第二十八話『それぞれの信念』
少年の手から力が抜けたのがわかる。
「おい、どうしたシュウ」
私の背から降りたその少年は、どこか遠くを見つめている。
「おい!」
強い呼びかけにも一切の反応を示さない。
私はこの目を知っている。これは死を真っ向から直視した時の目だ。大義もなく、只々人を殺していたあの頃の私とよく似ている。
しばらく彼は戻ってこられないだろう。
「まったく、仕方がない」
右手の剣を鞘へとしまう。そして左手に少女、右手に少年を抱える。
こんな姿で戦場を駆ける日が来るとはな。
戦況の把握は済んだ。後は激戦区を避け、彼らをメルクリウス様の元へと届けるだけだ。
それにしても、この白一色の少女は一体何者なのか……。
知らない女に抱えられているというのに、一切の動揺どころか、少しの反応すら示さない。
肝が据わっているなんて生易しい表現では足りない。この少女は何かが欠落している……。
暗い感情に飲み込まれた少年と、感情そのものを切り離したかのような少女。
まったく、とんだ子守もあったものだ。戦場に飛び交う銃声はさながら、彼らを寝付かせる為の子守唄といったところか。その唄は永眠へと繋がる調べを奏でている。しかし、その音色は決して私に届くことはない。何故なら私には、生まれ持った力と神の御加護があるからだ。
意識が充実していくのがわかる。外界の音は遠ざかり、世界の動きがペースを落とす。両足に力を入れ、屋根の上から飛び降りる。
三人分の重力が私の身体を捕らえるが、そんなものは誤差の範囲でしかない。
両足が地を踏み締める。
大まかではあるが、最短帰路は理解した。
「さて、いくか」
宛名の無い一人言のはずだったが、何やら背後に気配を感じる……。
「何処に行く、それらは私の所有物だ」
その言葉に後ろを振り返ると、そこには銀縁眼鏡の神経質そうな男が立っていた。
「馬鹿を言え。この戦争は時期に我らがメルクリウス教が勝つ。ならば戦利品を連れ帰ろうが問題あるまい?」
「これは異なことを。我らが神は軍神。貴様、本気でいっているのか?」
眼鏡の奥の瞳が私を強く睨みつける。
「笑わせる。銃などと言ったくだらない玩具を持ち出しておいてよく言う」
神の御加護を受けない武器など鉄屑同然だ。
「そいつらを手放せば、見逃してやる。そうでなければ、女とて容赦はしない」
男の目つきは更に鋭さを増す。
「安心しろ、私は手加減してやる」
そうは言ったものの、目の前の男はそれなりの腕を持っているだろう。その立ち姿からは武の心得を感じる。両手が塞がっていては、逃走するのも難しい……。
「その度胸だけは買ってやる。ついて来い。ここで戦い、流れ弾でそいつらが死んでは元も子もない」
男はそう言って走り出した。
誘いに乗るか? いや、罠だろうか? しかし、どの道この状態で争えば、私の命は無い。ならば場所を移す他ない。
警戒しつつも私は男の背を追いかける。
* * *
ようやく奴隷を見つけたかと思えば、何やら赤髪の女がそれら二人を抱えているではないか。
まったく、今はそれどころでは無いというのに。マールス様の命令がなければ奴隷の一人や二人放っておく局面だ。何故だか主神はあの少年を気に入っている。
それにしてもあの赤髪の女、一体どうなっている。二人の人間を抱えたまま、一切の乱れなく私の後をついてくる。
赤髪の女騎士。どこかで聞き覚えがある……。
記憶の断片を探りながらも、足だけは動かす。
あれは何年前の事だっただろうか。少なくとも十年近くは前のことだ。赤髪の幼子が戦場に……。
しかしどうやら、記憶の再生をまたずして目的の場所へと着いてしまったようだ。
ここを訪れるのは何年振りだろうか。教団からはそれなりに距離のある施設だからな。
我が主神は戦いを好む。その神が自ら作らせた建造物。
普段はもう使われることはなくなったが、その昔ここでは、人間と魔物が日夜戦わされ、見せ物になっていたという。
石造りの門を潜り中へと入る。
広大な空間が扇状に広がっており、その空間を囲むようにして数えきれない程の客席が用意されている。しかし当然ながら、これから始まる戦いを見届ける観客などいない。
この場所に与えられた名は『死の闘技場』
その床は数え切れない程の人の血を啜ってきたに違いない。
果たして異教の女の血は気にいるだろうか。
まぁいい。私は私の信仰に従い、目の前の女を殺すだけだ。
我が命は主神の剣。
道具の私が決める事など、何一つとして無いのだから……。