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第二十話『井の中の蛙』

 人間というのは、陸地の安心感を意識しない。当たり前にそこにある地面に、私達はもっと感謝すべきだろう。


 短い飛行の旅も終わり、僕達は隣町へとやってきた。まぁ、隣町とは言っても、ここもマールス教の支配下ではあるのだが。


 貴重な空の旅の感想を述べるとすれば、着陸動作が思ったよりも安定感があり慣れてしまえば悪くはないと言ったところか。ただ、正直に言って膝の震えは治まっていない……。


 悪目立ちを避ける為、町よりも少し遠い場所に着陸した。そこから数分歩き、現在に至る。


 この町の名はカプノース。目抜き通りには飲食店や雑貨屋などが並び、それなりに活気のある町だ。


「シュウ」


 僕に呼びかけ、ローブの袖を強く引っ張るイブ。

 おそらくは彼女の鼻が、食欲を刺激する香りをキャッチしたのだろう。その双眸はすでに、獲物を前にした肉食獣のそれだ。


「よし、わかったよ」


 僕は短くそう答えて、彼女に引っ張られるがままに木造造りの小さなお店へと入った。


 カランカラン、というベルの後に、店員らしき女性の大きな声が響く。


「らっしゃい!!」


 その声の主は、店の奥にあるカウンター越しに立っていた。ぱっと見た印象でもわかる、女性にしては大柄な、控えめに言って、たくましいご婦人だった。


「あら、可愛い坊やだね?」


 僕達が席に着くなり、その店主らしき女性がすぐさま話しかけてきた。


「えっと、ありがとうございます。あの、オススメはありますか?」


 店主の勢いに押されつつも、僕はひとまずオススメの品を聞く。


「全部自信作さ。でも今日は、特に新鮮な小鬼を仕入れたからね〜。つまり小鬼料理がオススメだよ!」


 ん? 聞き間違いだろうか??


「こ、小鬼料理?」


「そうさ、小鬼の煮付けとかね!」


「こ、小鬼というのは?」


 嫌な予感がする……。


「もちろんゴブリンのことさ。坊や、顔に似合わずジョークが好きなのかい?」


 もちろんゴブリンのことさ? そんな文字列がこの世に存在して良いのだろうか? それこそ、ジョークの類いではないのか?


「えっと、その、少なくとも僕は、見た事が無いのですが……」


「そりゃあ、ここら辺にはいないよ。マールス様のご加護があるからね〜。わざわざ神のお膝元で暴れる魔物なんているはずがない。でも普通、存在くらいは知っているだろう?」


 女店主は豪快な笑い声を立てながら言った。


「ゴブリンというのはその、緑色をした小鬼のようなあの?」


 あちらの世界で生きていた頃は、よくゲームなどでお世話になったが、僕のイメージする、あのゴブリンのことだろうか?


「そうさ、その通り。なんだい坊っちゃん。ちゃんと分かってるじゃないか」


 そう言って、またも豪快に笑う女店主。


 まぁ、言われてみれば、見えない馬やら、喋る蛇がいるくらいだ。ゴブリンだって、存在していてもおかしくはない。


 そう言えば、あれからナカシュが現れないのだが、大丈夫なのだろうか? まぁ、今は良いか。むしろあいつが大人しく消えるわけがない。


 僕は気持ちを入れ替え、メニュー表を眺める。


 最初に小鬼と聞いた所為で、少なくない警戒を強いられたが、どうやらそれは杞憂だったようだ。メニューの中には、僕の見知った料理名も並んでいた。まぁ、僕に施された翻訳機能がどの程度まで正確なのかはわからないが、全く知らない料理を頼むよりかは安全な気がする。


 牛のステーキや、ポークチャップなど、どうやら肉料理がメインのようだ。中には肉じゃがなどの和風の料理もあるようだ。もちろん、小鬼の眼球煮などは無視だ。


「イブは何が食べたい?」


「お肉」


 端的かつ、選択肢の多い答えだ……。


「何の?」


「馬以外」


「馬は嫌いなの?」


「好きだから食べない」


 なるほど、ある意味それは、純粋過ぎる程に単純な答えだった。単純なのに、複雑な、ある種の哲学的な思考を強いられる言葉だ。


「わかった、じゃあ、ポークチャップでいい?」


 牛のステーキを食べさせてあげたい所ではあるが、僕の懐にそこまでの余裕があるわけでもない。

 奴隷として考えるのならば、僕達はかなりの自由を与えられてはいるが、それでも、散財出来る程のお金は持っていない。正直なことを言うと、メルクリウスのカジノで稼いだお金を少しばかり持ってはいるが、それは非常時にとってある。


 僕はイブが頷くのを確認し注文を口にする。


「ポークチャップが一つと、筑前煮をお願いします」


 故郷の味が懐かしくなり、僕は思わず煮物を選んだ。


「あいよ」


 注文を受けた女店主は厨房へと向かう。


 それから十数分。イブと軽い談笑を交わしていると、目の前に料理が運ばれてきた。


 お皿から立ち昇る食欲を刺激する香りが、唾液の分泌を促す。僕は思わず、ゴクリと喉を鳴らす。


「さぁ、召しあがれ!」


 女店主の大きな声の後に、僕達は同時に手を合わせる。


 この周辺地域でも食事の前に手を合わせる習慣は一般的なようだった。いや、むしろ、目に見える形で神様が存在する分、祈りの重要性は高い。


「いただきます」


 僕らは短く言葉を合わせ、それぞれのご馳走へと取り掛かる。


 どうやらぱっと見た感じでは、筑前煮の中身はオーソドックスな人参や、蓮根などの野菜が使われているようだが、中には見覚えのない食材も入っている。

 具材一つ一つに味が染み込んでおり、とても柔らかく、優しい味だ。


 隣りの様子をチラリと見ると、真っ白なほっぺに真っ赤なソースをつけながら、満足そうにお肉を頬張るイブの姿が。

 これだけ美味しそうに食べているのなら、連れて来た甲斐があるというもの。


 それにしても美味しいな。特にこの煮汁の染み込んだ丸いお肉がなんとも言えない旨味を含んでいる。あえて味を例えるのならば、あん肝や蟹味噌などのクリーミーな珍味の類いに近い。


「あの、このお肉はなんですか? 煮汁と相まってとても美味しいです」


 少なくとも日本には、こんな美味しいお肉は無かった。


「小鬼の睾丸だよ。美味いだろ? 精力つくよ! 今日はお嬢ちゃんとかい? まったく、若いっていいね」


 そう言って女店主は、特大の笑い声をあげながら、信じ難い単語を発した。


 小鬼の睾丸……。つまり、ゴブリンゴールデンボール??


 う、嘘だろ……。いや、まさか、うん、聞き間違いに違いない。


「睾丸?」


 イブが不思議そうに首を傾げる。


「なんだ、お嬢ちゃん、睾丸の意味も知らないのかい? 睾丸ってのはね」


「だーーー!!」


 僕は急いでイブの耳を塞ぎ、彼女からその単語を遠ざける。


「なんだい、その手の知識ははやく知っておいた方が良いだろう?」


 女店主は笑いながら言う。


「だ、大丈夫です」


 僕はごまかすようにそう言って、再び食事へと向き合う。


 あぁ、肉の正体なんて聞かなければ良かった……。

 しかし、時を戻すことなど、ただの人間である僕には不可能だ。つまり、この場での最適解は、忘れたフリをして、黙々と食べ続けることだ。


 決意を固め、再び料理を口に運ぶ。


 ちくしょう、悔しいが、美味い……。


 その旨味は教えてくれる。

 この世界にはまだ、僕の知らないことが山ほど溢れているということを。


 井の中の蛙、大海を知らず。

 僕は今日、この言葉の意味を再認識することとなった。


 あぁ、己というのは、こんなにも小さく、世界はどこまでも広がっている。


 そのことを僕は、ゴブリンの睾丸から学んだのである……。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 食事シーンに対して学んだことが真面目 [一言] 牛と猪の睾丸は現実に食べられることがあるとか…
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