1-4-17. ふたりでの来店
目抜き通りからひとつ入った裏路地。
そこが今日の目的地。
凜とした鈴の音とともに、いわゆる喫茶店らしさのある木の扉を開けると、そこは少しだけオトナの雰囲気を纏った空間が広がっている。
「どもです」
「お、やっと来たか……ん?」
調理場で準備をしていた、顔なじみの喫茶店兼バルである『昼のコーヒーとパフェに飽き足らず、夜にはお酒と音楽を嗜む』のマスター、工藤さんが一瞬だけ破顔して、すぐさま怪訝な表情になる。
それもそうだ。
大抵はボクひとりでの来店。
今日は久々に連れが居るのだから。
「こんばんは、マスター」
「ああ、なんだ。誰かと思えば亜紀子ちゃんか。久しぶりだね」
「お久しぶりです」
ぺこり、と一礼。
「そういえば、あの時からここには来たの?」
「……実はまだ1回だけ」
「そうなんだよ。……去年の、年変わる前くらいだったかな?」
「です」
知らなかった。
てっきり社交辞令でそれっきりなのかと思っていたけれど。
「ご覧の通り、マスターは結構寂しがり屋だから、ちょこちょこ顔見せてあげてよ」
「そうそう。ついでに、親御さんが好きだったりするなら、コーヒー豆も買っていってくれると嬉しいね。さみしがり屋の喫茶店オーナーだけに、マメに来てくれると」
「はいはい」
「……つれないなぁ」
ダジャレ親父に対しての扱いなんて、この程度で充分だ。
「ふふ……」
「どうしたの?」
仲條さんがくすくすと小さく笑う。
が、肩の揺れがそれに反して大きい。
「……相変わらず、マスターの扱いが悪いなぁ、って思って」
「悪いんじゃないよ。これが普通なの。ふ・つ・う」
「亜紀子ちゃんは優しいなぁ。もうちょっとコイツに言って聞かせてくれよ?」
「善処しますね」
にっこり。
――これはどっちに転ぶのだろうか。
際どいところだけど、とくにどっちでも構わなかった。
「ちょっと指慣らしさせてもらってもいい?」
「構わんよ」
「サンキュー。仲條さんもその辺の汚れなさそうなところにカバン置いてよ」
「ありがとー」
ソファ席の下辺りにカバンを置いて、ピアノに向かう。
何となく今日は弾きたい気分でもあった。
――音に余計な感情が乗りそうだが、それを回避するような演奏も時には必要だった。
「……ん?」
譜面台には既に楽譜が載せられていた。
「マスター?」
「なんだ、瑞希」
声だけが返ってくる。
「これ何?」
「これってどれだ?」
調理場から顔を出して訊いてきたので、スコアを持ってそちらの方へ振ってみる。
「ああ、それな」
「何かに使うの?」
「このあとな」
一度バックヤードに入ったと思ったが、すぐにこちらへと出てきた。
準備はもう終わっていたのだろう。
「このあと『歌声喫茶』みたいなイベントやるんだ。それで使おうかと思ってな。……ほら、ちょっと前にお前が言ってた」
「あー、あれかぁ。実際のとこ、どんな感じ? 結構集まりそうなの?」
「おかげさんでな。瑞希のアイディアをちょっと借りて、昼のお客さんに出す伝票にその企画のチラシをくっつけてみたら、見事に大当たりよ」
「お、ホント?」
「ホントホント。いや、助かったよ。おかげさんでちょっとだけ夜の客層が広くなった」
言ってみるモンだ。
昼の客層は意外と幅広いことは知っていたので、だったら広報活動が出来そうな機会だと思ったまでだったのだが。
無駄にならずに良かった。
スコアを改めて見てみる。
「『虹と雪のバラード』?」
「知ってるか?」
「まあね。たしかに合唱というか、みんなで歌うにはぴったりかもね」
「……昔からなんだが、時々、お前の年齢が疑わしくなるんだよなぁ」
「高校1年生だよ、間違いなく」
失礼な。
そこそこいろんな曲を聴く機会があれば、少々昔の曲だって知ってるっての。
一時はそういう感じの歌番組もあったし、サブスクリプションでも年代別のプレイリストがあったりする。
聴く機会なら案外少なくないのだ。
「吹奏楽部の演奏会って、聴衆ウケを狙うためにちょっと古めの曲を演奏したりするって、マスターだって知ってるはずでしょ」
「それにしたって、って話だ。いつだったか、60年代の曲まで持ち出されたときにゃ、さすがに焦ったぜ?」
そこまで言われてしまうと、さすがに二の句は継げない。
「ちなみに、それってどんな曲なの?」
仲條さんの質問が飛んできた。
なるほど、これがふつうの高校生の反応なのか。
勉強になるなぁ。
「おい、瑞希。今度から知らないフリをするってのは無しだからな?」
「……何でバレた?」
「そのツラ見てりゃ解るってのよ」
不本意だけど――なんて言ったらマスターは怒るだろうけど――本当に小さい頃からボクを知っているだけに、ちょっとした視線の揺らぎとか、表情の変化も見逃してはくれない。
恐ろしい人だ。
何かそういう特技でも持っているのだろうか。
それにしても、ここにいるときの仲條さんはとても穏やかに笑う。
――ただ、何となくだけれど、彼女の笑みは落ち着いている穏やかな笑みではあるが、きっとマスターとボクの掛け合いを暖かく見守っているような類いの笑みに思えて仕方が無かった。
「ほら、とりあえず瑞希にリクエストが入ってるんだから、弾いてやれよ」
「ん?」
「彼女。期待してるみたいだぞ?」
「え? そ、そんなことは……」
「ちょっとあるだろう? この前来たときだって、ちょっと弾いて欲しそうだったしなぁ」
仲條さんの顔を窺ってみる。
店内はそこまで明るくしていないのではっきりとはわからないが、それでも照れ笑いを浮かべているくらいはわかった。
図星だった、ということなのだろうか。
「ほら、男は度胸だ。弾け」
「……だったらマスターは歌ってくださいよ?」
「なんでよ」
笑顔のまま、即時拒否された。
手を伸ばす前に払いのけられたような気持ちになる。
「せめてそこは楽器を促してくれよ」
「何でさ」
さっきのマスターと同じくらいの早さで返してやる。
「それだと割に合わないから歌ってくれ、って言ってるのに。歌声喫茶の主催者が歌わないのはナシでしょー」
「あれ? 海江田くん、マスターって歌上手なの?」
「ウマいよ。……普段はあんな感じだけど」
「ダメだよ、亜紀子ちゃん。コイツの言うこと信用しちゃ」
「そんな言い方することないじゃん」
ボクのコメントを上書きするように、満面の笑みを仲條さんに見せるマスター。
実際のところ、マスターの言ったことはただの照れ隠し。
本気を出せばそこらへんのカラオケ大会程度なら、余裕でトロフィーを持って返ってこれるくらいの歌唱力を持っている。
楽器演奏で培われた腹式呼吸は、こんなところでも存分に発揮されるという話。
――ちょっとうらやましい部分ではある。
「とりあえず、今日の俺の歌は無しな。亜紀子ちゃんには今度来たときにでも聞かせてあげるから。……あ、そうだ。何なら今度そこの正面にあるカラオケにでも」
「ストップ、マスター。それ以上は危険」
「バカ。冗談に決まってんだろぉ?」
全然冗談に聞こえなかったから止めたんだ、っての。
「まぁいいさ。今日のオープンは9時からだから、いつもよりはゆっくりやっていけると思うからな」
「うん、了解。ありがとね……と思ったけど、仲條さんとこって門限は?」
「今日は大丈夫だよ、……うん」
良かった。あまりにも遅くなるようだと、親御さんにも申し訳が立たない。
とは言っても、タイムリミットギリギリまでここに居るわけにもいかないだろう。
「もちろん、御代はもらうからな?」
「そりゃもう」
準備をしてくれるのだろう、マスターはそう言いながら店の奥へと下がっていった。
いつもよりも長く居させてもらうのだから、それ相応に。
「御代って……?」
「ああ、だいじょぶだいじょぶ」
心配そうな声を出す仲條さんを落ち着かせるように、極力軽い調子で返しておく。
御代とは言っても、実際にお金を出すということではないのだ。





