「あれ?」
早鐘を打つ心臓を押さえながら、周囲を見渡すとそこは、薔薇達が咲き誇る、いつもの庭園へと続く一本道だ。
「な、なに?……」
今のは一体……。
心臓の律動が更に加速しているのがわかる。
一瞬だけ真っ赤に染まった視界はすでにもとに戻っており、地面には誰の首も転がっていない。
今のは一体なんだったのだろうか。
私の心がおかしくなって、幻覚か何かを見てしまったのか?
しかし、今の光景を幻覚として割り切るには、あまりにリアルな光景だった。
もしかしたら、私の中に眠っていた力がようやく目を覚ましたのかも知れない。
でも、仮にそうだとしても、今、脳内に流れた光景は一体、何を示しているのだろう?
過去? 現在? 未来?
「でもこれがもし……」
未来の出来事だったら。
今なら私がシュウを助けることが出来るのかもしれない。
見えないはずの運命の糸が、ほんの一筋だけ見えたのかも知れない。
それはきっと、私の祈りが、初めて天に届いた瞬間。
私は再度、両足に力を込める。
最悪な未来を変えることが出来るのだとすれば、それは私の役目だ。
いや、役目なんて関係ない。
私は彼を救うのが、他の誰でもない、私であって欲しいと願うのだ。
もし、彼を救うのが私であったならば、きっと、その時には……。
* * *
地面には僕を殺そうとしていた、エルサ・ユリウスの首が転がっている。
そして目の前には返り血を浴びた少女が一人。
涙と笑顔の混ざるその顔は僕のよく知る少女のはずだが、その表情には僕の知らない何かが張り付いているかのようだった。
「リ、リファ、どうして僕を……」
金の教団の信徒から見れば、僕は明らかな裏切り者であり、命を狙うことはあっても、その命を助ける義理は無いはずだ。
「シュウ、私……」
オレンジがかった茶髪が小刻みに揺れている。それは彼女もまた、自身の行動に動揺している証拠だった。鮮血がこびりついた短剣を握りしめるその手は震えており、引きつった笑顔がこの場に妙な緊張感を与えていた。
薄氷の上を歩くような、その危うい笑顔は、今の彼女の不安定さを物語っている。そしてそのバランスは、すぐさま崩壊することとなる。
「あ、愛が、信仰が、さ、え、ら、るなに、さきく、か、か、か、か、か、あ、がぁあああああ!!!!」
目の前の少女が意味を持たない言葉を叫ぶ。それは間違いなく、彼女の自我の崩壊を示していた。
リファの左目からは尋常じゃない量の血液が流れ出しており、絶叫をあげながらその瞳を押さえつけている。
そして彼女の左腕には血管が浮き出るほど力が込められており、その異常な程の力で自身の瞳を引き抜き、勢いよく握り潰した。
「あぁあぁぁぁ!!!」
永遠にも感じられる絶叫が僕の鼓膜を揺らしていたが、その慟哭にも似た叫びは終わり、彼女の失ったはずの左目の位置には、紫色の光が宿っていた。
「左目の定着に成功。集信値の適性値クリア。記憶の転送開始」
リファの口が突如として動き始めた。
そこに人間らしさはなく、少女本来の温かさは一ミリ足りとも感じられない。そして何よりその声音は、人間としてはありえないほど完璧な冷静過ぎるものだった。機械的であり、あまりにも感情の欠落した瞳。
いつのまにか復元されたその左目は、紫電を宿し怪しい光を放っていた。
その瞳には見覚えがある。それは、つい先程まで、エルサ・ユリウスの左目に宿っていたはずの光だ……。
「記憶の転送完了。新たな所有者の再起動を開始します」
温度の無い言葉が淡々と羅列されるが、僕には目の前の少女がまったく別の何かに見えて、理解する事が出来ない。
「十、九、八、七、六、五、四」
僕の理解を置いてけぼりにしながら、無機質な声が何かのカウントダウンを始めた。
「三、二、一」




