第六十三話『啓示』
とても奇妙な光景だ。真っ白な大理石で構築された広大な部屋には大勢の人々がいる。にも関わらず、この部屋には沈黙が流れていた。
彼らは何かを待っているのだ。皆一様に厳粛な面持ちを浮かべ、まったく同じ服を着ながら。
なんだろうか、この既視感は。
いや、白を切るのはやめよう。
この感覚を僕は知っている。
張り詰めた空気の中、大勢の人々が何かを求めてただそこにいる。
そうこれは、神の言葉を待つ者達の沈黙だ。
救いを求め、ただ一つを盲信する人々の熱量。それはとても静かで、しかし、とても熱い。
神に拾われた僕も、その群衆の一例だった。
壇上に立つ美の女神を、誰より強く信仰していた。
しかし、金の教団に居たあの時と異なる点が一つある。そしてその一つが、致命的なまでに現状を狂わせている。いや、狂わせたのは僕か……。
言葉を待つのは僕ではない。
見上げているのも僕ではない。
人々の視線を集め、言葉を待たせているのが、他ならぬ僕だった。
「けけ、まったく皮肉なもんだ。シュウよ、これじゃあまるで神様みてーだなぁ?」
静謐と呼ぶには緊張の色が濃い沈黙の中、ナカシュが僕の心へと語りかける。
しかし、今の僕にはとても、彼の相手をしている余裕はない。
訳もわからずこの壇上へと祭り上げられた僕だが、このままここで黙っているわけにもいかない。
「私は神を憎んでいる」
静まりかえっていた部屋に僕の声だけが響く。
最初の一言としてはどうなのだろうか。事実を述べただけなのだが、この場ではそれがあまりにも仰々しい言葉として成立してしまったのかも知れない。
しかし、これも台本通りの言葉でしかない。
歴史は勝者によって改竄されるもの。
僕は今それを実感している。
「皆も知る通り、あの戦争は二柱の神の暴走により起きたものだ。君達は神々の気まぐれにより、全てを奪われたのだ。ならば、取り返さねばならない」
そう、僕が仕掛けたあの戦争は、僕が記憶を失くしていた間に、アルマ・ピェージェの手によって擬装されたのだ。
物語の全貌は生き残った者が決める。
そしてそのラッピングは、アルマにとっても、僕にとっても都合の良いものだった。
勧善懲悪の反吐が出る物語。
暴走した神々を相手に立ち上がったのは一人の少年。その少年は、軍神を討ち倒し、狡猾な商業の神を追い払った。しかし、疲弊した彼は他の神に囚われてしまう。だが、その少年は、またも立ち上がり、神の手を逃れ、彼を待つ人々の元へと帰ってきた。
アルマから聞かされた話をざっくりとまとめればこんなものだ。
僕は深く息を吸い、嘘で塗り固められた畦道をゆっくりと歩き出す。
「光の翼を背負いし者が、向かうべき道を地上へと示す。これは、始まりの神が最期に遺した言葉だ。七柱に分かれた今の愚かな神々の言葉ではなく、原初の神が遺した言葉だ。そして私の隣には、その少女がいる」
いつぞやの、埃を被った分厚い本の知識がこんな所で活きるとは。何事もどうなるかは分からないものだ。
「さぁ、神の設計図からの脱却を。来るはずのない八日目を迎えよう。彼女が照らし、私が導く」
僕がそう発した瞬間、隣で沈黙を貫いていたイブの背に発光する翼が。
この世全ての光を集めたかのような、あまりにも神々しいそれは、ただの光の集合体でしかない。
ただただ美しいだけの、純白の光。その翼に意味は無く、空に羽ばたく事はおろか、機能的な価値など欠片もない翼だ。
しかし、そこに意味を見出してしまうのが人間だ。
空気に漂う光の粒子。それは美しくも幻想的で、ただそれだけの存在。
だが、それだけで十分であった。
何もかもが奪われた世界。そこに一筋の光。
その光に希望を幻視する。それは実に自然なことで、とても人間的だ。
だから後は、言葉を添えるだけ。
「私は神では無い。だからこそ、皆の力を貸して欲しい。万能では無い私達が神の誤ちを拭い、この世界に新たな設計図を引く必要がある。八日目の世界を私達の手で!!」
物事には引き金がある。
僕のその一言が、彼ら彼女らの燻っていた何かを一気に解き放つ。
それは真っ白な部屋を埋め尽くす程の声の圧力。
思想のベクトルが一方向へと流れ出す。
その濁流にのまれた数多の自我が、強固な同調圧力により、自身の手すら離れて行く。
そして一瞬で、それを己の意思だと誤認する。
なるほど、こうして僕の母も変わったわけか……。
ならば、全てを変えてしまおう。
一箇所の傷が目立つのなら、やる事は決まっている。
木を隠すのなら森の中に。