第二十三話『軍神マールス』
巨大な石の門。そう言葉にすれば陳腐に聞こえるかも知れない。だが、それを目の前にしている僕は、その門が放つ威圧感に平静さを奪われていた。教団内にこんな場所があったなんて……。
「マールス様、シュウを連れて参りました」
僅かに震えるその声は、アッシェらしからぬ動揺の仕方だ。
その震えに呼応するかのように、無骨な音を響かせながら石の門が開かれた。
その奥には、一面大理石の仕切りのない広大な空間が。絢爛な玉座に座るのは一人の青年。いや、部屋の主を考えれば、それが玉座でないことはわかる。その青年が腰掛ける場所こそが、真の意味での神座だ。
神は僕らを一瞥し、つまらなそうに口を開く。
「アッシェよ、お前は下がれ」
その言葉には凄まじい強制力があった。それは決して怒声のような荒々しいものでは無いのだが、聞いた者の心を竦ませる圧がある。それは従わせることを前提としたものであり、純然たる支配者の風格を感じさせた。
「はい」
神の一言に、すぐさま従うアッシェ。
この男が、こんなにも従順になるとは……。
踵を返しアッシェが退室すると、僕の退路を断つようにして背後の門が閉じた。
石造りの冷たい部屋には、僕と神の二人きり。
「シュウと言ったな?」
橙色の瞳が僕を値踏みしているのが分かる。
その視線からはメルクリウスとは違ったタイプの圧を感じる。
それは、遺伝子に刻み込まれた原始的な危機感を刺激してくるものだ。
「はい……」
口内が乾いていくのがわかる。
「お前からは蛇の匂いがするな?」
その鋭い眼光はあらゆるものを萎縮させる。
「え……」
まさか、ナカシュの存在に気付いて。
「俺の前には姿を見せぬか」
心臓に強い視線を感じる……。
「いや、その……」
視線の圧にあてられ僕は言葉を失った。
「安心しろ。俺は他の神とは違ってな、あまり腹を探らない主義だ。種明かしは退屈に繋がるからな。俺は京楽を求めている。お前は俺を愉しませる存在か?」
「それは、どういう……」
神の意図が全く読めない。
「お前の策謀は俺を愉しませるに足るのかと聞いている」
その言葉はつまり、眼前の神は僕の裏切りを看破しているということ。その上で神は、僕を踊らせていると……。
「何文、大根役者の三文芝居ですので」
神の前で披露する演目など……。
「近頃は誰も踊りたがらない。三文芝居だろうが、それを企てるだけの蛮勇を愛そう」
それを人は慢心と呼ぶ。神ならばそれを何と呼ぶのだろうか。
「寛大な御心に感謝します」
本来ならば、今この場所で首と決別していてもおかしくはない。
「お前はただ、俺を愉しませることだけを考えろ。寝首が欲しければ策を弄じろ。その足掻きを、その過程こそが、人の唯一にして最大の面白味と言えよう」
神のその言葉からは、嗜虐と慈愛という本来合わさることのない相反する感情が同時に伝わってきた。嗜虐だけならばまだ良い。そこに慈愛が混じるが故に怖ろしいのだ。常軌を逸した感情、いや、人知を超えた何かが、ただ純粋に怖いのだ。
未知への恐怖は、常に人を支配している。理解出来ないことは苦しさそのものと言っていい。ならば、すべきことは決まっている。
「わかりました……」
神の言葉に首肯する。
僕は勘違いをしていた。
この世界は海ではない。小魚が泳ぐ水槽だ。
ならば、せめて、鑑賞用の熱帯魚を演じながら全力で泳ぎ回るとしよう。
この世界にとって僕は、違う世界から来た外来種。言わばピラニアの類である。
生態系を崩すのは、いつだってイレギュラーの存在だ。
自分が餌を与えているものの正体を神は知らない。
ならばここから先は、神さえ知らない世界となる。