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第五話『真っ赤な嘘』

 背中に冷たさを感じる。目を開けば頭上には汚れの目立つ石の天井が見える。僕の両手には古びた錠がかけられており、ぼんやりとした意識の中でも危機感だけは伝わってきた。


「よう、やっと目覚めたか」


 身体のあちこちに痛みを感じながらも、僕は声のする方向に視線を向ける。どうやらここは小さな独房のようで、その証拠に目の前には古びた鉄格子が見える。その錆びた鉄格子の隙間を出たり入ったりしているのが声の主だ。


「まったく、見事にやられたな。じっとしてろ、今治してやる」


 ナカシュはそう言うと、僕の身体を這い登り、そのまま首筋を噛む。


 直後、全身に激痛がはしる。なんだこの強烈な痛みは、これではむしろ悪化している。傷口を直接抉るような痛みが続く。


「おい、意識だけは飛ばすな!!」


 激痛の中、僕の意識にナカシュの怒号だけが響く。


 その言葉が細い糸となり、何とか意識を保つことが出来た。痛みが続くこと数秒。その終わりは唐突に訪れた。まるで、身体をまったく別の物に取り替えたかのような感覚だ。気がつけば全身の痛みが完全に消え去っていた。それと同時に、ある程度の思考力が戻ってきた。


「あ、ありがとう。これもレプリカって力の一部なのか?」


 先程までの痛みが嘘のようだ。これが奇跡の模倣ならば、本物の奇跡は一体どれだけ……。


「シュウ、察しがいいな。まぁ、その辺はあまり考えない方がいい。文字通り、際限がないからな」


 心を読んだナカシュが淡々と答える。そんな彼の冷静な態度に、僕の精神は平静を取り戻しつつあった。とにかくまずは、現状を整理しよう。僕は確か、ナカシュに丸呑みにされて……。


 そうだ、訳の分からない廃墟に連れていかれたあげく、見知らぬ大男に殴られたのだ。そして、そこからの記憶がない。


「君はひょっとして、僕の疫病神なのか?」


「おいおい、俺様が神に見えるのか? そいつは買い被りってやつだ」


 細長い舌をチラつかせながらナカシュが笑う。


「なんだってこう、いきなり不幸が降ってくるんだ。僕は君と話をしていただけだ」


 いや、前の人生を考えれば、いきなり、という言葉は適切ではないのかも知れない。


「そりゃあ、はたから見ればお前さんは、一人で会話するイカレポンチに見えただろうからな」


 ナカシュの細い目が僅かに歪む。


「どういうこと? あの場には君もいたじゃないか。それとも君は、僕以外には見えないとでも?」


「あぁ、大正解。何か賞品はいるか?」


 笑い混じりのその声音からは、彼の真意が見えない。


「僕をからかっているのか? 悪いけど、冗談に付き合える程の余裕はない」


「いいや、本当さ。俺様はお前の知覚の中にしか存在しない。よって、お前が意識を失った状態では、俺様はお前を助ける事が出来ない。そして俺様の力はお前さん以外に使う事が出来ない。そのことをよーく覚えておけ」


 その発言はつまり、僕の存在が無ければ、存在する事そのものが不可能であることを示しているはずなのだが、ナカシュの語気には、そのことに対する弱々しさが微塵も感じられない。


「まったく、手間のかからねーガキだな。一を聞いて十を知るってか? 俺様の目に狂いはなかったぜ。俺様は勘の良いガキは大好きだ。まぁ、勘の正体なんざ、精度の高い無意識の予測だからな。だからシュウよ、俺様はお前を歓迎するぜ」


 牢屋の中だというのに、自由を謳歌する詩人のように、すらすらと、そして、ペラペラと語るナカシュ。


「シュウよ、ペラペラってのはちと、人聞きが悪いぜ?」


 心の声に反応したナカシュがヘラヘラと言った。


「ナカシュ、僕の過去から考えても、今の僕に他者を信じるだけの心の余力は残ってはいない。しかし、現状頼りに出来るのが君だけなのも事実だ。だから、よろしく頼むよ」


 心が読まれている以上、ナカシュ相手に取り繕った言葉は意味をなさない。


「あぁ、飲み込みが早くて助かるぜ。丸呑みにされたばかりだってのによ」


 舌をチラつかせながら楽しそうに笑うナカシュ。


 つまり、一蓮托生か……。


「それで、僕達の当面の目標は脱獄ってことでいいのかな?」


 少なくとも今は、この世界の先輩である彼に助言を求める他ない。


「まぁ、そうなんだが、お前さんが手にしたレプリカは全くもって戦闘向きじゃない。俺様の力も治癒や解毒が精々だ。丸呑みしての空間移動は俺様のストックに限界があるからなるべく使いたくない」


 ナカシュは淡々と話を進めるが、あまりの情報量の多さに、何から質問したものか。ひとまず僕は、自身の事を聞くことにする。


「僕にもナカシュのような力が使えるのか?」


 あの果実を飲み干した瞬間、僕の身体を構成する何かが変化したのを漠然と感じてはいたが、それが何だったのかが判然としない。


「お前さんの力は、あらゆる相手の、あらゆる嘘を見抜く力だ」


 声のトーンを落としたナカシュが、真剣な面持ちで言う。


 一見、ナカシュの心を読む力に比べると見劣りするように感じるが、彼の言う事を信じるのであれば、彼の力の矛先が僕だけなのに対して、僕の力は対象に制限がない。そう考えれば、決して悪い力ではないはずだ。だがしかし……。


「その力でこの窮地を脱せるとは考えにくいのだけれど?」


 この牢屋そのものが、嘘という名の虚像で出来上がっているのならいざ知らず、僕にこの鉄の牢を破壊する術は思い浮かばない。


「理解が早くて助かる。つまり現状は何もしない事がベストだ。俺様の勘もそう言ってる」


「それってつまり運任せってことじゃ……」


「さっきも言ったろ? 勘ってのは精度の高い予測だ」


 その言葉の直後、牢屋の外にある石造りの階段を、何者かが降りてくる音が聞こえてきた。僕は一旦、彼との会話を中断する。足音が徐々に近づいており、そのリズムが牢の前で止まる。


「おい、ガキ、お前の買い取り手が決まった。付いて来い」


 鉄格子を隔てた正面に、見覚えのある大男の姿が。間違いない。僕を殴り、ここまで運んできたであろう男だ。見間違う筈もない。買い取り手? つまり僕は、このまま売られようとしているのか? 

 様々な疑問が頭を駆け巡るが、今は大人しくこの大男に従おう。また意識を奪われるわけにはいかない。


「ほらよ」


 大男が牢の鍵を開け、後ろについてくるよう促す。手枷はそのままに、僕は言われた通りに男の背を追う。

 湿り気のある古びた階段を上がった先には、木製の扉があり、所々腐りかけているようで、男が扉を開くと小さな木屑が床に落ちた。扉の先には、橙色の灯りに照らされた空間が広がっている。先程までいた地下牢に比べると、それなりに小綺麗に見える部屋だ。その部屋の中央では何やら、二人の男が立ち話をしている様子だ。


「先程、新しい商品を仕入れましたので、良ければ見ていって下さいよ旦那」


 小太りの身体を黒いスーツに無理やり詰め込んだ男が、ひどく低姿勢で正面に立つ男へと話しかけている。


「ほう、それで、新商品とはあれのことか?」


 銀縁の眼鏡をかけ、赤いローブに身を包んだ、いかにも神経質そうな男がそう言って、僕の方を指差す。


「いえいえ、あれはオマケですよ。目玉商品は別にあります」


 小太りの奴隷商人らしき男は、そう言って指を鳴らす。


 ーー次の瞬間、何も無かったはずの空間に、一人の少女が現れた……。白金の髪に陶器のような肌。痩せ気味の頬からはあまりに生気が感じられない。全てが白い少女の中で、その双眸に宿る緋色の炎だけがやけに浮いて見えた。そして何よりも他者の視線を引きつけるのは、その背に生えた白い翼だ。強い光はどこだろうと、人を魅了し、離さない。


「光の翼だと、、、まさか、お前、天使を奴隷にしたのか……」


 眼鏡の男は、額に汗を浮かべながら恐る恐る問いかけた。


「えぇ、堕天寸前のやつが手に入りましてね」


 小太りの男がそう言った瞬間、僕の視界が真っ赤に染まった。世界の色が全て赤に……。


 一体何が?


「落ち着けよ相棒。それがお前の(レプリカ)だ。あらゆる嘘を見抜く力。さぁ、嘘を暴け、シュウ」


 僕の肩で沈黙を貫いていたナカシュが勢い良く口を開いた。


「その言葉は、その言葉は嘘だ……」


 気がつけば僕の口は、自らの理性とは別に、動き出していた。


「お、おい、貴様、何を勝手に!」


 隣に立っていた大男が僕の頭を抑えつけ、そのまま地面へと倒す。しかし、暴力による痛みは不思議と感じなかった。今はそれよりも、腹の中を渦巻くこの感情をどうにかしなければ。


 嘘は嫌いだ、嘘は嫌いだ、嘘は悪で、嘘は全てを奪うから。


 床に押し付けられたまま、僕は力強く口を開く。


「そいつは嘘を言っている」


 僕は小太りの奴隷商を指差し、混じり気のない言葉を放つ。一つでも多くの嘘を消しさる為に。


「な、何を根拠にそんなことを!! この女の翼が見えないのか!? 白翼を背に持つのは天使だけだ!!」


 僕の視界は依然として赤いままだ。それは血塗られた嘘を証明するための赤。白い翼さえも、今は赤一色に見えてしまう。


 あぁ、根拠はないが確信がある。きっとこれが、僕の力。


「この目はあらゆる嘘を見抜く。それが僕の(レプリカ)だ」


 僕の発言に対し、小太りの男は明らかに動揺している。


「だ、旦那様、奴隷の言う事などに耳を傾けてはいけません。この女は間違いなく天使でして……」


 小太りの男は必死の形相で訴えかける。


「なるほど、わかった」


「さ、流石、旦那様」


 奴隷商は、眼鏡の男の言葉に安堵した様子だ。


「そこの貴様、あらゆる嘘を見抜けると言ったな? ではこの場でそれを証明してみせよ。それが出来れば、そこの女もお前も、一緒に解放してやる。しかし、それが出来なければ、この場で殺す」


「だ、旦那様!?」


 眼鏡の男の急な発言に、うろたえた様子で奴隷商は叫ぶ。僕はそれに構わず、更なる嘘を暴く。


「嘘だ、その言葉そのものが嘘だ。僕達を解放する気なんて、最初から無いのだろう?」


 僕の視界は先程よりも、更に赤く染まっている。それは目の前の男も嘘をついたという証拠。


「なるほど、これは思わぬ掘り出し物が見つかった。よし、買いだ。商人よ、私を騙した罪は重いぞ? この女と男、合わせて銀貨二枚だ。文句はあるまい?」


 眼鏡の男が奴隷商に一方的にまくしたてる。


「わ、わかりました……」


 苦々しい表情で要求を飲む奴隷商。


「それで良い。あと、聞くべきことが一つ残っていたな。そこの女が天使でないとすれば、一体その翼はどういう理屈だ?」


「こ、これは、この女の(レプリカ)によるものです……」


 先程まで嘘をついていた後ろめたさからなのか、今度は正直に話す奴隷商の男。いつの間にか僕の視界も本来の色を取り戻し、少女の背に生えていた光の翼も消えていた。


「それはまた、難儀な力を持ったものだ。しかし、予期せぬ掘り出し物が二つとは豊作だ。では、さっそく、烙印を刻むとするか」


 場の空気を掌握しはじめた眼鏡の男が、こちらに近づいてくる。隣の大男に動きを制限されている僕には、ただ呆然とその姿を目で追うことしか出来ない……。


「統べる者と従う者、その境界を今ここに、八日目の夜に従い契約を」


 眼鏡の男が何事かを呟いている。


「おい、やべーぞ、シュウ!」


 焦りを含んだ警告が僕の鼓膜を揺らしたと同時、背中にとてつもない痛みを感じた。まるで、熱した鉄の棒を直接押し付けられているかのような苦痛。肉の焼ける匂いがする……。それが自らの背中から昇り立つものだと気づいた時、痛みは圧倒的な恐怖へと変わる。


 熱い、痛い、苦しい、何故だ、僕はあの世界が嫌で死んだのに、どうしてまたこんな苦しみを……。


 あぁ、神はいないのか? いや、この世界にはいるんだろ? 存在した上で僕を助けないのか!!


 あまりの苦痛に思考が現実逃避を始めたのがわかる。


「あぁ、この世界も僕を……」


 地獄の中にまどろみを求めるかのように、僕の意識は闇へとのまれる。

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