第二十四話『善悪と命』
神の手の平で踊る村人A。それが今の僕に与えられた役。この立ち位置を抜け出すにはまず、何よりも情報が必要だ。
僕は一冊の分厚い本をめくる。シスターから借りた、この世界の歴史について記された本。
古びた表紙をめくり、文字の世界へと没頭する。
これは神が、人に失望するまでの歴史。神の魂が一つだった頃の伝承。
八日目の夜へと繋がる軌跡。
* * *
《人の誕生》
神は土の塵から人を形づくり、その鼻へと命の息を吹き入れた。人はこうして生を手に入れた。
最初に造られた男の名はアダム。
彼は、神が設けたエデンの園へと置かれた。
神はエデンの園に、多くの木を生み出した。それらは見るからに好ましく、食べるのに良いものをもたらす木々だ。また、その中央には、命の木と善悪の木を置いた。
神はアダムへと言った。
「この土地を耕し、守りなさい」
神は続けてこう命じる。
「園にある果実は全て与えよう。ただし、命の木と善悪の木からは、決して食べてはならない。それを口にすれば、破滅が訪れる」
アダムの心に、神との誓いが刻まれる。
「人が独りでいるのは良くない。あなたを助ける者を創ろう」
神はそう言って、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、アダムへと与えた。
時間を持て余していた神は、アダムがそれらの創造物をどう呼ぶのかを眺めていた。
アダムはあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う連れ添うものを見つけられなかった。
神はそこで、アダムを深い眠りに落とされた。
彼が眠りについたのを確認し、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
そして、そのあばら骨から女を造り上げた。
アダムはその女と結ばれ、二人は一体となる。
二人は裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。
《蛇の誘惑》
神が造られた野の生き物の中で、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。
「お前は何を食べて生きているのだ?」
「私たちは木に実る果実を食べています」
女はただ、事実を述べる。
「全て自由にか?」
「いいえ、園の中央に生えている木だけは禁じられています。触れるだけでも死んでしまうと、神様はおっしゃいました」
「死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなる。神はそれを知っていて、黙っているのさ」
蛇は女へと囁く。
女が見ると、その木の果実はいかにも美味しそうで、それはとても心を惹きつけた。
それは知識欲の始まりであり、原初の罪。
女はその実を手に取り口にする。
知識の始まりが彼女へと流れ込む。
女はその味を共有する為、男にもそれを渡した。
二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、初めて羞恥を知る。
二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
その日の風の吹くころ、神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女は、神を恐れて、木の間へと隠れる。
「どこにいるのか」
神は二人に問う。
「あなたの足音が聞こえたので、隠れております。私は裸ですから」
アダムは震える声で言った。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。食べるなと命じた、善悪の木から食べたのか」
「あなたが私と共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたのです」
「何ということをしたのか」
神は女へと激怒した。
「蛇がだましたのです」
女の話を聞いた神は、蛇へと告げる。
「このようなことをしたお前には呪いを与える。お前は生涯這いまわり、塵をくらう」
その呪いとともに蛇は、エデンの園を追放された。
続いて神は女に向かって言われた。
「お前の子は全て、罪を背負うこととなった。力の対価を払うのだ。お前の子は神を敬い、全てを差し出すこととなる。そうして卑しくも、盗み出した力にすがって生きるのだ」
最後に神は、アダムへと命じる。
「お前は女の声に従い、誓いを破った。お前には孤独を与える。女と子を設けたのちに、女の命を奪う。そしてお前を追放する」
《罪の対価》
アダムは女をエバと名付けた。名の由来は命だ。彼女が命ある全ての母となるからだ。そして、彼女の命が間もなく消えるからである。
そして彼女は子を産んだ。つまり、彼女の役目は終わったのだ。
神は言われた。
「人は私のように、善悪を知る者となった。善悪の木はおろか、命の木からも取って食べ、永遠に生きるおそれすらある」
神は一本の剣を手に取る。
それをそのままエバの腹へと深々と刺した。
煌く炎が彼女を包む。
炎に身を焼かれながらも、エバは笑っている。
「私は死なないわ」
彼女はそう言って、燃え盛る炎を纏い、エデンの園から身を投げる。
全能である神のあるはずの無い見落とし。
彼女の罪は一つでは無かったのだ。