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第十九話『許し』

「簡潔に報告しろ」


 いかにも神経質そうな声が、異常なまでに整理された室内に響く。


「アルマ・ピェージェの勧誘に成功しました」


 僕は仕事の結果を最低限の言葉で報告する。


「ほう、あの死の商人を引き込んだか。ダメもとでの勧誘だったが、それは嬉しい誤算だ。まぁ、貴様が五体満足で帰還したことが成功の証と言えるな」


 淡々と語るアッシェだが、こちらはおかげ様で死にかけたのだ。あまり良い気はしない。


「これでメルクリウス教との戦争に勝てる。いくら集信値に差があろうとも、マールス様は軍神だ。屈強な兵士と量産される武器さえあれば間違いない」


 銀縁の眼鏡を薄い布で拭きながら、邪悪な笑みを浮かべるアッシェ。彼が表情筋を動かすのは珍しい。


「アルマ本人から聞いたのですが、神は銃の類を嫌うと」


 マールス教としてはその辺りは大丈夫なのだろうか?


「あぁ、マールス様も例に漏れず、銃の類はお嫌いだ。しかし、それよりもお嫌いなことが二つある。それは、負けることと、メルクリウスという存在そのものだ。つまり、メルクリウスに負けるくらいならば、信徒に銃を握らせるということだ」


「なぜマールス様はメルクリウスを憎んでいるのですか?」


 僕はマールスに会ったこともなければ、些細な情報すら持っていない。


「あぁ、知らないのか。これは知っておく必要があるか……」


 アッシェは熟考した末、話すことを決心したのか再び口を開く。


「原初の時代、二人の神が一人の女神を愛したのだ。その女神の名はウェヌス。愛と美の女神であり、ウェヌス教、別名、金の教団の女神だ。そしてその女神をかけて争ったのが、マールス様とメルクリウスというわけだ」


 アッシェは深刻そうに語るが、要するに色恋沙汰のよくある揉め事というわけか。神も案外俗物的だ。


「なるほど……」


 僕も一応、深刻そうに相槌を打つ。


「これは周知の事実ではあるが、口には出すなよ?」


 アッシェがドスの効いた声で言った。


 周知の事実というよりも、羞恥の事実と言えよう。執着心というのは醜い。


「わかりました。あと一つ、質問よろしいでしょうか」


「構わん、何だ?」


 アッシェの視線がこちらを向く。


「武器の加護とは一体?」


 要塞の中で、アルマが軽く口にしていたが、僕はその全貌を知らない。


「そんなことも知らんのか。まぁいい、説明してやる。武器の加護とは、教団に属する信徒が、剣や槍、盾や弓などの武器を身につけた際に、その教団の主神から授かる力のことだ。武器や、それを装備する者の適正にもよるが、大幅な身体能力の上昇が見込める」


 その言葉で僕は、メルクリウス教に所属するフレアの姿を思い出す。

 あの強靭的な力のカラクリはそう言うことだったのか。


「では何故、銃を?」


 加護の無い武器に頼るメリットは少ないように思えるが。


「相手にも加護を持った兵士がいるのだぞ? それに、加護の恩恵やレプリカの力の大小には個人差がある。それらの恩恵が十分では無い者にも、力を与えられるのだ。それだけでも大きな戦力になり得る」


 確かに、優れた将も大事だが戦いでものを言うのは数だ。


「わかりました。ありがとうございます」


「ご苦労」


 アッシェのその一言に、僕は一礼し、そのまま静かに退室した。



 * * *


 簡素な自室に戻ってきたのはいいが、あいにくと今日の予定はこの部屋と同様に何もない。


 そうしてやる事もなく、真っ白な天井を見つめていると部屋の扉がノックされた。


 僕が返事をする前に部屋の扉が開け放たれた。


「シュウ……」


 ノックの主は、混じり気のない真っ白な少女。


「どうしたの? イブ」


「お腹空いた……」


 小さなお腹をさすりながら一言。


「あぁ、なるほど。今日は時間もあることだし、外で食べようか」


 昨夜アルマが手配した馬車に乗り、教団へと戻って来たのだが、それから何も食べていない。

 それに今日は朝一で報告を済ませたので、時間には余裕がある。


「うん」


 静かに首肯したイブが、僕の手を引く。

 その真っ白で小さな手は冷たく、普段は意識しない自らの体温を感じる。


 彼女のか細く非力な腕が、僕を小さな部屋から引っ張り出す。

 弱くはあるが遠慮のない動きに振り回されながらも石造りの廊下を抜ける。

 正門を守る鎧に外出許可証を見せ、僕たちは教団の外へと出た。


 このまま二人で逃亡したい所だが、そうもいかない。メルクリウスのおかげで、背に刻まれた烙印の効果は弱まったが、そもそも、生活拠点がない。それに、僕一人ならまだしも、イブを養うとなるとそう簡単ではない。


 そんな、だらだらとした生産性のない思考を断ち切ったのは、隣りの少女の可愛らしいお腹の音だ。

 

「シュウ、お腹空いた」


 呟くような声音からは、彼女の空腹状態が窺える。


「うん、隣町まで我慢出来る? やっぱり教団で食べる?」


「出かける。我慢する……」


 まるで苦渋の決断を下しているかのような顔で、小さく呟くイブ。


「じゃあ、まずは馬車を探そう」


 僕の提案に、首を横に振るイブ。そして彼女は、何もない空間を指差す。


「え?」


 一体……。


「おいで」


 僕が呆然とする中、虚空へと呼びかけるイブ。

 そして徐ろに、彼女は空間へと乗った。


 そう、空間に乗ったのだ。


「えっと、そこにいるの?」


 この現象を見るのは初めてではない。おそらくは、彼女がまたがっているその空間にいるのだろう。ワルキューレの馬とやらが。


「そう、昨日の子」


 何もない空間に優しげな微笑を送るイブ。


「そっか、ちゃんと逃げられたんだね」


 あの砲撃で馬車ごとやられてしまったのではと心配していたが、それは良かった。


「シュウも」


 そう言って、何もない空間に浮かぶイブが、僕に手を差し伸ばす。


「え? えっと……」


 まさか、その、見えない馬に、直乗りしろと?


 いやいやいやいや、流石にそれは怖すぎる。それはもう、全面ガラス張りの飛行機に乗るようなものだ。いや、まだその方がマシだ。少なくとも飛行機にはシートベルトが完備されている……。

 

「大丈夫」


 不思議な説得力を纏う言葉が僕の鼓膜を揺らす。が……。


「むりむりむり、いや、本当に……」


「大丈夫」


「いやいや、無理だって!!」


「シュウ、信じて……」


 彼女の緋色の瞳が僕を真っ直ぐに射抜く。その潤んだ瞳はあまりにも美しく、何よりも純粋で、それ故に卑怯だった……。


 僕は慎重にゆっくりと彼女の手を取りながらも、おそるおそる、その空間へとまたがる。


 まず最初に感じたのは、お尻に伝わる生温かい温度だ。その温かさが伝わってくるのと同時に、イブが再び口を開く。


「シュウ」


 そう言って、自らの腰を指差すイブ。


「つかまれと?」


「うん」


「いや、でも、その」


 一応僕も、思春期であり、女の子の腰につかまるというのは……。


「シュウ」


「何?」


「死にたい?」


 不思議そうに首を傾げる彼女からは、悪意を一切感じられない。


「わかったよ……」


 よし、僕も覚悟を決めよう。一度は死んだこの身。今更なにを恐れるというのだ。


 それにしても、この僕に死にたいのかなど、これ以上に皮肉な問いがあるのだろうか。しかし、当然、彼女のそれは皮肉などではなく、純粋な疑問であった。


 だからこそ、僕は、彼女の紡ぐ言葉には勝てない。


 呼吸を整え、彼女の細い腰へと手を回す。


 心臓が胴体を突き破る程の勢いで躍動する。


 これは、大空への恐怖からなるものか? それとも、僕の思春期が織りなす暴走か? 願わくば前者であって欲しいのだが。まぁいずれにせよ、緊張から来るもので間違いない。


「お願い」


 イブが発するその言葉が、見えない何かの心を揺らす。


 浮上。


 陸からの予備動作無しの決別。


 それは奇しくも、僕が飛び降りたあの瞬間を逆再生しているかのようで……。


 何故だか僕の心は、恐怖を処理する前に、懐かしさを感じていた。


 次いで襲ってきたのは、風とともにたなびく少女の髪の香り。


 逆再生の世界には二人。

 

 あの日と違うのは、いや、あの世界と違うのは、一人ではないということ。


 たったそれだけの違いでしかない。


 たったそれだけの違いに僕は……。


「シュウ」


 僕の名前をゆっくりと口にするイブ。


「何?」


 陸から離れ、命綱無しで飛行しているというのに、僕は不思議と落ち着いていた。


「大丈夫」


 透き通った、美しい言葉。

 彼女の言葉に他意はないはずだ……。


 わかっている。理解はしているはずだ。その言葉に深い意味など無いことを。


 あぁ、それでもなぜか、僕は地上に小さな雨を降らす。


「ありがとう」


 鼻声混じりの情けないお礼。


「うん」


 風切り音とともに運ばれてくる彼女の言葉は、僕の心にひとときの許しを与えた。

 

 世界に存在する為の許しを……。

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[良い点] 今日もイブちゃんが可愛い 世界は平和だ
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