第三十話『命の流れ』
僕のせいで罪の無いシスターが死んだ。
僕のせい? 僕の過ち? 僕の罪?
頭の中をかき乱すこの感情はなんだ。一体どこに正解があったというのか……。
真っ暗な闇の中を何の導もなく彷徨う。右も左も分からない漆黒の中、その声は僕の衰弱しきった心へと囁く。
「馬鹿を言え、シュウ。この世の不条理は全て、神の設計ミスだ。お前が抱え込むことじゃない。なら、やることは分かるだろう?」
細長い舌から紡がれるその言葉は、僕の思考に甘い蜜を垂らす。粘着質なそれは生温かく、ゆっくりと心の隙間へと染み渡る。
「さぁ、目を開けろ」
その言葉に惹かれるようにして、僕は現実を直視する。
闘技場らしき空間にはよく知る二人が対峙していた。その一方は女騎士、もう一方は眼鏡の男。
レプリカによるものなのか、数人に分身した男が一斉に女騎士へと襲いかかっている。
しかし、僕には見えた。幻覚を見せる、すなわち、嘘を披露する飼い主の本体が。赤く染まってみえるその醜い姿が。
これは断罪だ。神の設計ミスで出来た世界ならば僕が裁いたとて、問題はない。
懐から拳銃を取り出す。あまり詳しくはないが、回転式拳銃と呼ばれる代物だ。弾数は六発。銀色のそれはあまりにも冷たく、だからこそ、僕の手にはよく馴染んだ。
こんなものを撃ったことはない。しかし、不思議と外れる気はしなかった。
目の前の男が重ねた嘘の歴史が、一本の赤い糸となって見えるのだ。僕はただ、その糸を目印に引き金を引く。
その銃声は、自由への鐘。
糸の先を辿る弾道は、そのまま男の頭蓋を貫通した。
飛び散る鮮血は、嘘のように赤い。
背中の烙印が消えるのを感じる。
ようやく自由を手に入れた。もう失いたくはない。例えこの手が汚れようとも……。
自由を奪う者からは、全てを奪え。
僕の憎悪に呼応するかのように、命の炎が燃え移る。
一人の命が消え、得体の知れない何かが僕の中へと流れ込む。
それらが細胞を侵し、新たな僕を構築する。
「待ちくたびれたぜ、シュウよ。やっと人を殺したな」
嬉々とした声でナカシュが笑っている。
そうか、僕は人を殺したのか。でもまぁ、人殺しは初めてではない。何故なら僕は、自分を殺した事があるのだから……。
「何がそんなに可笑しい?」
僕はナカシュへと問いかける。その声は、とても自分の口から出たとは思えない程に冷たいものだった。
「お前の嘘を見抜く力は異世界渡航者としてのギフトだ。つまり、お前があの木から得た力は他にある」
「能書きはいい」
無駄な時間に付き合っている余裕はない。
「いい目になったな。今のお前ならば使えるだろう。お前が善悪の木から盗み出した力は、殺した相手のレプリカを奪う力だ」
どこまでも愉しそうに、歪んだ笑いを溢すナカシュ。
「随分と気前の良い力だな」
にわかには信じ難いが、先程の命が流れ込む感覚がそれを真実だと語っていた。
「そりゃあ、そうだ。善悪の実を直接喰ったやつなんざ、人類史上三人だけだ。偽物などではない、紛うことなき本物の奇跡だからな」
ナカシュの目はここではない、何処か遠くを見つめていた。
「醜悪な奇跡もあったものだね」
罪人の命すら無駄にしないとは、まさに神の慈悲と言ったところか。実に胸糞悪い力だ。
だが、しかし、今はその力に縋る他ない。
アッシェ・ウィクリフ。僕の元飼い主。その命、精々有効活用させて貰う。
「リリース」
不思議とその言葉が口をついて出た。開放とは皮肉なものだ。
立ち上がった僕を見つめるのは、闘技場の中央に立つフレア。その顔は驚愕の色に染まっていた。それもそのはず、おそらく彼女には、僕の分身が見えているはずだ。先程まで戦っていた男が死に絶え、その力を、違う男が使っているのだ。混乱するのも無理はない。
僕は彼女に命を救われた、そして今、僕が彼女の命を救った。
「これで貸し借りは無しだ」
僕はそう言ってイブの手を取り、闘技場の出口へと向かう。
「待て!」
呆気にとられていたフレアが自分の役目を思い出したのか、瞬時に立ち上がり、僕の目の前へと立ちはだかる。
「ごめんなさい」
僕はそう言って引き金を引く。僕の幻影に立ちはだかる彼女を背後から撃ったのだ。
神に祈らない僕の懺悔は、一体どこに向かうのだろう。
拳銃を握っていない方の手が、強く握られるのを感じる。
「大丈夫」
それは、宛名の無い懺悔への許しか、白い少女の呟きだけが、僕の足を前へと進めた。