1-1-2. 来訪者とフラッシュバック
「ただいまー」
不意に真横から声がしたと思ったら、颯爽と隣の席に座る影。
そちらを向けば、先ほど一瞬だけ話題に顔を見せてきていた高畠玲音が、今度は物理的に顔を見せている。
「もー、購買コレしか残ってなかったよー」
「……具無し」
言いながら玲音は小さな袋から塩むすびを2つ取り出して机に置いた。
それを見て少し頬を引き攣らせ気味に漏らす神流。
――うん。まぁ、ここは米処だし、『白米をおかずにして白米を食える』と豪語する人間が居ると言う話も聞いたことはあるけれど。
そうはいっても玲音は、ともすれば大型の草食動物の様な印象があるくらいに穏やかな人柄だが、野球部所属の育ち盛りの男子だ。
流石に握り飯2個では少ないのではないだろうか。
「いやいや、一応大丈夫だよ」
「ん?」
さらに取り出したるは、唐揚げ2つ。しかもティッシュに包まれている。
「どしたの、これ」
「もらった」
「誰にさ」
「アリサに」
アリサとは嶋亜利沙を指し、つまりは玲音の彼女さんのこと。
我がクラスである1年7組の2つ隣、1年5組所属。購買から帰ってくると5組の前を通ることにはなるので、その流れで会ってきたということだろうか。ちなみに中学2年のときから続いているそうだ。
「……なるほど」
「熱々~」
「いやー、お弁当のお裾分けだから熱くはないっしょー」
「……そうじゃねーわ」
色惚けなのか天然ボケなのか、よく分からない玲音。
自分の茶化しをこうやって躱されてしまえば、神流も悪態を吐かずには居られなかったようだ。
「それで? おふたりさんは何を話してたの?」
「11月はイベントが無いなー、ってカンナが言うから、中間の勉強でもすれば? って言ってたとこ」
「ああー……」
思い出したくなかったなぁ、というトーンの玲音。
「で。とりあえず、数学のポイントになりそうなとこは、ミズキかレオくんに任せるねー、って言ってたとこ」
「……また?」
「……そんな、ミズキと同じようなリアクションしなくても良くない?」
「いや、別にいいけどさ」
「完璧に同じリアクションにしなくても良くない?」
「……やっぱり完全拒否はしなかったんだね」
苦笑いを浮かべながらこちらを見てくる玲音。
「そりゃあ、ほら。カンナも吹奏楽部だし。追試だ補講だ、ってやられると困るから」
表情に納得の意を込めつつ、玲音は塩むすびを頬張る。
――美味しそうに食べるなぁ。
農協か何かのコマーシャルにも出られそうな気がしてくる。
背丈は180程度あるのだが、圧迫感を感じないのはその表情が柔らかいものだからだろうか。
――もぐもぐ、ごっくん。
そんな擬音を彼の傍らに浮かべてやりたくなるような感じ。きっちり飲み下してから話そうとする辺りも、玲音らしさがある。
「それはウチの部にも当てはまるからなー」
「誰?」
「んー……。たぶん、そろそろココに来るんじゃないかなって思うんだけど」
「レオーーーーー!! ミズキーーーー!」
「ほら」
「……ああ、なるほど」
玲音が『だけど』と言い切るか否かのタイミングで教室前方の扉が勢いよく揺れ、ひとりの男子生徒が転がり込んできた。
苦笑いが浮かぶと共に、――少しだけチクリと胸が軋む。
「どした? 祐樹」
「どうしたもこうしたもないわけだ、助けてくれ」
この通り! とばかりに手を合わせて懇願しているのは、たった今この教室に走り込んできた1年3組所属の水戸祐樹。玲音と同じく野球部に属している。
「何さ。彼女に何かバレたの?」
「違うわ。きっちりラブラブだわ」
「……そうか」
いろんな意味で失敗した発言だった。
キリキリと、どこかから音が聞こえてきているようだ。
「わりとマジメな話なんだよ。頼むよ、ふたりとも」
「そういえばさっき野球部全員呼ばれてたっけね、レオ。あれって結局何の用件だったの?」
「それが、コレ、なんだよね」
神流の質問に答えながら、玲音は祐樹を指差した。
「祐樹がどうしたの?」
「祐樹が、っていうよりは。さっき、瑞希と高島さんが言ってたのと同じ感じでね。次の中間考査で赤点1科目でもあったら冬休みまでの練習メニューが基礎練2倍にされる、っていう話を監督にされてきたんだよね」
水を向けられた祐樹は、机の影にしゃがみ顔だけをこちらに見せながら粛々と頷いた。
ウチの野球部監督は日本史の担当だったか。銀ちゃんこと小林銀二郎先生。
「で。よりにもよって祐樹の苦手な科目が、暗記系」
「しかも俺、ノート取るの下手くそ」
――ああ、なるほど。察した。
「コピーが欲しいなぁ、ってこと?」
「ザッツ・ライト」
サムズアップを添えて。
「んー……」
「報酬か! 報酬なら何でも良いから。……あ、でも、高額じゃ無ければ」
何かを躊躇していると感じた祐樹は、さらに熱心な懇願をしてくる。別に対価が欲しいというわけではないのだが。
「ノートの取り方って、……何ていうか、ちょっとしたコツを覚えたら誰だってできると思うんだけどね」
実際、書店とかに行けば『成績の上がるノートの取り方』とかいう指南書があるし、受験期になるとテレビとかでも有名上位校に進学した生徒がやっている方法や、予備校講師がおすすめする方法が紹介されたりする。
そういうのを参考にして、あとは自分が一番わかりやすいと思う方法を見つけることが重要なはずなのだが。
「そうは言うけどさ。字の綺麗さはさすがに付け焼き刃じゃどうにもならねーよ?」
しょぼくれた顔をして祐樹が指摘してくる、が。
「ん? 祐樹って、ボクの字知ってたっけ?」
単純な疑問だった。
そもそも、ボクの授業ノートがどういうものなのかを知っていないと不可能な依頼なのだ。その手の情報漏れは無いと思っていたのだけれど。
「聖歌に聞いた。聖歌と瑞希って同中だったんだろ?」
――想定の範囲内だったが、内心の反応は予想外だった。
なるほど、それ経由か。
心の奥深く、誰にも気付かれず悟られもしない様なところで、ため息を吐く。
聞かなければ良かったと後悔する。
というより、どういう流れでそんな話題になったのだろうか。
彼氏彼女の話で、別な男の話を出す必然性なんて、これっぽっちも無い気がする。
そして、彼女は――。
――どういう感情で、オレの名前を出したのだろうか。
窓に叩きつけられる雨音が妙に頭に響く。
それは、今から4ヶ月ほど前に聞いた雨音に、厭と言うほどよく似ていた。