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第四話『廃墟』

 生ぬるい粘液の中にいることだけは分かる。胎児の頃の記憶などあるはずもないが、何かそういった記憶が呼び起こされるような感覚だ。


 僕はまた、生まれ変わるのか?


「おいおい、俺様の腹の中を母胎に例えるな。今吐き出してやるよ」


 冗談混じりの軽薄な声が、頭の中に語りかけてくる。その声が脳内で処理された直後、後ろから強烈な異臭を放つ濁流が!


 荒れ狂う流れにはもう、逆らう余地などない。


 逆流する粘液が次々と押し寄せ、無抵抗のままに流されていく。


 それが数秒間続き、ようやく勢いが弱まったと感じた瞬間、粘液まみれの僕の身体は、勢いよく体外へと飛び出る。


「グホォ……」


 外の空気を求めた肺が急激に働き始め、思わず咳き込んでしまった。


「どうだ? 快適だっただろ?」


 僕を吐き出してすぐ、元のサイズへと戻ったナカシュが軽口を叩く。


「あぁ、こんなにも不快なウォータースライダーは初めてだよ」


 おかげさまで、全身粘液まみれだ。


「まぁ、そう怒るなよ? 今綺麗にしてやるからよ」


 ナカシュはそう言って、僕の身体へと近づき、そのまま首筋を噛んだ。


「いっ、、、え?」


 思わず痛みに反応したが、そんな痛みなど、どうでもよくなる程の奇跡が、目の前で起きていた。


 首筋を噛まれた直後、僕の身体を覆っていた粘液が瞬時に蒸発したのである。


 もちろん、僕の身体が急速に発熱したわけではない……。


「一体何が……」


 僕は幻覚を見ているのだろうか?


「これは奇跡の模倣。『レプリカ』と呼ばれる力だ」


「模倣?」


 つまりこの力には、何かしらの原典(オリジナル)があるということか。


「あぁ、そうだ。お前さん、察しが良いな。この力は神から盗み出した贋作の力だ。要するに偽物ってわけよ。奇跡そのものには程遠い」


 盗むという言葉の印象のわりに、ナカシュの態度はでかい。それに、気になる一言が……。


「神っていうのは、その……」


 概念的な話をしているのだろうか。


「なんだ、お前、世界の記憶を見たんじゃないのか? 神は神だ。それ以上でも、それ以下でもない。この世界を創り、統治する者」


 その言葉が僕の記憶を刺激する。それは、天地創造の記憶。


「神……」


 あの記憶はどんな言葉よりも雄弁に、その存在を実感させた。


「あぁ、紛れもなく本物だ。それが善なのか、悪なのかは別としてな?」


 善と悪、その答えをナカシュは知っているのだろうか……。


「まぁ、焦るな。ひとまず状況整理をするぞ。ここは見ての通り廃墟だ」


 彼の言う通り、僕達の周囲には瓦礫の山が積み重なっており、足元にはガラス片が散らばっている。


「どうやら、そうみたいだね……」


 一体こんな場所に、何があるというのか……。


「ここは、神が統治を放棄した掃き溜めってわけさ。奴らの目を盗むにはうってつけの場所だろ?」


 ナカシュが何やら得意げな様子で語っている。


「なぜ、隠れる必要がある?」


 僕はこの世界に来たばかりだ。当然、犯罪など犯した覚えはない……。


「おいおい、冗談きついぜ。この世界での最大の罪は、禁断の果実を口にすることだ。つまりお前さんは、超一級の犯罪者ってわけ」


 一ミリたりとも笑えない話なのだが、彼は必死に笑いを堪えている様子だ。


「終わった……」


 僕の二度目の人生は、一日目にして終わりを告げたようだ。


「おいおい、落ち込むのにはまだ早い。俺様が何の為にいると思う? もちろん神の目を欺く為さ。シュウよ、俺様の命に誓って約束するぜ。お前の罪はバレちゃいねーよ」


 自信に満ちたその言葉が、油断や慢心の類いでないことを祈るばかりだ……。


 まぁ、どの道、今の僕には頼るべき存在が彼しかいない。ならば、今すべきことは情報収集だ。


「あのさ、さっきの力のことなんだけど……」


「あぁ、レプリカのことか?」

 

「そのレプリカって力はナカシュにしか使えないの?」


 この世界で暮らすのならば、おそらく重要な情報だろう。


「いいや、エバの子ども達なら全員が使える。つまり、この世界の者は皆、その力を大なり小なり持っている。そして同時に、その罪を背負う運命だ」


「エバ? 罪?」


「どうやら、授業はここまでのようだ。今は目の前の厄介事が先だ……」


 その口調は、先程までの軽いものではなく、一定の緊張感を含んだものだった。

 ナカシュの視線は鋭さを増し、何かを警戒している様子だ。その視線につられ、僕は後ろを振り返る。


 するとそこには、二メートルは優に超えるであろう大男の姿があった。


「`bkgv`khg、`ghsbvd>bjcdjsl、ydrgkdcyjfyfklv」


 体格に見合った大きな声だが、あいにく、その男が使う言語が理解出来ない。


 そうして謎の言語に困惑していると、ナカシュが僕の身体に軽く巻きつき、そのまま首筋を噛んだ。

 

「おい、てめぇ、見ねぇ顔だな? さっきからずっと何を一人で喋っていやがる!」


 理解不能だった男の言葉が急に聞き取れるようになった。これもナカシュの力なのだろう。


 その男は威圧的な態度で唾を撒き散らしながら、大股でこちらに迫ってくる。


「えっと、僕は隣りにいる蛇……。じゃなくて、ナカシュと会話をしていただけなのですが」


 出来るだけ柔和な声音を意識して、相手を刺激しないよう試みた。


「おちょくってんのか? てめぇはどう見ても一人だろうが!」


 大男が体格に相応しい分厚い手を鳴らし始めた。


「え?」


 その疑問符が口から滑り出すのと同時に、目の前の男が拳を鋭く振り下ろす。

 

 その一撃は喉元を襲った。一瞬で口内に血の味が広がる。続けて腹に強烈な衝撃が加わり、腹部を蹴られたのだと自覚する頃には、すでに身体は地面に倒れていた。


 衝撃に次ぐ衝撃で、脳が現状を把握することを拒み始めていた。このままでは死ぬかも知れない。ついこの間までは自分の決断で死を望み、それを実行したにも関わらず、今は何故だか死が怖い……。


 自由という名の餌に、僕の覚悟は揺らいでしまったのか。痛みよりもその事実が、僕の意識を奪おうとする。


「こんな奴でも売れば金になるのか? まぁ、駄目元で連れて行くか」


 薄れゆく意識の中で最後に聞こえたのは、大男が発する不穏な台詞だけだった。

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