1-3-22. 『トスカ』より
音楽室中に響き渡る『ありがとうございました』が終了の合図。
本日も――まぁ、多分無事に乗り切ったと思う。
少なくともいつもよりは波乱は無かったはずで、風のウワサに聞くような殺伐とした状況には、滅多にならない我が部の日常だった。
とはいえ、この光景は非日常。
何せ今日は、部活顧問の許可の下、全員が私服登校だった。
天気は、晴れ。
おかげで家を出た瞬間に顔が凍り付いたかと思ったくらいだった。
時刻は、12時をやや過ぎたくらい。
かなりの空腹状態。
日付は、12月25日。
世間的にはクリスマス。
このあとの予定は、ある意味では残念ながら、埋まっている。
私服登校なのもこれが要因だ。
「海江田ー」
「ん?」
コートを羽織ろうとしたタイミングで声がかけられた。
その主は佐々岡くんだった。
「昼飯の予定って決まってる?」
「いや。とくにまだ決めてないかな」
「マジで!?」
「……おおう、どっから湧いてきた」
佐々岡くんではない声が響いたと思う間もなく、突然両肩に錘が載ってきた。
考える必要も無く、その原因は神流だった。
「失礼ねえ……。まぁ、それはともかくとして、私もどうするか決めてないのよね」
「……いっしょに来るか?」
「もちっ!」
足下を見られている気もするが、まぁいい。
催促するような視線を振り払うほど、冷徹な人間としては生きていない。
「あ、じゃあ私も!」
「ぜひぜひー」
神流に抱きつくように現れたのは、神村春紅先輩だった。
一も二もなく、神流が答えた。
何でだよ。
とくに断る理由もないけど、――何でだよ。
「でも、珍しいですね。春紅先輩がボクらの方に来るなんて」
「たまには後輩たちをイジ……面倒見てあげなきゃっていう、ね」
――今、これでもか、と言わんばかりに『イジる』宣言しませんでした?
「今、絶対イジる気満々だったじゃないですか」
「おお? そういうこと言う子は……、どうなるかわかってるのかしらー?」
「サーセンっしたぁ!」
「わかればよろしい」
佐々岡くんが見事に口を滑らせた結果、先輩のターゲットは彼に向いた。
やれやれ、だ。
ウチの部活は、同級生も先輩も、ちょっと口を滑らせるとそこに足払いを掛けて完全に転ばせた上で馬乗りになるようなマウントの取り方をする雰囲気がある。
もちろん、すべてネタだ。
――ボクも時々は戯れにわざと口を滑らせてみることもあるけれど、今回は自重した結果、佐々岡くんが空気を読んだような感じだ。
「とりあえず、もう出ましょーよ。みんなも出てますし。俺、結構腹減ってます」
「そうねー。私もそうだわ」
「ボクも」
「同じくー」
9時前辺りから12時まで、休憩無しのぶっ通し。
育ち盛りの高校生がそんな状態。
空腹にならないわけがない。
次の予定は16時。
目的地は三番街方面にある弓張公園。
さらに言えば、その中にあるかなり著名なコンサートホール。
今日はそのコンサートホールで、市内有数の吹奏楽部強豪校である星宮桜雲女子高校の学校祭兼定期演奏会が開かれる。
定期演奏会をこの時期に、コンサートホールでできるくらいの実力がある、というのが強豪校であることのなによりの証左だ。
要するに、全員でその研究と偵察をする、と言う話だ。
『色気も何もあったものじゃない、せっかく女子校の学校祭なのに』とぶーたれている者も数多い。
佐々岡くんも、もちろんそのひとりだった。
「問題は、どこあたりで、って言う話ですよねー」
「ミズキ、選択肢は?」
「あ、ボクなの?」
「言い出しっぺに任せたっ!」
「俺も任せたっ!」
「じゃあ、私も瑞希くんに任せるっ!」
――もしや、これは『口を滑らせていた』パターンだったりするのか?
ちょっとだけモヤついたものの、ここで時間を取っている意味もない。
というか、早く空腹を満たしたい欲がすべてを凌駕しているのは間違いない。
「月雁駅近辺か、中央駅か、いっそ三番街に出ちゃうの3択じゃないですかね」
「まぁ、その辺りかー」
「学祭の模擬店まで耐え抜く、っていう選択肢もなくはないですが」
「却下!」
「……捨てがたいけど、そこまで行く前に空腹で死ぬかもしれねえわ、俺」
全力で拒否の恰好を取った神流に、げっそりとした顔で答える佐々岡くん。
ですよねー。
だからこそ、メイン候補からは外したわけで。
「ちなみに、それぞれのお店の候補はあったりするの?」
「……一応は」
「へー! 瑞希くん、出来る子!」
なぜか春紅先輩にアタマを撫でられた。
「じゃあ、私も」
神流もアタマを撫でてきた。
――なんすか、これ。
「……じゃあ、俺も」
「いや、それはおかしい」
佐々岡くんの参入は、ギリギリのところで回避。
以前のノリから考えれば、てっきり妬み嫉みに満ちた顔でストッパーをかけてくると思ったが、敢えて乗っかってくるとは予想外だった。
結局、地下鉄駅に着く直前に『三番街まで行く』ということになり、さらに道中で同じように三番街まで行くことにしたエリーたちも合流。
かなりの大所帯となって進んでいくことになった。
良い具合にお昼の混雑する時間帯を回避できたのは、運が良い。
おかげで、10人以上の大所帯でも問題無く入れるお店を見つけることができた。
地下街直結ではないビルの地下にある、かなりハイクオリティなパスタを出すお店。
バーとしての営業もするタイプだ。
「それにしても瑞希くん、随分イイ感じのお店知ってんのね。……そんなに意外な感じもないんだけど」
「え? そうですか?」
「うん、何か不思議と」
「あ、それ、なんかわかります。隠れ家的な場所を知っていそうな雰囲気」
「それそれ! 和恵ちゃん冴えてるー」
言われてみればそうかもしれない。
――と言っても、その原因は明らかで。
「母親の友人によく連れてこられたんですよ、中学のときとか」
「へー! あ、そっか、なるほど。だからか。お酒出しそうな雰囲気だなー、って思ったのは、そういうことか」
ご明察です、先輩。
中学校からの先輩ということもあり、春紅先輩は母の仕事についても知っている。
理解が早くて助かる。
あとは、――例のバーのマスターに聞いたりして知っているお店というのも少なくない。
だからこそ、隠れ家的だったり、夜営業もしていたりする店に偏ってしまうのだけど。
「じゃあ、そろそろ行きましょー!」
春紅先輩のよく通る声は鏑矢に最適だ。道案内も完全に任せて――。
「はい、瑞希くん。いっしょに先導お願いねー」
「……了解っす」
――とはならないらしい。哀しい運命だった。
先ほどのビルから徒歩10分程度のところにあるのが、弓張公園。
中央には半月型の池があったりする都市型の緑地公園だ――と言っても最近造成されたタイプではない。
元々かなり大きな森林が形成されていて、徐々に都市開発の流れで切り崩されながらも残されたような、都会のオアシス感たっぷりの公園だ。
この公園からほど近いところにあるのが星宮桜雲女子高校であり、今目の前にあるコンサートホールはその女子校の吹奏楽部による定期演奏会の会場だった。
「ここ来るの久々ー」
「私は、実は初めてかなー」
「小ホールの方は入ったことあるけど、大ホールは初めてかな。……ミズキは?」
「ん?」
「……さては、聞いてなかったな?」
「……うん」
神流の人差し指が、びしっとボクの胸にに突き立てられた。
完全にさっき受け取ったプログラムにしか注意力が向いていなかった。
変拍子の曲をきっちりと入れてきつつも、シンプルさ故にごまかしの利かない古典派の楽曲を入れるあたり、これには唸るしかない。
もちろんそれも楽しみなのだが、聴衆ウケを狙ったと思われる詳細不明の歌謡曲メドレーが、こっそりと楽しみだ。
楽しめる演目があるのは、きっと誰もが嬉しいと思える。
「で、何だっけ?」
「ミズキは、ここに、何回くらい、来たこと、あんの?」
おいたをした子どもに言い聞かせるように、一節ずつ区切って言われた。
「えー……何回だろ。10回はあるはずだけど」
「マジか」
「舞台裏に入れてもらったこともあるし、大ホールのオルガンの椅子に座ったことはある」
「えー!」
神流以外の驚声も聞こえてきた。
「ちっちゃい頃の話ね」
あの時はまだ小学校に入って間もなくくらいだったはずだ。
いっしょに来ていた聖歌とふたりでホールの上で走り回って怒られた、ちょっと苦い記憶もあったりする。
「関係者特権?」と、春紅先輩。
「それです」
「いいなぁ」
言いつつ、自分よりもうらやましがっている後輩達に向かって不敵な笑みを見せつけた。
「君らも、もうちょっとしたら定期演奏会でここに演奏者として来るんだから、あんまりうらやましがらないで。しっかりしないとねっ!」
「はーい」
月雁高校吹奏楽部の定期演奏会は2月上旬。
後期期末考査のためのテスト週間に入る直前という、何とも言えない時期に、このコンサートホールの大ホールを使っての開催となる。
そのためのイメトレも兼ねているわけだ。
「カワイイ子、いないかなぁ」
――おかしなイメトレをしそうになっている佐々岡くんに、先輩からの熱い制裁が下った。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
弓張公園のコンサートホールですが、もちろんモデルになっている建物はございます。
フィクションらしく、雰囲気などいろんな街の寄せ集めになってますけど。
それ以外にも、それなりにモデルになっているモノはあるんですよ。





