私と私の家事情
私が自分を赤ちゃんと認識する時の視覚や聴覚の悪さには単純な理由がある、赤ちゃんは生後間もないころは目がそんなに見えないのだ聴力はそれなりにあるが聞こえずらいぐらいの感じだという・・・というか肌身で感じた。
そんなことがわかるのは私が教師であるとともに中学校教諭 一種 保健体育と専修 数学の教員免許をもっているからでもある、小学校の免許も取りたかったのだが、単純に難しくて取れなかった・・・小学校の方が全教科まんべんなく出来ないとならず難しいのだ。
しかし、保健体育は体のことなどがあるから役に立ちそうではあるけども、数学はどうなんだろうか?役に立たないなんてことはないだろうけども、目に見えてというのは難しそうな感じがする。
理由としてはこの世界の文明が学問による研究をあまり推進していないところにある、どうも政治体制をみると軍事国家であろうことが分かってきた。
軍事技術と産業技術の経理的な立場ならば役に立つのかもしれない、化学をもっと知っていたらと考えるがそういえばこの世の理はだいぶ地球とは違っていたなと思いだす。
言うなれば魔法が存在するようだ、ゲームの世界だ。
ゲームはそれなりにやったことがあるがその世界観になんとなく酷似している気もする。
なんてことを考えていると私の父にあたる人が入ってくる
「マルベール 今日は何を読んでいるんだ?私に似ず本を読むようになるとは」
私は京本 学典だが新しく ドゥー・マルベールと名づけられている、お菓子的である
文字としては漢字やカタカナのような文字はなく感覚としては英語的なものである おかげで本を読むのは単語を覚えながら読み進めていけば短期間で読めるようになった、日本的な文字だったら一から覚えるのは大変だっただろう。自分の居た国の言語の難しさを感じたよ。
「歴史を見てる・・どうして自分がこの立場にあるのか知りたいんだ」
「マルベールよ難しいことを考えるな体を動かして体を鍛えてこそ、知略も宿るというものだ」
「うん・・」
構わず読み続ける私・・あまり物分かりはよくないように心掛けている
最初、親二人には自分の記憶について話そうとも考えていたのだが、この親二人ゴリゴリの武闘派で私に筋トレや体を使った戦い方を教えることが多い、保健体育の教師でもあるので体を動かすことに否定的な気持ちは持たないが、今は知識欲が勝つ。こうやって考えていくと子供が世界について知りたいとおもうのはいささか不自然であるかもしれない、おかれた立場に疑問を持つのはもう少し自我が確立してからだろうから、神童ってのは早くに自我を確立したもののことを言うのかもしれないな。
・・と違う違う、嫌な言い方かもしれないが正直、親二人には話が通じないと思ったのだ。
いや・・たとえこの親以外だったとしても話すことは躊躇われることになっていたとも思ういきなり前世では~地球が~というのを信じるというのは子供から出てきた言葉としては少々キツイ。
ついでではあるが、ここが死後の世界で皆が実は記憶を受け継いできているという可能性を思考したことがあったがそれへの否定は一応はできている、周りの人へ日本語や英語で一言二言、時をおいて声をかけたことがあるが理解した人はいなかったことや、本にそういう記述が一切なかったことが一応の否定ととらえている。
一応というのはおかしな話だが神とか天地創造的な可能性を考えると全ては否定できないからである、頭の片隅には可能性をおいておくぐらいにはなるし、私と同じことになった人が居ることは確実であるとも思うからだ。
少しだけ話が変わるが私が一人目の前世記憶保持の発症者なんてことはきっと無いと思っている、地球に居た時も何かの病気にかかっても、私が初めての発症者だ!と思ったことは無い。まぁ私の今の現状はかなり特別で少数であることに違いはないと思うことも確かだけれども。
この症状が大多数であるならば、私と同じ考えを持ち地球にたどり着こうと考えその行為をあきらめずに行える人が居る、もしくは団体でそれを可能にしたであろうと思うからだ。
そして先にも言ったとうり私が最初の発症者だとは思いたくないので、これについてはいくつかの発信案を考えている、もう少し大きくなったら実行しようと思っている。
私はまだ7歳だ
私の家はドゥー家となっていて私の父は言うところの将官 准将であるこの国には人民の階級による差はないが見えない階級はなんとなく存在しているといったところが大きい。
軍事国家というのはどうも表立ってというよりは実質的なという役割を持っていて政治家的な席に軍部のトップ層が座っているという形になっている、これはしょうがないと言えるそもそもこの世界の今の時代においては戦いがかなりの基礎となっている魔物の存在がありそれらは他国による生物兵器の様相を持っていてこれに対応しなくてはならず自然とそれに対する力を持ったものがしかるべき地位を獲得していったと言う経緯がある。
この世界は人の力、武力というのか分からないがそれが強いもの弱いもので開きがかなりあるように見える、それは力のつけ方を知るものと知らないものとの差といいかえてもいい、私はここに自分の興味をもっていかれつつある、私自身がそれを学び教えるのが可能であるから。
軍事がいかなるものかを私はまだ知らないし、戦による代償も考えなくてはならないが大人の身勝手に振り回される子供はこういう世界でも多いように思う、私はそれを大人の責任にはしたくない、子が自ら行うことこそ意味があり自由なのだ、私はこれをとりあえずの目標の指針にしようと思う。
地球でなし得なかったことをここでやってみるのもいいかもしれない。
私は人を育てるのが好きでもあるのだから。