1-2-XXV. 突然の雨がもたらすもの
4時間目に差し掛かったあたりで明らかに西の空からご機嫌が悪くなり始めていたが、とうとう斜めになった機嫌はひっくり返ってしまったらしい。
バケツをひっくり返したような雨だと表現されるべき降り方になっている。
通し練習のときは部員全員が窓の方向を向いて歌うのもあり、雨の降り始めたタイミングはよくわかっていた。
わからなかったのは指揮担当の子だけだった。
真剣に腕を振っていたところで各パートの集中が途切れたと思ったのか、一度その腕を止め振り向いたときの反応は面白かった。
『えええ!?』との声とともに、片足を上げてびっくりのポーズ――だったのだろうか。
ドッキリにでも引っかかったオーバーリアクション系の芸人さんのようにも見えた。
歌の最中、隣に立つ平松美里も心配そうに窓の外を見つめていたが、結局部活が終わっても雨脚が止まることはなかった。
むしろ少し強まっているようにも思える。
窓越し遠くに見える幹線道路は水しぶきで煙って見えた。
暗闇で煙る様子は幻想的にも見えるが、この降りしきる雨を考えればそんな悠長なことは言っていられない。
折りたたみ傘は一応持っているが、足下は勿論カバンもただでは済まなさそうだ。
「何か雨すごいね……。みんな極力明るいところ歩いて、自転車の子は大変だけど押して帰ってね」
真央先生の忠告へ、全員がゆるやかに返事をする。
本当に、練習中とのギャップが面白い。
恐らくは今の状態がナチュラルな状態なのだろうけれど。合唱スイッチとは恐ろしい。
「早めに帰ろっか」
「そだね」
美里の言うとおり。
この天気で学校に長居するのも良くない。
まだ話し足りない様子の子たちも居るようだが、美里とふたりで早々に音楽室を離れておく。
スマホの着信を見れば母からのメッセージが届いていた。
『傘もってってる?』の端的な一文。
何となく、親指を真上に向けている絵文字だけを返しておいた。
音楽室を出ると、一瞬で無音があたしと美里を包み込む。
雨音と暖房の音、遠くでは授業の声も一応は聞こえるが、一番大きいのは静寂だった。
廊下を進む音。
階段を降りる音。
どれもがいつもより際だって聞こえるのは、さっきまでの合唱とこの無音との差が作り出すもののせいだろうか。
「あ、そうだ」
1階と2階の踊り場で美里が立ち止まる。
「ちょっと飲み物買ってっていい?」
「だったら、あたしも。喉渇いてるし」
自動販売機はこの階段のすぐ裏手にある。
提案に乗らないわけが無かった。
「あ、コーンスープあった。これにしよ」
威勢よく落ちてきた暖かい缶を両手で包み込んで満面の笑みを見せる美里。
その顔に、暖かいのもいいなと思ったが、少々迷って私は普通の緑茶に落ち着いた。
「それ、飲みづらくない? あたし、飲むのが苦手なんだよねー、缶のコーンスープって」
「えー? そう?」
「スープ自体は好きなんだけどね。……最後に残ったコーンってどうしてる?」
「そりゃーもう、上向いて缶の底ガンガン叩く」
やっぱり、結局そうするしかないのか。
力が弱いのか何なのか。
原因はよくわからないが、あたしはどうしてもそれで残りのコーンを食べきることができなかった。
ひとくち、ふたくちと飲みつつも、自然と足は玄関へと向いていく。
早く帰って安心したいのは美里も同じようだった。
玄関近くまで来ると、やはり雨音がかなり響いてくる。
一旦自分の靴箱に缶を置き、ふたりで同時にカバンから折りたたみ傘を取り出す。
「あれ? 聖歌ちゃんのって、それ折りたたみ?」
「そうだよー」
「何か丈夫そう……。私のコレよ、コレ」
そう言いながら見せられたのは、――ちょっとお世辞にも丈夫そうとは言えない作りの折りたたみ傘だった。
「……壊れたら、中入れてね」
「もちろん」
突風が吹くと怖いが、幸い扉越しに見える木の枝の揺れは大きくない。
これなら美里の傘もたぶん壊れずに済む――――。
――――あれ?
校門そばの木から、視線が右下へと勝手に動いたような感覚。
大きめの傘がひとつ。
その下からのぞく、学生服とスカート。
カバンも2つ、ちらちらと見える。
「おー、相合い傘じゃーん」
「…………」
「憧れるわー。ここまで強い雨じゃなきゃもっとイイかな」
「だね、たしかに」
傘越しに見えるだけでも、何だか良い雰囲気になっているのがわかる。
あたしだけではなく、美里もそう思っているようだ。
この降り方では、ムードはちょっと台無しかもしれない。
「あ、でも『ん? 今なんか言った? 雨で聞こえなかったよ』、『あ、ホント? じゃあこっちに顔近付けて?』、『こう?』、となってからの、ちゅーよ。ちゅー」
突然の妄想。
そして、妙に具体的。
よく見れば、外を歩いているふたりも一瞬だけ間の距離が縮まった。
――そういうことがあったのだろうか。
「えー、なぁにそれ。美里ちゃんの夢?」
「え? 良くない? これ」
「……悪くは無いとは、思う……け、ど…………!」
相合い傘のふたりが学校の敷地を出て左に曲がろうとした瞬間、強い風が吹いたらしい。
男の子の方が持っていた傘が女の子の側に大きく揺さぶられて。
街灯に、彼の横顔が照らされた。
缶を落としそうになる。
「どしたー? 聖歌ちゃんも妄想? 聞かせてよー」
「そ、そんなんじゃなくって」
「えー?」
「あ、ちょ。落とす落とす!」
腋を肘で小突かれながらも、今はもう塀越しで見えなくなった彼の――彼らの姿を想う。
隣に居たのは、誰だろう。
部活の子だろうか。それとも。
雨脚は、さらに強くなったような気がする。
鼓膜に突き刺さって止まないのは、雨音なのだ――。
――そう思いたかった。





