第三十六話『嫉妬』
朝の礼拝が終わり、僕とリファは揃って学び舎へと向かう。他の教団については分からないが、ウェヌス様が統治するこの教団には『フィリア』と呼ばれる修学の為の施設があるのだ。そこでは、教団内の信徒の中で十二歳から十八歳までの子ども達が学問や信仰について学んでいる。
記憶を失くした僕には自身の正確な年齢は分からないが、僕の見た目から十八歳には達していないだろうという曖昧な判断のもと、僕はフィリアへと通っている。
記憶もなく拾い子である僕には学問の知識があまり無い。拾われてからのニ年で、ある程度の勉強はしたつもりだが、そんな背景もあり、僕は二回生として在籍している。
まぁ、何にせよ些細なことだ。
額に残った唇の余韻だけで僕は幸せを感じられる。先程のことを考えると、ついつい頬が緩んでしまう。
「シュウ、ちょっとデレデレし過ぎよ!」
隣を歩く少女が刺のある言葉を投げかけてきた。
「少しばかり信仰心が強いだけさ」
「ふーん、どうだか? 別にシュウが何を考えようと興味なんてないけどね!」
リファの言葉に僕の瞳が赤く染まる。
彼女は本当によく僕を心配してくれているようだ。
「ありがとう」
「な、なにがよ!!」
「いつも僕を心配してくれるから」
「べ、別にあんたの事なんて、心配なんかしてないわよ!!」
僕の視界が更に赤みを増す。その視界においても際立つ程に、彼女の顔は一面真っ赤に染まりきっていた。
「うん、ありがとう」
「い、意味わかんない!!」
彼女の小さな顔はもう爆発寸前である。
そんな会話を繰り返していると、いつの間にか目的の門の前まで辿り着いていた。
真っ白な門を通り抜けると、いくつかの建物が見え始める。
「今日は中庭で剣舞の授業があるんだよね?」
「そうよ、どうしたの、もしかして怖い?」
リファのその問いには、からかうようなニュアンスが感じられた。
「そうだね、以前の僕がどうだったかは分からないけれど、少なくとも今の僕は剣を握ったことなんて無いからね」
「そ、そう……。で、でも大丈夫よ! 私だってあまり得意ではないけれど、あくまでも稽古なんだから!!」
彼女は僕が記憶を失くしていることに気を使ったのか、戸惑いながらも力強くそう言った。
リファも僕と同じ拾い子だが、彼女にはちゃんと記憶がある。それはある意味、僕よりも辛い境遇なのではないだろうか。
拾い子の過去など、往々にして楽しいものではない。深い事情は知らないが、彼女には親に捨てられた記憶が残っているはずだ。それなのに彼女は、いつも毅然とした態度で今の暮らしを送っている。
僕もリファも決して友人が多い方ではなく、どちらかと言えば周りから孤立している状況だ。にも関わらず、彼女が弱音をこぼす姿を一度たりとも見たことがない。
「ありがとう」
僕は何度目とも知れぬ礼を述べる。
リファにはいつも助けられてばかりだ。
「べ、べつに、あんたのことなんてどーでも良いけど、隣で辛気臭い顔をされても困るし、そ、それだけなんだから!!」
優しい嘘が視界を染める。
「うん、うん、分かってるよ。ありがとね」
「な、なによ、その態度。か、勘違いしないでよね!!」
何故かその言葉に懐かしさというか、ある種の様式美のようなものを感じるが、それが何故なのかは分からない。何せ僕には記憶がないからだ。
そうこうしている内に、青々とした芝生が植えられた中庭へと辿り着いた。寸分の狂いもなく切り揃えられた草木達が日の光を受け、気持ち良さそうに風に揺れている。
すでに他の信徒達は集まっているようで、各々の友人同士でかたまり、いくつかの集団を形成していた。そして、その中の一つの集団が僕ら二人の方へと向かってくる。
「よう、捨て子のお二人さん、今日も仲良く傷の舐め合いか?」
その集団のリーダー格の少年が嘲笑混じりに話しかけてきた。
「おはよう、ザイーフ」
特に交わす言葉もないので、無難なモノを選んでおく。
「ちっ、調子に乗るなよ、捨て子風情が。どんなイカサマで寵愛を得ているんだか」
赤紫の瞳が僕を睨みつける。
「女神様がイカサマ程度に騙されると? 僕への侮辱は結構ですが、その言葉は背信行為に触れますよ」
「黙れ、貴様ら捨て子はこの教団には相応しくない!」
「それはあんたが決めることじゃないでしょ!」
僕の隣で沈黙を貫いていたリファが怒鳴る。
「はいはい、そこまで」
時間通りにやってきた男性教師が二人の仲裁に入る。
「覚えておけよ」
捨て台詞の見本のような言葉を吐き、取り巻きと共に後ろへと下がるザイーフ。
その場が静かになったタイミングで教師が再び口を開く。
「さて、今日は剣舞の訓練の時間だ。しかし剣舞とは言っても、ただ剣を持って踊るわけではないぞ? 我らが女神は美を司る。従って我ら信徒も常に美しく在らねばならない。それは命を賭けた戦いの場においてもだ。剣を手に、舞うように戦う姿から、剣舞という名が与えられたのだ」
その言葉に耳を傾けながら、支給された模造刀を眺める。
「美しい剣舞には、女神の御加護が強く宿る。我々は常にそのことを忘れてはならない。では、質問が無ければ実演に移るが?」
「一つだけ宜しいでしょうか」
真面目そうな青髪の少女が教師へと問いかける。
「何かね?」
「例年であれば、剣舞の演習は四回生になってからと聞いていましたが、なぜ二回生の私達がすでに学ぶことが許されるのでしょうか?」
「良い質問だね。それは、二年前の戦争に起因する。神が率いる教団同士が表立って争うのは歴史上初めてのことだった。我々は自衛する為の力を付けなくてはならない。だから、今年の二回生からは剣舞の訓練が行われるのだ」
「ありがとうございます」
その説明に納得したのか、青髪の少女は静かに首肯した。
「では実演に移る」
そう言って模造刀を構えるその姿は、教壇に立つ教師などではなく、一人の剣士そのものだった。
模造刀の剣先が流麗な動きを見せる。まるで音楽をバックにダンスでも踊っているかのようだ。
剣の動きもさることながら、その足捌きの滑らかさは、素人目に見ても美しいことが分かる。一連の流れが切れ目なく繋がるその様は、穏やかな川のようでもあり、時折伝わってくる力強さは燃え盛る炎のようでもある。
「凄い……」
誰からともなく出たその言葉は、この場にいる全員の総意だろう。
教師の実演が終わり、僕達も模造刀を構える。
そして二時間近くひたすらに型を繰り返し、皆の動きも少しは様になってきていた。
「ほう、筋が良いな」
リファの型を眺めながら教師が呟く。
「あ、ありがとうございます」
少し頬を染めながらも、その横顔はどこか得意気だ。
「では、少しばかり実戦といこうか。誰か、リファ君と手合わせしたい者は?」
「はい、俺が相手します」
教師の言葉にすぐさま反応したのは、ザイーフだ。
「よし、二人とも前に来なさい。ルールは一つ、模造刀とは言えど、相手の身体へ当ててはならない。つまり、剣同士のぶつかり合いだけだ。万が一負傷した場合は、すぐに救護室にて回復のレプリカを受けて貰う。そして怪我をさせた側は一週間の謹慎だ。いいね?」
『はい』
リファとザイーフの言葉が重なる。両者の目は鋭く互いを睨み合っている。
まぁ、説明にあった通り、万が一のことがあれば、レプリカの治療が受けられる。教団内での力の使用は禁止されているが、こう言った一部の例外もあるのだ。
しかし、本当にこの組み合わせで大丈夫なのだろうか……。
そんな一抹の不安を抱えながらも、戦いの火蓋は切って落とされた。