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第二話: 「ラビリンス」

 牢屋の中は蒸し暑かった。

 私は、胸の位置まで伸びた自分の黒いロングヘアーが気に入っていたが、この時ばかりは後悔していた。長い髪は、熱をよく保存する。流れ出した汗が髪を濡らし、自分の頬にへばりつくのを感じた。

 しかし、私はその気持ち悪い汗を拭うことができなかった。なぜなら、私はいつの間にか手足を縛られ、胴体を木の板に固定されていたからである。口には、テープか何かを貼られていた。迂闊だった。警察だと思って安心して寝てしまっていたのだが、彼らは一言も警察を名乗っていなかったのである。


 私は、首の回る限り、辺りを見回した。ここは、かつてテレビで見たような、いわゆる刑務所の類の部屋ではなかった。むしろ、ファンタジーものの映画で見たような、粗末な作りのものだ。

 ここが地下であるということを思わせるような、荒い掘削の跡のある土の壁と、申し訳程度に灯っているランタンが、いかにも罪人に容赦ない衛兵の顔を思わせる。目の前に荒く打ち付けられていた鉄格子は、外界を重々しく遮断していた。


 ここは、一体どこだろう? 日本……だよね?


 私を逮捕したのが警察ではないことは確かだろう。この日本で、人をこんな風に扱えばきっと人権団体が黙っていないに違いない。かと言って、現代の日本で、警察のまねをして誰かを逮捕するといったことが許されるのだろうか?

 だが、これ以上は手掛かりがなかった。私から見える場所と言えば、通路の反対側の空の牢屋のみである。せめて、もう少し動ければ。



 ……どれほど時間が経っただろう。

 ただ、思ったよりは経っていないだろうと思う。手足が縛られ、変な体勢で木の板に固定されていても、足が少し疲れてきただけで、まだ思ったより痛くない。恐らく、睡眠薬も飲まされたのだろうが、頭痛も酷くない。

 しかし、目が覚めてしまった今、何もできないのは恐ろしく暇である。かつて、こんなに暇なことがあっただろうか。手持無沙汰を感じれば、手元の参考書を開いて英単語帳を舐めまわすように見ていた、受験時代。あのときは、本当に辛いと思っていたけれど、身体を拘束されている今を考えてみれば、きっと幸福だったに違いない。


「んん~っ!」


 声を必死に上げるも、一切言葉になることはなかった。また、大声を上げても、自分の声が反響するばかりで、何も反応がない。ああ、本当に退屈だわ。こんなところに閉じ込められるのなら、少しでも逃げてみればよかった。



 観察に疲れてしばらくした後、足元に大きな石が多数埋まっていてタイルの目のようになっていることを発見した。目を凝らさなければよく見えないが、大小さまざまな石が複雑に配置されて、一種の迷路のようになっているのである。

 その石の埋め方は雑になっており、極端に大きな石もあれば、細かい石もある。また、隙間に埋めるようなセメントがなかったのだろう。ところどころにぼこぼこと穴が開いている。


 極度の退屈から、私は迷路で遊ぶことにした。自分が乗っている石をゴールにして、石と石の隙間を道に、足で辿るのである。鎖の伸びる分であれば、少し重いが足は自由に動かせる。私はできるだけ遠い石をスタート地点に選び、まずは無造作に辿り始めた。


 これがなかなか難しかった。細かい石が多すぎて、どの道を通ればよいのか判別がつかなかったのである。また、どの道もうまい具合に行き止まりになっていた。続ければ続けるほど、私はムキになっていた。


 もう、埒があかないわ。かといって、今更スタート地点を変えるのも癪ね。私は、目を凝らして石の間の道を見つめた。受験時代の集中力を思い出し、頭の中に場合分けの樹形図を思い浮かべる。Aの道を選べば、あの石に辿り着いてゴールの道が閉ざされる。Bの道を選べば、この道を選択できるから突破できる、と言ったように。


 気が付いたら、パターンはZまで進んでいた。26通り以上の場合分けは、高校数学でもほとんどお目にかかることはなかった。ふと、なぜ私はこんなことをしているのだろうという気になったが、今私の置かれた状況を思い出すのを憚った。なにより、私は自分の作ったこのゲームをクリアしたい。

 それからも、私の試行錯誤は続いた。


 ――見つけた。ついにだ。あの道を通れば、私はゴールに辿り着くことができる。私は、スタート地点に足を当て、その分岐点まで足を進めた。何度もその先の道を目で確認し、感じるであろう達成感を、心臓の鼓動で感じた。

 しかし、困難はまだまだ続いた。その道を足で辿るには、限界可動範囲よりも少し外に、足を動かさなければいけなかったのである。

 私は、足を振り回してみた。やはり、鎖はこれ以上に伸びることはない。だが、その鎖のついていた木が少したわむことに気が付いた。数ミリなら、力を目いっぱいにかければ少しだけ伸ばすことができる。

 これまで、運動は全くしてこなかった。自分の将来に必要はないと思っていたからである。だが、たびたび母が、「少しは運動でもしてきたらどうなの」と、少しばかり困った顔で言っていたのを今更思い出した。私は、母に「興味ないわ」ときっぱり断った自分を反省しながら、その貧弱な足に力を入れた。


 もうちょっと、もうちょっと……。後、1ミリでも外側に動いてくれれば……。んん、あ、く……。ああっ、もうじれったい。なんで、なんで後ちょっとがのびてくれないの。ん……。

 私は、繋がっている足首がジワリと痛むのを感じた。足の先は既に、感覚がない。だけど、後ちょっとで、後ちょっとで届くのよ。私は、顔に力を入れて踏ん張った。股関節が今にも攣りそうだ。次第に頭がボーっとするのを感じ始めた。


「んっ、んんっ!」


 極度に力んだその瞬間、石の道をぐりんと足の指先が通った。まさに一瞬だった。道を通ったのだ。私は、心の中で「やった」と思った。

 しかし、まだ気は抜けない。ここで足を離してしまえば、折角のこの偉業がまるでパーである。落ち着いて……落ち着いて……。そう、鼻で呼吸を一生懸命整えようとしたが、心臓の鼓動はおさまってはくれない。



 二、三分くらいだっただろうか、私は、膝をピンと伸ばしたまま、石の間の溝に足を引っかけていた。心臓の動悸が治まってくると同時に、冷静な思考が舞い戻る。この体勢……傍から見たら(円を描く)コンパスみたいで気持ち悪い。

 一体私はどうしてこんなことをやっているのだろう。憧れの大学に入学したと思ったら、いきなり戦力外通告をされて、車に撥ねられたと思ったら、こんなところで迷路遊びだなんて。悲惨よ、全く。今更だけれど、私はどうして捕まったのかしら……。


 迷路は、ほとんど無気力に、ちょっとした気まぐれで終えることとなった。私は、足をずるずると溝に沿って動かして、自分の立っている石までたどり着いた。まぁ、ゴールであ――


 スパーン!


 刹那、爆竹が破裂したかのような音が聞こえた。と思ったら、突如鎖の元が大きな音を立てて外れ、身体が宙に浮いたと思ったら、手をつく暇もなく腹から地面に激突した。


「ぐぅ、痛い!」


 私は、腹を押さえて地面を這いずった。こんなに勢いよくお腹を打ったのは人生初めてかもしれない。あ、いや、あれはまだ若かった小学校の夏、プールで誤って変な姿勢で水に飛び込んだときの痛みもこれくらいだったかな。あのときはまだ、快方してくれる先生がいたけれど、今は、誰も、いない。


「ゴホッ……もう、いっつもどうして急に爆発するのよ……ってあれ?」


 私は、ハッとして口を押さえた。ない。テープが。今の爆発で? というか、よく考えたらどうして私、地面に倒れたのだろう。振り返ってみると、私が縛り付けられていたであろう木の板は、粉々に砕け散っていた。

 私は、即座に考えた。爆発の前に、私は何をやっていた? 迷路か。爆発した瞬間は? 迷路を解いた。もしかして、迷路を解いたから爆発した? まさか、そんなわけ。

 そういえば、一回目に爆発したときはなにをした? 温暖湿潤気候と呟いた。二回目は? 草の燃えた範囲を、大雑把だけれど割り出した。爆発には、何か法則があるのか? 法則があったとして、どうやって爆発した? 今回も私が爆発したのだろうが、一体私の何が爆発したと言うのだ。


 しかし、今は私を爆発させる方法を考えるのが先決である。何かするごとに、突然爆発されたら溜まったものじゃない。今はお腹を打っただけで済んだが、例えばビルの中などで爆発したとしたら……考えただけで身震いする。

 私は、バッと振り返って、自分の解いた迷路を見た。しかし、この迷路が直接関係していないのは一目瞭然だった。一回目と二回目の爆発は、迷路を解いたために起きたものではなかったからである。

 一回目と二回目に共通する法則性は……受験国語でのこの手の問題は、相違点を捨象し、共通点を抽象することで、より普遍的な説明を目指すことが肝心であった。今回も簡単なことなはずだ。

 爆発にジャンルは関係ない。一回目は科学用語、二回目は数学、そして今は単純な迷路。また、声で爆発が起きるわけでもない。一切声を出さずとも、爆発は起こった。じゃあ、三項に共通しているのは、もしかして。


「答えを当てれば、爆発するんだ」


 気が付いたときには遅かった。その判断そのものが、ある一種の“答え”だということに。

 地面にぞんざいに掘られた、脆い地下牢の一室で、巨大な大爆発が起きた。

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