第五十七話『悲愴』
白を基調にした広大な空間の中央には、艶のある真っ黒なグランドピアノが一台。ただそれだけが置かれており、そこに座るのはピアノとは不釣り合いな小さな少女。
「僕と君が同じ?」
その言葉には一体、どう言う意味が込められているのか。
「何か疑問に思う事はないかい?」
ピアノの椅子に座る彼女の足は床に届いておらず、その両足はバタバタと空を掻いていた。
しかし、その言葉使いや態度は、幼い見た目に反してあまりに落ち着き払っていた。
彼女の言葉に周囲を見渡すも、この部屋にあるものと言えば一つだけだ。
「何故、あの世界の音楽がここに……」
「ご明察。流石はシュウ君だ。では、何故ここに地球の音楽があるのか分かるかい?」
地球という単語に僕の心は俄にざわつき出す。しかし、彼女の声音はとても柔らかく、警戒心を解きほぐすものだった。
「誰かがこの世界へと持ち込んだ」
「ふふ、随分と回りくどい言い回しだね。もう気が付いているのだろう?」
「やはり君もあの世界から……」
「あぁ、そうさ、私は君と同じ世界から来た、異世界渡航者だよ。つまりはこの世界の異分子だ。ここまで言えば分かるだろう? 私が君に興味を持ち、保護した理由が。同じ地球人同士、仲良くしようというわけさ」
「地球人……。そんな大き過ぎるくくりで一緒にされたのは初めてだ」
急な話で混乱しそうではあるが、同郷の人が見つかったという点においては良いことなのかも知れない。
「ふふ、この世界でそれは、決して大きなくくりでもないさ。異世界渡航者は何も、地球の生物だけから選ばれるわけではないからね」
まるで赤子を諭すかのような、ある種の慈愛を感じさせる声音で彼女は言った。
「途方も無い話だ……」
しかし、彼女の証言は紛れも無い真実なのだ。赤く染まる事の無い僕の瞳がそれを証明してしまっている。
「そう、あまりに途方も無い話。脈略もなく、無差別で、不平等で気まぐれな選別。私達がここへ来た意味は何だと思う?」
「それは……」
恨み。
この一言を口に出すには、目の前の少女の姿はあまりに幼く可憐過ぎた。
そんな僕の逡巡を見かねてか、少女の小さな唇が開く。
「恨み」
それは僕が口にする筈だった言葉。
彼女はその言葉を呟いて、徐ろにピアノを弾き始めた。
真っ白な部屋の中に、真っ黒な音が響き渡る。
悲愴感に満ちた第一楽章。そしてそこからは一転して、緩やかな第二楽章へ、この切なくも心へと染み込んでいく音色は……。
「悲愴とは良く言ったものね……」
鍵盤を叩く両の手を止め、少女が小さく呟く。その両目には薄っすらと涙が浮かんでいた。
ピアノソナタ第八番ハ短調『悲愴』ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンによるピアノソナタ。作曲家の思想を色濃く抽出したこの曲は、僕が死ぬ前に聴いた最期の曲である。
暫しの沈黙が流れ、少女が再び口を開く。
「そう言えば、きちんとした自己紹介がまだだったね。私の名前はピュタリス・ペンデ。五芒星の長にして、神に背くことを決めた者だ」
その甘く幼い声音の中に、暗く深い悲愴を感じてしまうのは、僕の思い過ごしなのだろうか。




