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第七話: 「焼き鳥」

 私たちは、街に着いた。太陽は、まだ真上を過ぎたばかりである。


「わぁ、凄いわね!」と、私は目の前に広がった商店街を見てはしゃいでいた。「私の元いた世界には屋台なんてほとんどなかったから、ワクワクするわ!」

「屋台がないんですか」と、アーは言った。

「そうよ。私の国では、お店と言えばほとんどが一戸建てかビルのテナントで、屋台が並ぶのは夏祭りとかそんなときだけよ」

「贅沢ですねぇ。ここはミスティアの国の中でも、最も栄えた街ですから、あなたの国は本当に豊かだったんでしょう」


 そうでもないけど……、と、私は心の中で思った。しかし、確かに、栄えた町である。正面にずどんと通った大通り沿いには、数えるのも難しいくらいに屋台が並んでいた。屋台一つ一つに、野菜や肉、魚などの食材が隙間なく並べられている。

 一方で、食べ歩きもできる屋台もあるらしく、そこらじゅうを歩き回る人々の中には、クレープやアイスクリームを丸かじりしながら歩く人もいた。かつての築地市場を、どことなく思い出す。


「ということで」と、アーは私の肩を叩いた。「ちょっと、わたくしは先に行く場所がありますから、あなたはここで大人しくしていてください」

「え、見に行っちゃダメかしら?」

「よくないですね」と、アーは言った。「断言はできません。が、良くないと思います。あなたはほぼ確実にやらかすでしょう。断言できないのが悔しいくらいですね」と、アーは口で言えない分、目で私に訴えかけた。きっと、心の中では「ダメです。絶対ダメです」と繰り返していることだろう。


「わ、私もそういう喋り方をすればいいんでしょ?」

「あなた少しだけ調子に乗る癖がありますよね」と、アーは言った。「人はそんなに簡単に喋り方を変えることはできないというものですよ」

「なにを! さっきは、私のこと頭良いとか言ってたくせに!」

「頭良いとは言いましたが、それとこれとは話が別です。むしろ、あなたは柔軟性に欠けています」


 悔しい、と私は思った。確かに、昨日は何にも考えずに爆発していたところはあったけれど、起爆方法に気が付いてからは、一回も爆発していないじゃないの。なのに、柔軟性に欠けるとはどういうことかしら。悔しい。


「そういうわけなので、あなたはわたくしが帰ってくるまでくれぐれも動かないでくださいね」と、アーは念押しした。「絶対ですよ。絶対動かないでくださいね」

「もー、わかったわよ!」と、私は面倒くさくなって適当に返事をした。「ここで大人しく座っていればいいんでしょ?」

「その通りです。物分かりが良くて助かります。では」と、憎らしいことを言って、アーはその場を去った。私は、近くにあった少し大きめの石を見つけて、どすんと座った。まったく、私はどうしてあんなに信用がないのかしら。



 アーが見えなくなった後、私は目の前に広がった光景をただ漠然と眺めた。多くの屋台では、店主と客がひっきりなしに会話を続けている。男女のカップルが手を繋いで野菜を買っている。

 子連れの家族が、子供の手を引っ張りながら、クレープ屋から無理やり遠ざかる光景を見た。買ってあげてもいいのに……と私は思って、立ち上がろうとしたが、アーの言いつけを思い出して座り直した。



 それから私はしばらくそこでじっとしていた。



 気が付けば、影が少し長くなっていた。太陽の角度から、2時か3時といったところだろう。ボーっとしていても、太陽が動くといった感覚は少し違和感だった。なんせ元の世界で勉強に一心不乱だった私にとって、太陽はいつの間にかに沈んでいるものだったからだ。いつまで待てばいいのだろう、と私は思った。


 すっかり影が伸びて、薄くなってきたころ、昼向きの食事から、夜の、少し味の濃い料理が並ぶようになってきた。とりわけ、焼き鳥は酷かった。店の前に鎮座する巨大なコンロに、無数の焼き鳥が並べられ、汗を流しながらじゅう、じゅうと音を立てていた。

 じゅう、じゅう。じゅう、じゅう。屋台の喧騒のどの声よりも響き渡るその音は、直接脳みそに伝わって、大量のホルモンを分泌させた。それは、じゅわじゅわと、口の中で溶ける肉を想像させた。正直に言おう。欲情した。


 先ほど、クレープを買ってもらえずに泣いていた子供が、近くで焼き鳥を舐めるように味わっていた。彼は意地汚くも、焼き鳥に付いたタレを舌で舐めまわしていた。タレの味をじっくり堪能すると、今度は勢いよくかみついた。音こそ聞こえなかったが、見ているだけでぐちゃぐちゃと食べている様子が脳内に浮かんだ。美味しそうに食べやがる。さっき助けなくてよかったと、私は心から思った。


「やあ、お姉ちゃん。もしかして、一人かい?」と、私は急に声をかけられた。不意を突かれたために、私はふぇっと変な声を出してしまった。

「そんなに驚かなくていいよ。俺はダスマ。君と一緒にデートしたいと思って声をかけたんだ」


 ん、この状況のことを、いつか青春小説で読んだことがあるわ、と私は思った。確か、これはナンパ、とかいったかしら。

 目の前の人物は、ナンパ師というにはあまりに誠実そうだった。歳は私より少し上くらいだろうか。髪は地毛か染髪か判別できないが、赤茶っぽく、顔もどことなく柔らかい雰囲気を醸し出しているが、背筋が伸びていて、洋服も――ほとんど名前の知らない服だったが――茶色いシックなジャケットに、グレーの比較的大きなチェック柄のスーツパンツだった。堅過ぎず、柔らかすぎずと言ったところか。……遊びの経験のない私には、これ以上分析することはできなかった。


「ずいぶん警戒するね」と、ダスマは言った。私は、下に向けていた目線を即座に顔に戻すと、きっと睨んだ。ナンパには、敢然とした態度を取るとよいと、SNSで見かけたことがあったのだ。

「わ、私……あの、私、ここで待つように言われてまして……」

「そっか、連れがいるんだ。残念だなぁ、そこの焼き鳥をちょっとご馳走しようと思っていたんだけど」と、ダスマは眉をハの字にして頭をかいている。

「焼き鳥ッ!?」

「え?」


 思わず、私は叫んでしまった。ダスマは、突然のことに、首をかしげている。脳内に、再び、じゅう、じゅうという音が侵食してきた。食べたい、食べたい。ああ、焼き鳥……。

 しかし、一方で私は、去り際のアーの顔を思い出していた。絶対、絶対動かないでくださいと、私に再三通告してきたあの顔。そう、私はここから絶対動いてはならないのだ。絶対、絶対に……。


「そんなに食べたいのなら、焼き鳥、買ってきてあげようか?」と、ダスマは言う。しかし、そうは問屋が卸さない。パシられたとあれば、後で、この男が私にどんな要求をしてくるか分からない。そもそも、この男が何のメリットがあって私に優しくしてくるのか。お母さんが度々「男は狼なのよ」と、言っていたのを心の中で何度も反芻した。


「い、いえ、私が自分で買いますから」と、私は言った。

 ダスマは、小さく「買うんだ……」と呟いたのが聞こえた。え、買って何が悪いの?

「あ、いやいや、そっか。変なことを言ってごめんね、忘れてくれ。姉ちゃん」と、言って、ダスマはそそくさとその場を去った。



「ふん、焼き鳥くらい、自分で買うんだから」


 私は、立ち上がると、焼き鳥を買いに屋台へ向かった。

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