1-2-1. 11月の朝、フルグラと雨の予報
朝。6時半になろうかという時刻。
今朝は久々に強めの朝日が部屋の中に差し込んでいる。
ここ数日、朝から厚めの雲が空を覆っていることも多かったので、起き抜けには少し目が辛い。
首をぐりぐりと回し、ぱちぱちと両頬を張る。
眠いには眠いがそれほどのんびりもしていられない。
月雁高校までの道のりは割と長い。
家から最寄りの地下鉄駅まで歩いて10分弱。
そこから6駅北上し、乗り換えを挟んでさらに3駅北上。
そこから歩いて10分程度で到着だ。
実は市外から電車通学している生徒の方が登校時間が短い場合がある、ということを知ったときは、さすがに全身の力が抜けた。
リビングへ行きとりあえずテレビを点け、そのままキッチンへ向かう。
冷蔵庫を開けるが、卵のストックの心許なさにまず視線が行った。残り2個。
そういえば、と思い出す。
昨日の帰りはスーパーに行くのを忘れていた。
いつも通りの行動パターンに則れば、昨日はスーパーに行く曜日。
ちなみに今日はドラッグストアに行く曜日だ。
味も素っ気も無い、機械仕掛けのような行動パターンだが、日常を安定して過ごすために編み出したスケジューリングだ。
部活やら何やらがある中で結構な頻度でやってくる『半・一人暮らし』を完遂させるにはこれくらいのことが必要だということは、数年前からすでに承知している。
現在とあるアーティストのツアーに楽器奏者として同行している母が昨夜寄越してきたダイレクトメッセージが言うことには、日程は予定通りに進行中で、今は広島のちょっとイイ感じのホテルに居るとのこと。
この後は四国を回る予定になっている。
次にこっちに帰ってこれるのは11月下旬だったはずだ。
たしかに移動は大変そうだが、それ以上に観光や食事を楽しみにしている節がある人なので、とくにその辺については心配などしていない。
広島に居るということなら、昨日の夕餉はきっと牡蠣フライだろう。
――今はとりあえず、自分の朝の献立を心配しようか。
がっつりと作る気にもあまりならないのは、何となく疲れが来ているのだろうか。
それとも、昨日のことが引っかかっているのだろうか。
喉の奥というか、胸辺りが閊えている感じがするのは、そのどちらの所為なのだろうか。
一度洗面所へと向かい、とびっきりの冷水で顔を軽く洗い流す。
この時期になると氷水のような冷え方になってくる。
背骨に直接氷を当てられたように鋭いモノが走り抜ける。
目覚めの一撃には持って来いだが、さすがにこれはオーバーキルになりかねない。
明日からはきっちりお湯を混ぜようと誓った。
もう一度冷蔵庫を検める。
牛乳は扉に立てているモノを含めて残り3本ある。
背後にある棚に未開封のフルーツグラノーラの存在を確認。
そういえば先週買っていたのを忘れていた。
――これでいいか。栄養素的には問題ないはずだ。
シリアルとドライフルーツが完全に牛乳に浸りきる前に食べ終わる。
昔から、コーンフレークやらは固めの食感でいる間に食べきるのが好きなのだ。
後片付けなど、帰ってきてからやろうとしても明日にそのまま持ち越してしまいそうな作業を済ませ再びテレビの前を通り過ぎたときには、天気予報のタイミングだった。
降水確率はそれほどでも無いのだが、気になるのは『突然の豪雨に注意』の文字。
通学カバンの中には常に折りたたみ傘を常備しているものの、ゲリラ豪雨などが来てしまったら流石に太刀打ちできそうもない。
ここ数年、いわゆるバケツをひっくり返したようなと表現されがちな雨がこの地域にも増えてきている。
用心は、した方がいいのかもしれない。
そのままの流れでランキング形式の占いコーナーが始まる。
――7位。ラッキーアイテムはスポーツドリンク。
毒にも薬にもならない感じに少しだけ苦笑いが漏れ出た。
そこまで悪いことは書かれていないが、ほんのちょっと気には留めておこうとは思う。
シャワーを浴びたり歯を磨いたりなどをしていれば、丁度良い具合に家を出るべき時刻になる。
何事も無ければ、学校には8時ジャストくらいには着く。
登校時刻のリミットは8時半なのでかなり余裕があるのだが、別に悪いことでは無い。
制服を着て、カバンをチェック。
スマホも鍵も持った。
天気予報が言うところの豪雨対策として、丈夫な大きめの傘も持った。
もし降らなければ置き傘にでもすれば良い。
玄関に立ち靴を履いて、部屋を振り返り、小さく『行ってきます』を言う。
誰も居なくても言いなさい、と小さい頃に母に刷り込まれて以来ずっと続けてしまっているから仕方ない。
止め時を失ったのもあるし、取り立てて止めなければいけないこともない。
11月初めの、いつも通りの朝。
が、西の遠くの空は重たい鈍色だった。
この街で最大の駅である星宮中央駅での乗り換えを終えれば、あとは3駅。
相変わらずの人の多さに辟易するが、入学当初から考えればだいぶ慣れてきたと思う。
敢えてJR線側に近い方の車両には乗らず、その反対側を攻める方が良いということは、ゴールデンウイーク辺りで気がついた処世術のようなものだ。
乗り換えの時にすれ違う人の量が全然違うのだ。
そのため自宅最寄り駅である石瑠璃駅では、わざわざ最後尾側まで移動することになる。
さらに、高校の最寄り駅である月雁駅でも、高校に最も遠い改札を出なければいけなくなるのだが、それも充分考慮した上での判断だ。
――極力、登下校時には、あまり話しかけられたくない。
基本的に音楽を聴きながら登下校をしているのもそれが主な理由だ。
抑止力として、ヘッドホンの効果は絶大だ。
わざわざこんな時間に、こんな方法を採ってまで。
そこまでするのは、結局すべては保身のため。
自分の軟弱なハートに触れないように、触れられないようにするために他ならない。
俯瞰してみればとても滑稽だろう。
それでもなお、致し方ないことだと自分に言い聞かせる。
ノイズキャンセリングの間隙を縫って割り込んでくる、レールと車輪の軋む音。
それが時々、自分の中から聞こえてくるような気がしてきたりもする。
ドアの側にある手すりに掴まりながら、少しだけ目を閉じる。
トンネルを駆け抜ける地下鉄の細かい揺れに身体を委ねる。
たまに、思うのだ。
それに気付くのがもう少し早ければ良かったのだろうか。
あるいは、それに気付いていたのに、愚かしくも気がつかない振りをしていただけだったのだろうか。
失ってから気付くのでは、間違いなく遅いのだ。
そして直後に、自分自身を詰るのだ。
解っている。最早、手遅れだということは当然だとして。
手に入れていないものは『失った』と言って良いものなのだろうか。
そういうことを考える資格が、自分にはあるのだろうか、と。