放課後のピアニスト
この物語を、CGFさま、藤乃 澄乃さまに捧げます。
リアルに近いホラー作品です。
ピアノを習った事がある方へ
もし見られるのであれば
どうかお覚悟をもってご高覧下さい。
「ねぇ、知ってる? 手の小さいピアノ科の人って水かきの所、鋏で切らされるって話」
「えー、知ってるけど聞いたことないよねぇ」
「うん、私も。私も手は小さいけれど、訓練して開くようになったよ?」
「だよねー」
「やっぱ眉ツバだよねー」
同じクラスの子と話しながら練習棟に行くと、私たちはそれぞれ朝から並んで取った練習室に入る。
音楽科高二の夏は忙しい。志望大学の夏期講習に行かなくちゃいけないし、何より私は学内のオーディションを控えていた。
夏休みの練習期間を経て、二学期が始まったらすぐに選抜の試験がある。
「ナナー、今日いつまでやってくー? 私、今日紀尾井で先生が演奏会だからさー、五時には出るけど」
「あー、私は最後までやってく。ラフマニのピアコンがむずい」
「オーディションもうすぐだもんね! がーんば! じゃ、また明日ねー」
友人のマナにバイバイ、と手を振ると、私は分厚い楽譜を取り出した。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番は映画音楽みたいなドラマチックな曲。
片手で一オクターブ以上の音を同時に弾けたラフマニノフが書いた協奏曲は、生まれつき手が小さい私には非常に難しい曲。
でも訓練で指が開くようになり、やっと先生から弾いていいよ、と解禁された曲だ。
息を吸い、所定の位置に手を置いて奏で出すと、私はすぐに音の世界に身を投じていった。
トントン
練習室のドアを叩く音がして、私は現実に戻される。
誰? と弾きながら顔だけドアに向けると、マナが小窓から手を振っていた。
私は立ち上がってガチャリと防音のドアを開ける。
「どしたの? 直接演奏会に行くんじゃ?」
「うん、そうなんだけど……あのさ、さっきの話」
「うん?」
「実はうちの卒業生でいたみたいだよ?」
「へぇ、すごいね」
「でもね、痛すぎてショック死しちゃったみたいなの!」
「え? 病院でやってもらったんじゃないの?」
「先生に無理矢理切られたみたい」
「こっわっ!」
「だよねー、でさ」
「うん」
「……出るんだって、この練習棟に」
「やだやだウソやめてっ」
マナはじっと私を見つめて、やがて、にかっと笑った。
「ウッソー!! やーい引っかかった!」
「もうっマナーーっ!! やめてよ、信じられないっ!」
「だぁってさー、一人で紀尾井まで行くの寂しいんだもん。ナナー、一緒に行かない?」
「一人でつまんないからそんな話したんでしょ! もうっ、ほんとやめてっ 時間ないからいけないよっ」
「だよねー、言ってみただけー」
マナはてへっと笑ってごめんごめん、また明日ね、でも気をつけてね、と言って部屋を出ていった。
「気をつけてもなにもウソなんでしょ! もうっ」
私はまたピアノに向かい、途中で止まっていた音楽を再開した。
練習中、何度も一オクターブ以上の和音にあたる。私の手はどうしても小さくて、ラフマニノフのように全ての音を同時に鳴らす事は出来ない。
低い音を一音鳴らしてから記譜上の和音を鳴らす。
ド シャーン ジャーン
ド シャーン ジャーン
本来ならば ジャーン ジャーン と鳴る和音。
私が弾くと、ド シャーン となる。
ああ、もう少しだけ
もう少しだけ手が大きく
生まれてきたら良かったのに
「手、小さくても、和音、弾けるようになるわよ?」
「え?」
私はぎくっと手を止めて顔を上げると、左後ろに同年代の女の子がいた。
先輩らしい。制服についている校章が三年の色だった。
でも、ドアの開閉に気がつかなかった。
いつもはガチャリと音がなるのに。
「ちょうど練習室を探していたら、ラフマニが聞こえたから。私も以前練習していたの。手が小さいと、最初とか、きついよね」
「あ、そうなんです。私、手が小さくて」
「私も。一緒だね」
そう言って先輩は手の平を私に向けたので、思わず私も彼女の手に合わせて手の平を差し出した。
比べるように重ね合わせると、ゾッとするような冷えた手で、大きさよりもそちらが気になってすぐに離す。
「ね、私がやってみた方法、試してみる? 絶対弾けるようになるんだけど」
「え? どうするんですか?」
「それは言えない。やるかやらないか、今ここで決めて?」
ふふっと微笑んだ先輩。
きっと誰にも教えられるものではないんだな、と私は察した。
隣の練習室からラフマニノフの冒頭が流れ出してきた。きっと同じオーディションを受ける子だ。
ああ、この子はちゃんと
全ての音が
同時に弾けている
楽譜の
記譜上の音を奏でる事が出来たなら
どんなに気持ちいいのだろう
私も
私が
和音が弾けたら
もっと
もっと素敵に弾けるのに!
「先輩っ 教えて下さいっ! 私も、私も皆と同じように全ての音を弾いてみたい!」
私が思いのたけを叫ぶと、先輩はにぃと笑って、わかったわ、と言った。
「両手を広げて出して。目一杯指の間を広げるの。そう、限界まで」
「こう、ですか?」
「いいわ、そのまま」
そう、先輩は言うと
後ろから剪定ばさみを出した先輩は
バチバチバチバチ と
私の
水かきを
切った。
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「ねぇ、知ってる? 手の小さいピアノ科の人って水かきの所、鋏で切らされるって話」
「知ってるー 何年か前にここで本気でやった子いるだってー」
「あっ知ってる知ってる! あまりの痛さにショック死しちゃったんでしょ? やばいよねー」
「私も手が小さいから分からなくもないなぁ。あ、やらないけどね?」
「だよねー」
「やばいよねー」
「こっわっ!」
同じクラスの子と話しながら練習棟に行くと、私たちはそれぞれ朝から並んで取った練習室に入る。
私は聞こえだした、ド シャーン の音にゆっくりと微笑んだ。
見つけた
私は後手に鋏を握りしめ
廊下の小窓から
あの曲の冒頭を弾く小さな手を眺めた。
fin