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第五十二話『欠片』

 月の女神の身体が急激に増大し、その全身を白い体毛が覆う。何もかもを飲み込む程の勢いで、その巨大化は進んでいく。


 僕のような人間に出来ることなど、その場からの退避のみだった。


 純白の体毛に包まれた四足歩行のその化け物は、美しさと獰猛さの分水嶺にいた。巨大な尾は九つに分かれており、異形のそれは、何か根源的な恐怖を刺激してくる。


 その体躯は既に、宮殿の大きさをはるかに超えていた。


 その体積に押しつぶされて、宮殿内の壁や天井が全て崩れ落ちる。しかし、それぞれの護衛達は迅速に動き、その崩壊に巻き込まれたのは、敵へと寝返った土の教団の信徒達だけだった。


「ちっ、ウェヌス、裏切りへの糾弾は後だ。とにかく今は時間を稼げ!!」


 太陽の女神が荒々しく叫ぶ。


「時を司る神が死んだ現状で、時間を稼がねばならないとは、何とも皮肉な話だね。君の狙いはお見通しだよ。君はいつも単純だからね?」


 商業の神はそう言って、血塗られた銀色のナイフを太陽の女神へと投げる。


 鋭い軌道で投げられたそれは、真っ直ぐに空中を突き進むが、甲高い金属音を響かせ、勢い良く弾かれた。


 銀のナイフを弾いたのは、エルサさんが握る長剣だった。


 彼女の左目にある眼帯はすでに外されており、その瞳は紫色に輝いていた。


「ほぅ、少しは私の目が使えるようだね。ならば深追いは危険かな?」


 同じく紫色の右目を光らせながら、商業の神が言った。


「この男は私が始末します。女神のお二人はお下がりください。それに、半神であるお二人も危険です。あの男の武器は神性を持つ者を殺す」


 女神の二人だけではなく、赤髪の護衛二人にも警戒を促すエルサさん。その声音は鋭く、鬼気迫るものを感じさせた。


「私だけに気を取られていてはいけないよ」


 神のその言葉の直後、月の女神だった何かが唸りを上げた。


 その咆哮はまたしても赤子の鳴き声を連想させた。


 巨大な前足が僕らの頭上へと迫る。


「リリース!」


 あまりに唐突な展開に脳が状況を処理しきれていないが、命の危機を察した身体が勝手に叫んでいた。


 空気の壁が巨大な足を受け止めるが、それも長くはもたない。


 所詮、僕の力では神の一撃を防ぐことなど不可能。


 しかし、その勢いは僅かながら軽減されたようで、その隙に赤髪の戦乙女(ヴァルキュリア)と呼ばれる二人の少女が両手に持つ大槌で巨大な前足を受け止めた。


 凄まじい轟音の後、地面には鋭い亀裂が。


「流石は白月九尾(はくげつきゅうび)。彼女のジャレあいに付き合うのは命がけのようだ。私は命が惜しいのでね、ここらで退散するとしよう」


 商業の神はそう言って跡形もなく姿を消した。


 認識阻害というやつか……。


 しかし、消えたやつに構っている暇はない。


 甲高い咆哮とともに、凶悪な爪が僕達を襲う。


「リリース!」


 僕は再び空気の壁を張り、猛攻の勢いを僅かにだが削ぐ。

 そして先程と同様に、勢いの弱まったそれを赤髪の少女二人が受け止めた。


 そうして何度かの攻防を繰り返していると、白月九尾と呼ばれたそれが、三度目の咆哮を上げ、その顎門を大きく開けた。


 巨大な口内の奥には月光にも似た輝きが見える。


 その光が鋭利な牙を照らし、その口内から放出される。


 それは巨大な熱線となり僕達を襲う。


「リリース! リリース! リリース!!」


 巨大な氷塊を盾にするもそれは瞬時に蒸発し、空気の壁は紙屑同然に突き破られる。最後に迎え撃つ青い炎も、その光に飲み込まれつつある。


「だめか……」


 覚悟では無く諦めが、僕の胸中に流れる。


「まったく、困ったものだ。まだ君を見殺しにするわけにはいかない」


 いつの間にか、すぐ隣へと姿を現した商業の神が僕の手の平に石のような硬い何かを握らせた。


 瞬間、僕の生み出した青い炎がその勢いを増し、光の熱線と拮抗する。


 光と炎がぶつかり合う中、僕の頭の中には己の知らない記憶が流れ込んでいた。


 血の匂いがこびりついた真っ赤な戦場。


 赤一色の世界において唯一、何者にも染められない真っ白な少女が一人。


 その背に輝くのは光の翼。何かに導かれるようにとその翼に手を伸ばすが、僕の手がそれに触れる事はない。


「くそ、なんなんだ一体……」


 激しい頭痛が僕を襲うが、その断片的な記憶は過ぎ去り、意識は目の前へと回帰する。


 膨大な熱量を秘めた二つの輝きは互いを飲み合い、激しい爆発音とともに消滅した。


「今のは……」


 謎の記憶についてもそうだが、僕のレプリカにあそこまでの力はない。考えられるとすればそれは……。


 手にした物の正体を確かめようと手を開くが、そこには砕け散った半透明な石の欠片があるだけだった。


「驚くほどのことではないよ。私は君の力を手助けしただけさ。さて、話の続きはここを離れて、紅茶片手にするとしよう」


 商業の神が僕の方へと手を伸ばす。


 神のその手は開かれており、まるで僕が握り返すことが決まっているかのように真っ直ぐに向けられている。


「だめよ、シュウ!!」


 少し離れた位置でウェヌス様が叫んでいる。


「君は彼女を求めている。善悪の実の因果が君達二人を惹きつけるのさ」


 神のその囁きに僕の心は俄に騒つき始めていた。


「彼女……」


 それは先程、脳裏に映った少女のことを指しているのだろうか。


 僕は一体、何を信じれば良い。


 この手を握れば、届くのだろうか。


 握り損ねた、光の翼に……。

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