第二十六話『愛の色』
早朝の訓練を終え、湯浴みを済ませた私は主の元へと向かう。女とは実に不便だ。この長い髪も、無駄に育ってしまった乳房も、戦闘の邪魔でしかない。騎士である私にとっては、どちらも無用なものだ。
しかし、この赤い髪は我らが神の寵愛を受けている。だからこれだけは、切るわけにはいかない。メルクリウス様が美しいと仰ったのだ。
私はこの赤い髪が嫌いだった。血を吸う死神と怖れられた我が一族の象徴。
それでも神は、返り血に塗れた私を美しいと。戦場に咲く薔薇のようだと。
そして大義を、ただの人殺しだった私に役目をくださった。
だから私は、メルクリウス様の剣となり、盾となるのだ。
決意を新たに、歩を進める。
それにしても珍しい。メルクリウス様がカジノの一室ではなく、教団本部におられるとは。
そんなことを考えていると、いつの間にか目的地へと辿り着いていた。
真っ白な扉が目の前に。
ノックをしようと手を伸ばしかけた瞬間、部屋の中から声が。
「入りなさい」
「はい。失礼します」
背筋を伸ばし、一礼する。
「君が来て失礼なことなどあるか、楽にしなさい。ほら腰掛けて」
「はい、失礼します」
「まったく、君の緊張はいつになったら溶けるのだろうね。まぁ、そこが愛らしくもあるのだが。君が来て九年だったかな?」
「いいえ、私が八歳の頃だったので、十年になります」
右も左もわからない戦場の中、ただひたすらに人を殺す日々。兵器として使いまわされた私をメルクリウス様が拾ってくださった。
「そうだったね。私達神からすると、一年や二年は数秒にも満たない感覚なのさ。私はこれでも覚えている方だ。そうだろ?」
「はい、感謝しております」
私はそう言って深々と頭を下げた。
「おいおい、ゴッドジョークさ。そんなに身構える必要はないよ。まったく、愛しがいがあるよ、君は」
微笑まじりのその言葉に、私の頬は熱を持つ。
「あ、あの、本日はどのような……」
私は何かをごまかす様にそう呟く。
「フレア、戦争を始めよう」
神の声音はまるで、散歩のお誘いでもするかのようなあまりにも気軽なものだった。
「は、はい!」
私に異論などない。しかし、気がかりが一つ。あやつは果たして逃げ切れるだろうか……。
「安心しなさい。彼は君が迎えに行くと良い」
それは私の心を汲んだ言葉なのだろうか。
「私はメルクリウス様の騎士です。戦争ともなれば警護が……」
「私の言葉に不服ですか?」
神の双眸が私を射抜く。
「い、いえ、とんでもない」
手の震えを抑えながら、なんとか言葉を絞り出す。
「それにこれは君にしか頼めない最重要任務だ。あの少年は使える。だからこそ、君に頼みたい」
その笑顔にはある種の強制力があった。
しかしそれは、私にとっては慈愛の一部だ。
「必ずや」
私はただ一言そう言って、深く頭を垂れる。
私は愛が欲しい。
あの日に戻るのは嫌だ。
私には、命を奪うことしか出来ない。
奪うだけで与えない。
ならば、その略奪には、せめてもの理由が欲しかった。
愛の色は何色だろうか?
きっとそれは赤いのだろう。血塗られた人生の先にこそそれはあるのだから。
神は言った。
『私の為に殺しなさい』と。
ならばきっと、愛の色は薔薇色だ。