第十五話『騎士の素顔』
電光石火、疾風怒濤、シューマッハにウサイン・ボルト。
今、僕の脳内には、一定の共通項を持った言葉達が、浮かんでは消え、浮かんでは消えていた。
目まぐるしく変わりゆく視界。全ての建物が一瞬で後ろへと置き去りになる。
端的に言おう。僕は今、おんぶによる世界一の高速移動を経験している。いや、気分はもはや、拘束移動だ。これは拷問に近い。
「振り落とされるなよ?」
僕をおぶっている赤髪の女騎士は、いたって冷静に無理難題を口にする。
「む、無理です。死んじゃう。ねぇ、下ろしてください。お、お願いしますぅ!!」
それはもう、情けないくらいの懇願だった。ビルからの自由落下を経験済みの僕だが、正直今はちびってしまう程度には怖い。
「お前、鍛え方が足りないのではないか? そんなんだから盗賊などに遅れをとるのだ」
風切り音とともに、彼女の凛々しい声が僕の鼓膜を揺らす。
「あっ」
「どうした、敵か?」
僕の漏れ出た声に、すぐさま反応するフレア。
「いや、なんでもないです……」
風でなびく彼女の長い髪が、僕の首筋に悪戯を仕掛けたようだ。僕は首筋が弱いのだ。
「変な奴だな。時間のある時に鍛えてやろう」
呆れ混じりの声音で彼女はそう言った。
「いや、これは鍛えられるものではないので……」
僕の首筋は非常にナイーブなのだ。
「一体、何を言っているのだ?」
「え?」
どうやら何かしらのすれ違いを感じるが、そうこうしている内に、見覚えのあるカジノが視界に映る。
「ふぅ……」
ようやくこの安全ベルト無しの絶叫マシーンから降りられる。
「お前は走ってないだろうが」
彼女は呆れた様子で僕を背中から下ろす。
「あ、ありがとうございました」
「礼などいらない。メルクリウス様からのご指示だ。それに敬語もいらない。一応、貴様はメルクリウス様の客人扱いだ」
ふむ、果たして客人とは、貴様呼ばわれされるものだろうか? まぁ、そんなことを言おうものなら、首の一つや二つは覚悟せねばならないので、ここは大人しく黙殺が正解だ。
「わかりました……」
「敬語はいらん、三度目はないぞ?」
「わ、わかったよ」
目力だけでやられそうだ……。
「それでいい。私もその方が楽だ」
そう言って満足気に頷くその横顔には、僅かな微笑が見受けられる。
「え?」
そのギャップに、思わず声が出た。
「なんだ?」
彼女はそう言って、不思議そうにこちらを見つめる。
「いや、少し意外だったから」
「何がだ?」
「普通に笑ったから……」
驚いて当然だろう。先程、躊躇なく他人の首をはねた女騎士が、控えめとはいえ、普通の少女のように笑ったのだから。
「私にだって感情くらいはある。当たり前だろう?」
「だったら、だったら何故……」
その言葉の続きを言う勇気が、僕には無い。
「あれが私の仕事だからだ。私の普通を守る為に、私は私では無い誰かの普通を奪ったのだ」
続きを察した彼女が、真っ直ぐな瞳で答えた。
この世界に来て、人の死が身近になった僕だが、こんな綺麗な女性が人の命を奪っているという事実から目を背けたいだけなのかも知れない。
それから少し、無言の時間が続いた。彼女の背に続き、メルクリウス教が運営するカジノへと足を踏み入れる。彼女の歩みは素早く、僕はほとんど小走りと言っても差し支えない。
ルーレットやカードゲーム、様々な娯楽と喧騒。その中を真っ直ぐに突っ切る。角を一つ曲がるとそこには、染み一つ無い真っ白な扉。何度か訪れたことのあるVIPルーム。フレアがその扉をあける。
その先の部屋には一柱の神が座っている。
「やぁ、お返りなさい」
その言葉からは暗に、お前はこっち側の人間なんだぞ、というメッセージが聞こえてくるようだ。
「はい」
いつからだろう、ただいまという言葉が言えなくなったのは……。そのたった四文字がどうしようもなく遠い。
「二人とも、お疲れ様。座ってくれ」
神の言葉に一礼し、フレアはそのままメルクリウスの斜め前へと座る。
あー、おっと、この場合、僕はどこに座ればいい? 残された席は、神の隣りか、対面なのだ。流石に、隣りはまずいよな? しかし対面に座るという場合は、隣りの席がフレアになってしまうわけで、ちょっと怖いなー、なんて。
「おい、何をしている。はやく座れ」
モジモジしている僕を見かねたフレアが、自身の隣の席を叩く。
「ほぅ、フレアが隣りを許すとは珍しい」
メルクリウスはそう言って、楽しそうに笑う。
「お言葉ですが、私は、主神の隣りにこいつを座らせたくないだけです」
早口でまくしたてるフレア。
「そうか、そうか。君なりの気遣いをありがとう。でも、ほんの少しお口が悪い子だぞ?」
自らの信徒に注意をする神。
「申し訳ありません……」
「いやー、それにしても、君達が仲良くなったようで良かったよ」
「えっと、どのような解釈で?」
神の考えることが高度過ぎるのか、僕には一ミリたりとも共感出来ないのだが……。
「君の首が繋がっているのがその証拠さ」
「え……」
言葉に詰まるとはこのことなのだろう。
「おいおい、ゴッドジョークだよ」
神のジョークはいささか重過ぎる……。
「私だって、好き好んで首を落としているわけではありません。私が動くのは、メルクリウス様のお言葉のみです」
「なるほど、では、フレアの罪は全て私の物だと?」
「え……」
先程までは流暢だったフレアの口が、僕と同様、言葉を失った。
「君達は揃いも揃って、ゴッドジョークが通じないね?」
部屋に充満した沈黙を打ち破るようにしてメルクリウスの笑い声が響く。
「も、申し訳ありません!」
果たしてこの謝罪は、先程の失言に対してのものか、それともジョークの件についてか?
緊張しきったフレアの表情を見れば一目瞭然だが……。
「さて、シュウ君。マールス教の様子はどうだい?」
フレアの謝罪を無視して、神は問う。
この緊張した空気ですら予定調和なのだと。
そして肌で感じることとなる。
僕はすでに掌握されていると……。