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第十一話『少年と建前』

 石鹸の香りが漂う、主人不在の部屋の中には、テーブルを挟み大小二人の男が座っている。


 沈黙を先に破ったのは、目の前に座る変声期前の少年の声だった。


「お前、誰だよ?」


 年の頃はおそらく十歳前後と言ったところか? 全体的に小柄な印象を受けるが、その瞳には力強さを感じる。その視線の強さのままに、ぶっきらぼうな問いが飛んできた。


「僕の名前はシュウ。君の名前は?」


 人に名前を聞く時は、まず自分から、なんて、マナーを教えに来たわけではない。僕がシスターから頼まれた任務は彼に神を信じさせることだ。だから、そんな些末なマナーを教えてやる義理もなければ、いわれもない。僕は大人しく、大人らしく先に名乗る。いや、この思考が既に子どもじみているのも承知だ。


「あ? どーせ、シスターから聞いてんだろ? あの子は可愛そうな奴だって。だから、どうにかしてくれませんかってさ。お前で五人目だよ」


 思春期特有の多感さ故か、目の前の少年の口調には、荒々しさと未熟さが伺えた。だがしかし、今はそんな事はどうだっていい。それよりも気になる発言が聞こえた。



「え? 僕って五人目なの?」


 正直に言って、ショックだ。僕だけがシスターに頼られたのだと思っていたのに……。どうやらそれは、とんだ自惚れだったようだ。あぁ、しかし、そうは言っても、僕のやる事は変わらない。シスターからの信頼にはぜひ応えたい。今、僕を突き動かしているのは、二十パーセントの善意と、八十パーセントの下心だった。


「そうだよ、あんたで五人目さ。だから、説得は諦めた方がいいぜ。俺は親がマールス教だからってだけで、ほいほいと神を信じられる程に単純じゃねー!」


 それはきっと、純粋な心の叫びだったのだろう。ならば僕は、その美しい叫びを、醜悪な囁きで汚す他ない。


 それは、僕が、最も忌み嫌う行為。だが、時にそれは、全てをまやかし、包み込む。ならば今は選ぶしかないのだ。


「なるほど、じゃあ君は、信じなければ良い」


 声のトーンを抑え、僕は淡々と言った。


「なんだよ、やけに素直だな。もう諦めたのか?」


 少年の声音には嘲笑の色が混じっている。


「いや、だから、神様なんて信じなくて良い。信じたフリをすれば良いだけさ」


「は?」


 首を傾げ、腑に落ちない様子の少年。


「つまり、上手くやれって言っているのさ。信じたくないことは信じなくてもいい、信じたふりをすれば良い」


「……。」


 困惑した様子の少年は沈黙しながらも、僕の話へと耳を傾け始めていた。


「今の君には力がない。これは君のせいじゃない。世界が間違っているからだ。だから、君が自由を得るその日まで、君は神を信じているふりをすれば良い」


 呆気に取られているのか、目の前の少年は言葉を失っている。


「な、なんで、そんな事しなきゃならねーんだよ!!」


 理解が及ばないことを遠ざけるのは、子どもだけではなく、人間の本質だ。


「それも嫌ならやらなければいい」


「は? どっちなんだよ?」


 その声音には、先程までの勢いが感じられない。


「全ては君の自由さ。けれど、君には自立するだけの力はない。僕と同じようにね。だから、環境に合わせなければ、環境に淘汰されるだけだ」


 僕の言葉に、苦しそうな表情を浮かべる少年。


 それでも僕は、語ることを辞めない。


「自分を少しでも曲げるのが嫌なら、今のままの生き方を続ければ良い。でも多分、その生き方はつらいだろうし、自由とは程遠い。人に逆らい、自分の考えを持つことだけが自由ではない。だからふりでいいんだよ。誰も君の心までは支配出来ないから。君の中身はいつだって自由なのさ。君の支配者は君だ」


「なんなんだよ、お前……」


「初めから言ってるだろ? 僕の名前はシュウだ」


 僕は、本日二度目の自己紹介を行う。


「ちっ、俺の名前はイムノだ」


「知ってるよ。シスターから聞いているからね」


「お前、本当に嫌なやつだな。俺が力を持った時は覚えてろよ?」


「あぁ、楽しみにしているよ。その日までは精々、演技を磨いて、溶け込むことだ」


 僕のその言葉に、納得半分、悔しさ半分と言った反応を見せるイムノ。だが、そのせめぎ合いも、ギリギリの所で納得が勝利したようだ。嫌々ながらも首を一度だけ縦に振った。


「お前、嫌なやつだけど、この教団の中ならマシな方だな」


 そう言って、部屋の扉を開け、廊下へと飛び出していく少年。


 今のが捨て台詞だとしたならば、その声音はあまりにも温度を伝え過ぎていた。


 そんな温かさの余韻に浸っていると、僕の脳内に、聴き慣れた声が響く。


「シュウよ、お前さん、教祖に向いてるぜ?」


「冗談はよしてくれナカシュ。僕に限ってそれはない。それよりどこから話しかけているんだ?」


「そりゃあ、お前さんの……」


「いや、いい、聞きたくない」


 僕は急いでナカシュの言葉を遮った。そう言えば、僕は彼を丸呑みにしたままであった。


「あぁ、なるほど、それは賢明な判断だな」


 直接顔は見えないが、その声音からはナカシュが笑っているのだけは分かった。


「今日はもう疲れた……。吐き出すのは明日でいいか?」


 正直もう、このままシスターのベッドに横たわりたい。


「お前さん、それは疲れだけが原因かい? 聖職者に邪な気持ちを抱くのは罰当たりだぜ?」


 ナカシュが、僕の心の声を取り締まる。


「神に誓って、なんて言葉を言わせるつもりか? あいにくと僕は無宗教でね」


「よくもまぁ、修道女の部屋でそんな台詞が吐けたもんだ」


 ケタケタと笑いながらも、どこか満足気なナカシュ。


「僕の前科を知らないわけじゃないだろう?」


 そう、僕はこの世界に、自らの命を絶ったからこそ生きているのだ。その罪を清算する為の生なのだ。死を生で償っている。いや、死を生で埋め合わせているともいえる。


 罰当たりなんてのは、罰を受けたことのない奴らの言い分だ。当たりっぱなしの人間に、その考え方は通用しない。


「まさに、神をも恐れぬ不届き者ってか?」


 喜色に溢れたナカシュの声が煽る。


「馬鹿言うなよ、叱られるうちが花って言うだろ? 見向きもされないのが一番怖い」


 神を信じた母。崩れる家庭。そこに救いは無かった。そこにあったのは、ただ、無力な僕。


 そう、神は僕に、見向きもしなかったのだ……。

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