第三十三話『精神と身体』
自身の身体を他者に操作される感覚。これは洗脳などと言った精神的な話をしているのではない。自らの意思とは別に身体が動く感覚。
精神の在り処など僕には分からないが、今まさに僕は自身の行動を俯瞰的に見ていた。それはむしろ不感的と言えた。
自分では無い何者かが、代わる代わる身体を操る。それはとても流動的で、僕はぼんやりとその様子を眺めていた。
「リリース」
己の口から自身では無い何者かが言葉を紡ぐ。
前に突き出した手の平からは、見た事もない青い炎が生み出されている。
その炎の塊は、僕の中の何者かの意思によって動いているようで、揺らめくそれは、要塞内の壁を焼き払う。
唐突な僕の奇行に対し、大勢の兵士が周囲を囲む。
「おい、何をしている!?」
血相を変えた兵士がこちらに向かって叫んでいる。
しかし、僕はその光景をただ呆然と眺めることしか出来ない。
「リリース」
僕の口を介して、また別の誰かが言葉を放つ。
すると次の瞬間、周囲を囲んでいた兵士達は全員、氷塊へと姿を変え砕け散った。
彼らの命は消え、僕の中へと流れ込む。
そうして僕の意識はまた、僕から少し遠ざかる。
何かを察したイブが、真っ直ぐにこちらへと近づいてくる。そしてそのまま、首元にぶら下がっている石を僕の胸へと押し当てた。
「やめろ!!」
僕の中の何者かが絶叫する。
その石は、罪を盗み出すように、次々と彼ら彼女らの精神を吸収していく。
「リリース!」
僕の中の誰かが苦し紛れに叫んだ。
すると周囲には強烈な閃光がはしり、全員の目が眩む。
炎で焼き払った壁から要塞の外へと脱出する。
外に飛び出した僕の身体は重力に従い落下するが……。
「リリース」
次の瞬間には重力が弱まり、緩やかな着地を遂行していた。
これだけの力が身に宿ったというのに、全能感はおろか、達成感の一つすら感じない。
僕が奪った命の多くは、神を信仰していた者達だ。だからだろうか、集合意識とでも呼べる感覚が、ただひたすらに神を求めていた。
「神よ」
「あぁ、神よ」
「あなたと一つになれるのであれば」
僕と、僕が殺した人達の総意は皮肉にもここで合致することとなる。
神を殺したい僕と、神と一つになりたい彼ら。
目的は違えど、今の僕達にとってそれは同義であった。
「リリース」
その言葉の直後、僕の身体は加速する。それを身体で感じているのではなく、俯瞰的に覗き見ているのだ。
今までの自分では考えられない程の膂力。しかし、僕には地を蹴る感覚すらない。
凄まじい速度で突き進む己を、ただひたすらに眺めているのだ。
僕は今、何処にいるのだろう? これは心的実態とでも言うべきか。僕は期せずして実体二元論を証明したことになる。デカルトよ、貴方は正しかった。
そんな意味のない思考に没頭していても、僕の身体は他の誰かの意思によって突き進む。
今や戦場には、ほとんど生き残りなどいないが、運良く生き残っていた信徒が茫然自失になりながらも手に持つ銃で鉛玉を吐き散らしていた。
その一発が、こちらへ向かって飛来する。
「リリース」
またも誰かが僕の口を無断で使う。
直後、銃弾は眼前にまで迫ったところで弾かれた。慣性に逆らったようなその軌道はまるで、見えない障壁に衝突したかのような動きだった。
銃弾を放った男の顔は恐怖に染まっていた。手に持っていた拳銃を放り投げ、何事かを呟いている。
すると次の瞬間、僕の身体は地に伏した。
周囲の地面には鋭い亀裂が入っている。まるでその一帯の重力だけが強まっているかのような現象。
生憎と感覚が無いため分からないが、きっと強力なレプリカなのだろう。この男が生き残っていたのは偶然ではないのかも知れない。この力、僕が使うべき力だ。寄越せ……。
「哀れな信徒に救済を。魂の自由を与えよう。何も恐れる事はない」
僕の口が勝手な言葉を口走る。
攻撃を受けながらも穏やかな僕の表情を見て、目の前の男の顔は更なる恐怖で歪んでいた。
「リリース」
その言葉が男に届いたかはわからない。次の瞬間には、風の刃が彼の首を落としたからだ。
「恐れる事は何もない。あなたは私の一部となった。神の祝福があらんことを」
まるで敬虔な信徒のように、僕の身体は天を仰いでいた。
曇天の空は、今にも泣き出しそうな灰色一色。
いっそのこと泣いて終えば、この戦火も消えるというのに……。