1-3-12. まさかのミステイク
パフェの日までは意外と長い。
例の『楽しみにしている日を迎えるまでは長く感じる』というものかもしれない。
とはいえ、それ以前の問題だったのは、やはり部活だった。
テスト休みを取り返すようにみっちりと濃厚な土曜・日曜の練習は、朝から晩までのハードスケジュールだ。
一応はサボってはいなかったはずの筋力トレーニングも微妙に足りてなかったらしい。
土曜日の帰りにはすでに下腹部あたりに謎のつっぱり感が出てしまっていた。
――もっともそれは謎でも何でもなく、発動がすこぶる早かった筋肉痛だったりする。
とはいえ、やはり楽器を奏るのは楽しい。
久々の練習で運指ががたついていたとしても、そのせいで何となく締まりが悪くなって若干気分が下がることはあったとしても、なのだ。
ハイテンション気味になっている人が多いと、それに引きずられるようにして楽しくなってくる。
そうすれば自然と、自分の指も2週間ほど前の動きを思い出してくるわけだ。
これが少しずつ落ち着いてくる今週末あたりには、いつも通りの雰囲気に戻りそうなモノだ。
ところどころで意見の出し合い、時にはぶつかり合いもありつつ、全員が納得した上でしっかりと進んでいくのが我が部のモットーでもあった。
しかし、だ。
――眠い。
眠すぎる。
勉強で使うところとはまったく違うところの神経が、ごりごりとすり減っているような感覚。
そしてなによりも、ごっそりと持って行かれる体力。
そこに来て、昨日の月曜日の授業と部活。
回復力が何よりも問われる部活のひとつといっても、過言では無いと思っている。
「ちょっと別用で職員室行ってくるから、先に行ってていいよー」
「んー」
何となくいつもいっしょに向かっているので、そのための報告というだけの話だったのだろう。ぼーっとしたまま神流に返事をしたが、何も反応がなかった――というか、既に神流の姿は視界から消えていた。ため息代わりに欠伸を教室に残して音楽室へと向かうことにする。
が、その前に。一瞬だけ廊下の窓を開けて顔を出し、ちょっとだけ深呼吸をする。
冬の色に染まりつつあるグラウンドをかすかに見ながらの深呼吸。
今日は朝から天気が良かった。つまり、めちゃくちゃに空気が冷えているということでもある。氷のように冷えた酸素が肺と脳を満たしていくとともに、目も覚めてきた。――朝からやっておけば、もう少し変わっただろうか。くだらないなと思いながら、階段へと歩を進める。
第2音楽室にはまだ人影は少ないようだ。先輩達よりも早いのなら何の問題も無い。まだ僅かに残っている眠気を吹き飛ばすように頬を2度叩いて、扉を開けた。
「こんにちはー」
「……え?」
「ん? ……あ」
思わず、固まる。
ボクだけでなく、2音の中にいた娘も同じように、固まる。
そこに居たのは、紛れもなく。
――御薗聖歌。
「……え、えーっと、久々……でもないよね」
「け、結構会ってたよ? 最近は」
「それもそうか」
「でも……」
「ん?」
「ううん、何でもない」
何を言ってるんだ、と自分に呆れる。
頭が真っ白、とまではいかないまでも、モノトーンにはなっている感じ。
散々テスト勉強でいっしょの部屋に居たじゃないか。
無言になるのが怖い、何か話しかけないと。
そうは思ったけれど、さすがに『久々』は無理があった。
何か言葉を探そうと視線をいたずらに動かしていると、気がつけばこちらの方に近付いてきていた聖歌とばっちり目が合ってしまう。
当然のように、一瞬の静寂。
「ど、どうしたの?」
「どうしたの、って。何でここに……ん? あれ、もしかして?」
「今日はウチが2音だよ?」
どうやら部屋割り当てを勘違いしていたらしい。
眠気も全然吹き飛ばせていなかったようだ。
何となく気恥ずかしくなって頬を掻くと、聖歌の頬も少しずつゆるみ始めているように見えた。
「そ、そっか」
「どしたの? 寝ぼけてたの?」
「ん、うん。まぁ、そんなところかも」
ははは、と乾いた笑いを漏らす。当然そんな笑いは長続きしないわけで――。
――まずい。間が保たない。
「そ、それじゃあ、1音に……」
「あっ……」
「……え?」
踵を返したところで、急に呼びとめられた。
――いや、『呼び』とめられただけじゃなかった。
実際に、引きとめられている。
聖歌の右手が、ボクの学ランの裾を掴んでいた。
よくわからない何かが脳裏を過ぎって、その直後心臓が大きく鳴る。
そして、なんとなく既視感を覚えた。
「あ、ううん。その、ちょっと疲れてるんじゃないかな、って思って……」
「うーん、そんなことはないと思……いたいかな」
一瞬言い淀んで、それでも聖歌は言い切る。
でも、言い切ったことで余裕が出たのか、自分の手に何かが握られていることに気付いたらしい。
ボクの言葉の途中で、慌てた様子で手が裾から離れ、そのままわたわたと振られる。
なぜか、その手から視線をそらせなかった。
どうやら心配されていたようだ。
思えば今の彼女の表情も見覚えがあるような気はしていたが、この前鼻風邪が絶賛悪化中だったあのときに見た顔だった。
そう見えるのだったら、案外そうなのかもしれない。
実際こうして、音楽室の部屋割り当てを勘違いするくらいなのだから。
「練習は? どんな感じ?」
「おかげさまで。……あ、でもちょっとだけ筋肉痛が出てるかなぁ」
「筋トレサボったの?」
よくお分かりで。
――そんなに難しい問題でもないか。
「サボったわけじゃないと思ってたけど、カラダは正直みたい」
「前もそんなことあった気がする」
「そう……だっけ?」
「うん。その言い回しとか」
「んー……?」
何時言っただろうか。余り記憶にないのだが。
悩むボク。
なんとなく微笑んでいるような聖歌。
むずがゆいような空気感。
でも、聖歌の方に何となく余裕があるように見えるのはなぜだろう。
ボクだけが、余計なことを気にしすぎていただけなのだろうか。
だったら、少しくらいは――。
「テストは……」
「え?」
「テスト、どうだった?」
――いや、違う。そういう話を振りたかったわけではなくて。
勉強会のこととかならまだいいが、例のノートの話になったときには自縄自縛状態になるだけではないだろうか?
あのノートが彼女の手に渡って、それが役立ってくれていたのなら、それはイイことに違いない。
けれど、あのノートを彼女に渡したのは――。
「こっちこそ、おかげさまで」
そう言って聖歌は穏やかに笑う。
まるで、何事もなかったような後腐れのない笑顔に、どうにも取り残されているような気分になる。
男子よりも女子の方が精神年齢の成熟は早い、という言葉をいやと言うほど思い知ったような気がした。
「そっか。ってことは、勉強会は役に立ったってことでいいのかな?」
「うん。それはもちろん、すっごく助かったよ。最後の方にだけ参加した子たちも、早くから仲間に入りたかったー、って言ってたし」
「あ、ほんと? なら良かった」
だけど。それでも。
「それに……」
「それに?」
「……けっこう、楽しかったし」
こういう、ゆっくりとした雰囲気に。
何となくの懐かしさに。
少しずつ慣れてきているのもまた事実だった。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
ほんの少しだけ、昔に戻れたみたいになれた……のかな?
このシーンはもう少しだけ続きます。
感想などお待ちしてますー。





