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第二十一話『片思い』

 満腹感というのは、人の心に余裕を与える。そして、その余裕は無駄を生む。浪費とは毒だろうか。いや、浪費なくして人類に進歩は無かった。毒と薬は紙一重だ。


 まぁつまり、僕は今、無駄遣いを迫られていた。


 昼食も済ませ、後は教団に帰るだけのはずだったのだが、ある店の前でイブが突然足を止めたのだ。いや、これを店と呼ぶには、少々抵抗がある。


 地面に布を敷いただけの場所に複数の小物を並べ、店主らしき男は地べたに直接座っているではないか。明らかに胡散臭い。


 常人ならば、見て見ぬ振りをして素通りするはずの場所だ。しかし、僕の連れは、残念ながら常人ではない……。


「シュウ、これ」


 そう言ってイブは、布の上に広げられていた首飾りの一つを手に取った。

 砂埃を被っており、お世辞にも良い品だとは思えない……。

 

「えっと、何でこれなの?」


 店主の前でそう言うのは、いささか気がひけた僕は小声でイブへと尋ねる。


「シュウの目と同じ」


 そう言ってイブは、首飾りに埋め込まれた石を僕に見せる。


 その石は黒く、あらゆる輝きを失った無価値な物に見える。僕の目はこんなにも失意に満ちた色をしているのだろうか……。


「えっと、この首飾り、いくらですか?」


 まぁ、そんなに高価な品ではないだろうし、値段次第では買っても良いだろう。間違いなく浪費の類いだが、イブが食以外に興味を持つのは珍しい。


「十五万ルスだ」


 店主の男は、ただ一言そう言った。


「え?」


 聞き間違いだろうか。十五万ルス? 

 言ってはなんだが、この小汚い首飾りにそれ程の価値は到底感じないのだが。

 

 ちなみに言うのであれば、先程の二人分の食事代が千二百ルスだ。

 それなのに、この埃を被った石が十五万?


「十五万だ。この石にはそれ以上の価値がある」


 目の前の男は真剣な眼差しでそう語る。


 この男の言葉に、僕の瞳は反応しない。どうやら、この男が意図的に嘘をついていないのは確かなようだが、それにしたってこの値段は……。


「シュウ、必要、絶対」


 首飾りを握りしめ、イブが真っ直ぐに僕を見つめる。こんなにも真剣な彼女を、僕は初めて見た。


 仕方がない。有事の際にと貯めておいたお金だが、どうやらここで吐き出す運命のようだ。


 あぁ、わかってる。とても不合理な選択だと。だがしかし、彼女の瞳を見つめていると、不思議とそれが正しいように思えてしまうのだ。


 僕は懐に入れていた皮袋を取り出し、そこから必要枚数の金貨を取り出す。


 あぁ、文字通り懐が寂しい……。


「ありがとう」


 イブはそう言って、小さく頭を下げた。僕はそのまま、彼女の首へと腕を回し、慎重に首飾りをつける。


 何故だかそれは、とても良く彼女に馴染んだ。


 真っ白な肌をより強調する漆黒の石は、あるべき場所へと戻ったかのよう。


「シュウ、握って」


「へ?」


「握って」


 イブの視線は、首飾りの石へと注がれている。


 僕は黙って、慎重に、その漆黒の石を握りしめた。


 僅かな痛みと同時に、何かが僕へと流れ込む。


 ーー瞬間、僕の視界は、黒一色で埋め尽くされた。


 視界は奪われ、匂いもしない。聞こえてくるのは、おびただしい程の怨嗟の声。


『死を、呪いを、神は、何故』


『虚言、裏切り、奴に、罰を』


『憎い、憎い、憎い、憎い』


 数え切れない程の負の感情が、濁流となって、僕を襲う。空っぽな僕を埋めるように、負の汚水が流れ込む。


 それが僕の肺を満たし、全身の血液へと流れた瞬間、僕は死に包まれるのだろう。


 死を覚悟した。


 死を期待した。


 そして僕は、またしても裏切られる。


 死はその顎門をあけるくせに、僕のことは嫌いなようだ。


 呪詛のように続く怨嗟の声が、急速に遠のいていくのを感じる。


 そうして全ての呪いを吐き出すように、僕の口から滑り落ちたのは、一匹の白い蛇だった。


「俺様は蛇じゃねー。ナカシュだ」


 聞き慣れた声が、僕の意識を揺らす。


「あぁ、すまない。ちょっと気分が悪くてね」


 身体が重く、頭が割れるように痛い。


「ちょっと待ってろ。あの石、思ったよりも力を溜めてやがったからな。俺様に任せろ」


 そう言ってナカシュは、僕の身体を這い上り、首筋を噛む。


 痛みは引き、視界が色を取り戻す。


 思考するだけの力が戻ってきた。


「なんだ、もう家出は終わりかい?」


 気分はすぐれないが、ジョークの一つでも吐きださないとやっていられない。


「馬鹿言え、家出どころか、ずっとお前さんの中にいたんだよ。力を使い過ぎたからな。まぁ、思いがけない拾いもんで助かったがな」


 イブの首飾りへと視線を注ぎ、ナカシュが軽口を叩く。


「拾いものどころの話じゃない。十五万もしたんだぞ!!」


 それを、拾い物の一言で片付ける気か?


「いや、シュウよ。落ちつけ、今はそこじゃねーだろ?」


 ナカシュの視線は依然として、イブの首元へと注がれていた。


 僕もその視線につられそちらを見つめると、そこには、透き通った透明の石がぶら下がっていた……。


「色が、色がなくなっている?」


 先程までは黒一色の石だったはず……。それが今や、硝子玉のように透き通っている。


「一体この石は……」


 この謎を解くには、首飾りを売った張本人に聞くしかない。僕はそう思い、視線を先程の位置へと戻す。


 するとそこには、商人どころか、布一枚もない綺麗な更地が……。


「クク、シュウよ。お前さんは、とことん不幸に愛されているな」


 笑みをこぼしながら、ナカシュが不適に笑う。


「どうやら、死には嫌われているようだけれどね」


 不幸に愛され、死に嫌われるとは、なんだか矛盾しているようにも思えるが、きっとそれは全くの別物なのだろう。


 死が不幸とは限らない。時にそれは救いなのだから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] もう20話越えたんですね 毎日更新して貰えて嬉しいです これからも応援しています
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