1-1-X. あめふるはこにわ
昼は一緒に食べような、なんて言っていたのに――。
昼休みが始まるのが早いか、気付けばその言葉の主の姿は既に無かった。
完全に待ちぼうけ、手持ち無沙汰となったところで、クラスメイトの花村すみれが相席を提案してくれた。
とっても、ほっとした。
多人数が居る空間は苦手だけれど、かといってひとりも得意な方では無いので、本当に有り難かった。
「すみれちゃん、ありがとー」
「なーんもなんもー。ぽつーんと座っている子をほっとけるほど人が出来てないだけよ。……ま、私もイツメンが委員会に連れて行かれてさみしかったっていうのもあるしね」
すみれちゃんのお向かいの席に着いて改めてお礼を言う。
からからと元気に笑う彼女の声は、この雨を降らせる雲も吹き飛ばせそうな勢いがある。
背も高いし、脚も長いし、可愛いし。
でも話すとそのイメージが良い意味でぐちゃぐちゃに壊れるタイプの人。
「あれ? 珍しいねー。ひとりだったん?」
すみれちゃんの左隣の席で、早くも惣菜パンをひとつ食べ終えた様子でコンビニの袋をまさぐっているのは、同じくクラスメイトの小野塚大輔――通称『おにょでー』。
いわゆる、イジられ役のムードメーカー気質。
「そーなんだー」
「あー、そういえば水戸くん、昼休みになるのと同時くらいにどっか行ってたっけ」
「うん、何かめっちゃ慌ててた。たぶんだけど、野球部で呼ばれてたんじゃないか?」
「言われてみれば……」
1年3組の教室を改めて見渡してみる。
教室の四隅にそれなりに大きな集団が作られて、それぞれでお弁当タイム。
その中には、確かに野球部に所属している男子は見当たらない。
「……たしかに居ないね」
「何かあったっけ?」
「さぁ?」
「っていうか、聖歌ちゃんが知らないなら俺らも知る術が無いっつーかさ」
「それね。……何も聞いてないの?」
――そう言われても。
「休み時間に『いっしょに食べよう』って言われて、それっきりだもん」
「カノジョに連絡もせずにほっつき歩くとは、けしからん男よのお」
お弁当のブロッコリーを何故か忌々しそうに見つめながら、すみれちゃんは言う。
――あ、食べた。
別に、ブロッコリーが嫌いということではないらしい。
「……ほらほら、聖歌ちゃんも食べた食べた! 昼休み終わっちゃうぞー?」
「あ、うん。そだね」
食べるのは決して早くない。
促されるままに弁当箱の蓋を開けた。
○
昼休みが終わるまで、あと3分も無い。
午後イチの授業が始まるまでの時間で考えても残り8分。
しかも、その午後イチの授業は物理実験室でやることになっている。
彼が教室に戻ってきたのはそれくらいのタイミングだった。
「やっべー、やっべー! あと何分くらい?」
勢いよく教室後ろ側の扉を開けた彼は、自分の席に直行し、コンビニの袋を手に取るとそのままの勢いであたしの席の向かいに座る。
本来この席に座る子は既に物理実験室に向かっていた。
「ギリギリ5分くらい……だと思うよ」
「じゃあ、セーフ」
先ほどの小野塚くんに負けず劣らずの勢いでハムカツサンドに食らいついている。
「あー、生き返るっ」
「何処行ってたの? そんなにおなか空くまで」
「んー。…………んぐ」
「まず飲み込んでからね」
そのままにしておくと喉を詰まらせかねない、この人は。
「……ふう。いや、ちょっとさ、1年の野球部全員呼び出されてさ、次の中間考査で誰かひとりでも赤点1科目あったらこの冬の基礎練2倍にする、って言われてさぁ」
「うわ、大変」
「そうなんだよー……」
さっきは『生き返った』と言っていたのに、早くも何だか倒れてしまいそうな顔になっている。
「何がマズいの?」
「とにかく暗記する系」
「あー……」
そういえば、この人は日本史とかその辺りの教科のときには頻繁に意識を飛ばしかけていた。
苦手意識を持ちすぎていて、それで余計に敬遠してしまっているような感じに見えている。
とはいえ、そういうあたしも暗記はそこまで得意な方では無いわけで。
科目自体は好きな方だが、その割にテストでの得点が上がりづらい状態だった。
「しかし!」
突然の大きな声。
わりとびっくり。
「あ、ごめん。テンション上がりすぎた……」
「ううん、気にしないで」
そこまで驚いたとは思っていなかったけど、彼の目にはそう見えなかったらしい。
「……今回は秘策があるのだよ、秘策が」
「秘策?」
「秘策っていうか、もう必殺技的な? 虎の巻的な? むしろカンペ?」
妙に自信満々だ。基本的に明るい人だけれど、今日はいつもよりかなりテンションが高いように思える。
「カンニングペーパーはダメだからね?」
「いや、それはモノの喩えだよ。……さすがにそんなことしないやい」
ちょっとだけそっぽを向いて、でもすぐにこちらに向き直る。
そしてよく見れば、もう昼食を終えていた。
結構話していたような気もするのに、何時の間に。
「社会科は、さっき優秀な板書ノートをコピらせてもらえる約束をしてきた! 部の集まりの後に直行してきて、お願いしてきたんだよ」
ぐっ! と親指を立てる。
「え、いいなー。誰から?」
「瑞希、瑞希。海江田瑞希。ほら、同じ中学って言ってたっしょ?」
――。
――――――。
予鈴が鳴った。
「ふ、ふーん……。そう、なんだ」
自分の声は、彼に届いているのだろうか。
自分の耳には、あまり良く聞こえない。
チャイムの音の所為なのか。
それとも――。
「でも、折角それもらってきても、自分でしっかり勉強しないとダメだからね?」
「お、おう」
話を流れを無理矢理替えようとしてみたら、ちょっと彼の心を抉ってしまったようだ。
どうも今日の彼は感情の振れ幅がいつもより大きい。
――あまり人のことをとやかく言えないけれど。
あと、慣れないことはあまりするモノじゃ無かった。
「ま、まぁ、あたしも、英語とかなら、一応はちょっとくらい教えてあげられるよ? 単語とか熟語とか」
「ほんっっっと助かるっ! この埋め合わせは必ずや……!」
「あ、ほら! 早く行かないと烏丸先生に怒られるよ!」
「え!? あれ、次移動だっけ?」
このままで居たら、どんどん自分が解らなくなっていきそうだった。
――いや。違う。
そういう意味ならば、自分の事なんて。
少なくとも3,4年くらい前から、解らなくなっている。