1-2-18. 突然のお誘い
「ちょーちょー、ミズキー」
「ん?」
楽器の片付けも無事に終わって、時刻は18時10分前。
暗くなるのもかなり早くなってきていて、外はすっかり夜の色に染め上げられている。
窓に吹き付けている風は相変わらず強い。
少しだけ手持ち無沙汰だったので譜面台の並びを整えていたところに、準備室から出てきた神流が声を掛けてきた。
「ミズキってさ、最近……ってこともないか?」
「何さ」
「いや、その辺別にどーでもよくって」
「どーでもいいような内容のことをこれから訊いてくる、っていう宣言なの?」
「違う違う、わりかし重要。重要度星2つ、って感じ。……5段階で」
「……せめて3段階評価の星2つにしようよ」
言うほど重要じゃないじゃないか。予想はしていたけれど。
こういうタイミングで神流が声を掛けて来るときは、大概は練習中にあった若干くだらない事件やネタか、あるいは部活前に話し損ねたネタ――と言うことで、基本的にはネタばかりだ。それほどマジメな話題だったためしはない。
「ミズキ、たまに遅くまで音楽室に残ってること無い?」
「ああ、あるけど。……それがどした?」
たしかに、先週も残ってはいたが。
「あれって、何してんの?」
「何って……」
スーパーの特売が始まるのを待っていた、と言ってはいけないような空気感。
少なくとも神流とその他数名には恰好の餌食になることは間違いなさそうな発言になりそうだ。
自らイジられに行くようなことは言いたくない。
あくまでも無難に、レポートの処理をしていた、とか答えるのが正解だろうか。
一応、ウソは吐いていない。
「……まぁ、レポートとか宿題とか軽く仕上げたり」
「ハイ来たっ!! いただきました!」
「は!?」
最優秀賞でも取ったくらいの勇ましく大きなガッツポーズ。
「言質取れました! ありがとーございまーすっ!」
「待って、ちょっと待って」
状況が読めない。
何のことかを訊こうとするよりも数段早く、神流は準備室に向かって駆け出している。
一体何だったのか、あの嵐は。
呆然としつつそちらを眺めていると、再びこちらに向かってくる神流の後ろから1年生部員が数名くっついてきた。
「何のことさ」
とりあえず、訊きそびれたことを問うてみる。
「言質取れたってことさ」
「だから、何のさ」
「レポートさ」
「……え?」
「ミズキ、ここでレポート仕上げたりしてる、って今言ったじゃん?」
「……言ったねえ」
真の目的については隠しているままだが、別に問題無さそうだ。
しかし、神流の肩越しにちらちらと見える同級生達の視線がすごく気になる。
何だろう。
猛烈に何かを期待されているような眼差しに見えてしまい、昔を思い出して居心地が悪い。
「来週、1つレポート提出あるじゃん?」
「あるねえ」
「あれ、余裕だ」
怪訝な表情になる神流。
「ミズキ……、まさかもう、終わらせてる、とか?」
「そんなまさか。……資料とかデータとかはまとめ終わってるけど」
と言い切るが早いか。
いや、遅かった。
「ミズキさまーーっ!!」
猛然と駆け出し、それなりにあった距離を瞬く間に詰めてきた神流に、右手を両手でがっしりと掴まれる。
彼女の背後の子たちもそれに併せるように、雪崩のようにこちらに押し寄せてきた。
「な、何!?」
「お助けを!」
「はぁ!?」
「我ら『レポート終わらなさそうでヤバい軍団』!」
「……びっくりするほど締まらないね。その名前」
でも、瞬間的にいろいろと察するには有り難いネーミングセンスだった。
「あー、そうか。なるほどね。……つまり、空いた音楽室とか準備室で勉強してるんなら、混ぜてくれ、と?」
「さすがミズキ。読解力高くて助かるー」
神流の両手でホールドされたボクの右手は、ぶんぶんと振り回されている。
何時放してくれるんだろうと思っていたが、これはこちら側から解いてやらない限りそのままのような気がしていた。
空いている左手で軽くタッチしてやると、神流はハッとした顔をしてゆっくりと手を放した。
――うん。それでいい。
「別にイイと思うけど……」
「え、マジで?」
好感触な返答をあまり期待していなかったのだろうか。
神流の元々割と大きめである両の目が大きく開かれる。
「うん。……まぁ、わりとグレーゾーンな感じだから、おおっぴらには言えないかもしれないけど」
「あぁ、やっぱりそうなのね」
「それに、残ってるっていってもホントにちょっとだけだし、大抵部活のある日だけだからなー……。ちょっと状況が違うっていうかさ」
部活が休みになる日というのは、実は不定期だ。
決まった曜日に休みになるという制度にはなっていない。
月曜日は、退っ引きならない事情がある場合は除いて、必ず全員集合するということになっていて、その日に1週間分の予定表が配布されることになっている。
そこで今週の部活の有無も知ることになる、という感じだ。
大抵水曜日か木曜日のいずれかは休みになっている。
ボクが少し音楽室を間借りするのは、ほとんどが金曜日。
――特売待ちをする時だ。
「それに、あんまり遅くなるようだったり、煩くするようなら拙いとは思うよ。……まぁ、防音的には申し分ないから、楽器とか備品とかに下手なことしなければ大丈夫だとは思うけどね。で、たぶん神村先生の許可は必要だと思う。話は聞いてくれると思うしね。この前先生に見つかったけど、全然怒られはしなかったよ?」
「……何か、ミズキを軽んじちゃいけないように思えてきたんだけど」
「そう思うなら、ボクのことをちょっとは丁重に扱い給えよ? 高島くん」
「はーい。以後、それなりに配慮しまーす」
それなりかよ。
期待はそんなにしていないから良いけどさ。
「……ってことだから、何だったら今から許可取りに行く?」
「え、いいの?」
「何を今更。こういうのは早い方が良いっしょ」
先延ばしにするような話でも無いと思う。
そもそもこの学校の教師陣は勉強したいという生徒の声はしっかりと聞き入れてくれる。
さらに言えば、今回は音楽室を借りたいという正当な理由付けができる。
「『強制下校時刻ギリギリまで皆でレポート片付けたいので、音楽室使わせてください』って言えば、たぶん許可してくれるんじゃないかな、って思うんだよね」
「おー! なるほどなっ」
不意に喚声。声の主は、神流の背後からずっと興味深げに見ていた佐々岡慎也だった。どうやら佐々岡くんも参加希望者らしい。
「先生をどうやって説き伏せるか、って考えてたけど、そうだよなー。定時制の人たちが居るから俺らの教室使えなくなるからちょっと困る、って言えば」
「で、『図書室でやるのも考えたけれど、煩くなる可能性があって、他の人に迷惑掛けたくない』って言えば、さらに補強できる」
「ミズキ、賢い」
「そう?」
「ちょっとヒく」
「何でだよ」
全然配慮されてないじゃないか。期待なんかしてなかったけど、せめて小指の爪の先くらいでもいいから心を広くして欲しい。
「まぁ、でもさ。ホントに良いのかなって言ってたんだよね、実は」
「どうして?」
「いや、まぁ、ねえ?」
珍しくも言葉を濁す神流。そのまま後ろに立っていた女子3人を順番に見遣った。
「海江田くん、割と静かに集中するの好きそうだよね、って」
――と、朝倉和恵。
「そうそう。邪魔になるんじゃないかな、って思ってさ」
――とは、小松瑛里華。
「そうかなぁ……。別に、そこまで気を遣わなくても……」
「っていうことを、無理に言わせちゃわないかな、って言ってたわけよ」
――とは、松下早希。
「そんな。言わされたとは思ってないから。全然問題無し」
高校からの知り合いばかりだが、それなりに付き合いも長くなってきたと思っている。
それでもなお、とっつきにくそうな人間だと思わせていたのだろうか。
ちょっと申し訳なくなる。
そして、それと同時に、胸のあたりがチクリと痛んだ。
――やはり、解る人には解るのだろうか。





