第三十四話『消失』
銃弾は人の命を奪う。ならば命の価値は鉛玉と同じ重さなのだろうか。仮に同じだとしても僕が奪った命の数を考えれば、とても一人の身体では支えきれない重さだろう。だから僕は投げ出したのか。僕が命を奪い、奪われた彼らが僕の身体を操っている。
集合意識、そんな可愛らしいものではないのかも知れない。僕が殺した彼ら彼女らは、今もなお、僕の中で死に続けているのだ。
そんな数千にも及ぶ意識の呪いが、神を求めて突き進む。
戦火などは気にもとめず、最短距離を走るだけだ。
そうして辿り着いたのは、石造りの巨大な扉の前。
その扉は僕達を歓迎するかのように勢い良く開かれた。
部屋の最奥に座るのは一柱の神。
軍神の名を持つ男だ。
「遅かったな。待ちくたびれたぞ。いや、今の貴様に言っても仕方あるまいか」
神は立ち上がることもせず、つまらなそうに言った。
「神よ、あぁ神よ」
僕の中の何者かが声を上げる。
「斯様に醜悪な祈りもあったものだな」
神の瞳には失望の色が見て取れる。
「神よ、我々は貴方様と一つになります」
「リリース」「リリース」「リリース」「リリース」「リリース」「リリース」「リリース」「リリース」「リリース」「リリース」「リリース」「リリース」「リリース」
僕の口から、数多の呪いが紡がれる。
荒れ狂う炎が神の身を焼き、風の刃がその首を落とし、その上からは氷塊と雷が降り注ぐ。それはこの世のあらゆる天災を凝縮したかのような光景だった。
神の身体は無残にも心臓だけが残ったが、音も無く現れた銀の槍がその心臓すらも床へと突き刺した。
心臓から噴き出すのは光。
その光が形を作り、時間を巻き戻すかのように神の身体を再生させる。それは一秒にも満たない時間。一秒足らずの奇跡。
傷一つ無い神が最初と同じように、ただそこに座っていた。そして神は何事も無かったかのように口を開く。
「信仰を失った神ならば殺せると思ったか。甘い、俺は失ってなどいない。何故なら、貴様の中にはまだ、信仰心という名の呪いが渦巻いているからだ。哀れな羊よ。貴様が生きている限り、俺を殺すことなど不可能」
その言葉を聞いて最初に感じたのは、間違いなく安堵だった。それはこの場面を俯瞰的に見ている僕も、僕の身体を支配している彼らも同じだったことだろう。『なんだ、その程度のことか』と。神と一つになることを求める彼らも、神の死を願う僕も、自身の命一つで叶うのであれば、喜んでそれを差し出す。
そう、これが僕達の総意だ。
「リリース」
神の身体を青い炎が包む。
「人は学習せぬか。悲しき生き物だな」
炎に焼かれながら神は退屈そうに言った。
「リリース」
風の刃が首を落とす。しかし先程と違ったのは、その刃が落とした首は、僕自身のモノ。
不思議な感覚だ。まさか、自分の首が落ちるシーンを見せられるとは。
だがこれで、僕の中を侵す信仰が解けた。それはつまり、神の不死性の喪失を意味する。
悪くはない。神を道連れに死ねるとは。むしろこれは大金星と言えよう。海老で鯛を釣るどころの話ではない。人で神が釣れたのだから。
「なるほど、俺は人を見くびっていたようだ。貴様らの信仰、貴様の殺意。良い、実に良い。貴様は俺を愉しませた。見事だ……」
燃え盛る青い炎の中、軍神マールスは笑っていた。
罪人を焼くのが業火ならば、神に捧ぐこの炎は聖火と言ったところだろうか。
神の最期が火葬とは、あまりに簡素と言えようか。しかし、火の教団の神が死ぬのには、悪くない演出だろう。
身体から離れている意識が徐々に薄れていくのを感じる。
ようやく死が僕を受け入れようとしている。
僕の心的実態はきっと、今よりも抽象的な何かへと還るはずだ。
後は死に身を任せるだけだ。ようやく……。
『やっと邪魔者が消えた。これでようやく話せるぜ。それにしても良くやったなシュウ。ひとまずは一匹目だ。残りは後六匹だな!!』
せっかく死を受け入れたというのに、その緊張感のない無粋な声が僕の心に語りかける。
『すまないがナカシュ、僕はもう疲れたんだ。大人しく死なせてくれ』
ルーベンスの絵は無いが、僕の死に場所はここで良い。
『奴隷商に捕まった時の約束を覚えているか?』
『一体何の話さ? どうでもいいけど静かにしてくれ』
本当に空気の読めない奴だ。
『意識だけは飛ばすなって言っただろ? お前は俺様との約束を守った。ならば俺様も約束の対価を払おう』
ナカシュはそう言って、首の飛んだ僕の身体へと近づく。そしてその身体を一気に丸呑みにする。
僕はそれをただ上空から見ていることしか出来ない。
『おい、やめてくれ、余計なことをするな!』
僕はもう……。
皮肉なことに、その祈りが神へと届いたのか、光の粒子となって消えかかっていたマールスが最期の力を振り絞り言葉を放つ。
『蛇よ、命を賭した戦いの結末に、無粋な真似はやめよ』
光の粒子がナカシュを包む。
『ちっ、死に損ないが余計なことを。くそ、不完全だがやるしか……』
その光は音すら呑み込む。
黄金の輝きは暴力的なまでに眩しく、何よりも美しかった。
全ての色が光へと収束する。
そして僕は……。