マッチポンプ
ドガシャンッ
その時、箕輪城の時が止まった。
ピーー、ヒョロロロ……
鳶の鳴き声が遠く響いている。
静寂の中、輝虎の上からおもむろに立ち上がった希美は、あんぐりと口を開けている業盛に言った。
「……このように、飛び降り自殺は下にいる人を巻き込んでしまうから、非常に迷惑なんだ」
業盛は目を見開いたまま、こくこくと頷いた。
だが、そんな言葉でこの状況が誤魔化されるわけがない。
「「「と、殿おおっ!!」」」
フリーズから回復した上杉家の家臣等が一斉に駆け寄った。
家臣の一人が口元に耳を当てる。
「……息がない」
全員、顔色が真っ青だ。
希美も真っ青である。
家臣等は輝虎の兜を外し、袖と銅、わきびきを脱がした。
そして、中の下着をはだけさせ、割ふんどしを取ると、一人が裸の胸に耳をつけた。
皆、固唾を飲んで見守っている。
希美も両手で口を押さえ、見守った。
「心の臓の音が聞こえぬ」
「「「「「うおおぉ!殿おおおぉ!!」」」」」
落胆と嘆きの声がこだまする。
業盛がそっと耳打ちした。
「お見事で御座る」
希美は怖い顔で輝虎の顔を睨んだ。
(お見事?確かに上杉を喰らうなら、こいつを殺したら早いし、結果オーライなのかもしれない。……でもさあ)
「おのれえ!お前、その兜、えろ教の柴田!よくも殿を!!」
上杉方の誰やらが希美に組みついてきた。
「こんなん全然、納得できんわ!!どけい!」
「がはっ」
希美は、誰やらを掴むとぶん投げ、輝虎の周りに集まる上杉の家臣共の中に割って入った。
「お主、殿には近づかせぬぞ!」
「おのれ、許すまじ!」
歩みを進める希美を、家臣等が阻む。
だが希美は押し通り言い放った。
「おい、蘇生できるかやってみるから、そこをどけ!時が惜しい!」
その言葉を聞き、家臣等に動揺が走った。
「本当に生き返るのか?!」
希美はその問いかけを無視して輝虎の傍でしゃがみ込み、輝虎の肩を叩いて呼び掛けた。
「上杉さーん、上杉さーん!……意識無し!」
次に呼吸を確かめた。
「呼吸無し!」
希美は、近くの家臣Aに命じた。
「119番通報お願いします!」
「へ?」
家臣Aは動揺している。
次に、家臣Bに命じた。
「AED持って来てください!」
「え、いいでえ??」
家臣Bはまごついている。
「おい、ひゃくじゅうきゅうとはなんだ?」
「いいでえは、どこにあるんだ??」
問いかけてくる家臣ABに、希美は怒鳴った。
「うるせえ!!この時代に、んなもんあるか!!あれだ、意味はないが、復活の呪文みたいなもんだ!黙ってろ!!」
「「ええ……」」
本当に非道い奴である。
ただし、『いいでえ』な人は探せばいるかもしれないが、そっとしておいてあげて欲しい。
希美は、前に習った蘇生法を必死に思い出した。
輝虎の胸を見る。意外に乳首がピ……ではなく、胸の変色などは無い。
骨は折れていないようだ。
(上杉さんの骨、強ええ……フルアーマーアタックかましたのに。やっぱ、あれだな。海近いから小魚食ってんだな!)
心臓や臓器が傷ついてたらアウトだが、ショック死なら蘇生の可能性はある。
希美は手を重ね合わせて組み、輝虎の胸の上に置くと、胸骨圧迫を開始した。
「いちっ、にっ、さんっ、しっ、……」
「頼むっ、殿を生き返らせてくれ!えろ大明神!」
「生き返らせてくれたら、わしは何でもする!」
「わしもじゃ!命を差し出す!」
「わしも、何でも言うことを聞く!助けてくれえっ」
「わしもじゃ!」
「わしも!」
「えーろっ、えーろっ」
「えーろっ!、えーろっ!、えーろっ!」
「「「「「えーろっ!えーろっ!えーろっ!……」」」」」
「うるせえええっっ!!!」
「「「「「…………すいませんでした!!」」」」」
「えろ」の祈りの大合唱の中、なんとか三十を数え終えた希美は、人口呼吸に移る。
輝虎の頭の位置を動かして気道を確保した希美は、そのうっすらと開く、ひび割れたがさがさの唇に、己れの唇を……。
「「「「「あ、あ、ああーーーーっ!!」」」」」
「だから、うるせえわあっっ!!!」
「「「「「だ、だって……」」」」」
ギャラリー(上杉勢と、何故か箕輪衆他)が大注目の中、上杉輝虎と希美のマウスtoマウスは敢行された。
希美はまわりの事など無視して、懸命に命を吹き込む。
そして、また胸骨圧迫、人口呼吸。
ひたすらこれを繰り返す。
AEDは無いのだ。
これしかない。
上杉の家臣等がえろ大明神に祈るような気持ちで見守る中、その時は訪れた。
「がはっ……げほっ、げほっ……」
「「「「「うおおおおおおおお!!!」」」」」
輝虎の息が戻ったのだ。
希美は、ふうとひと息吐いた。
「仏の御業じゃあ!」
「えろ大明神の御力じゃあ!」
「「「「「えーろっ!えーろっ!えーろっ!えーろっ!」」」」」
上杉勢は、歓喜のあまり「えろ」の大合唱だ。
そんな中希美は、咳き込みながらまだ意識のはっきりしない輝虎を腕に抱え、立ち上がった。
そして、大音声で言い放った。
「さて、上杉の者共よ!!先ほど『殿が助かるなら何でもする』と言ったなあ!!!」
さっきの勢いはどこへやら、上杉勢は、しん…と静まりかえった。
「い、っ、た、よ、な、あ、?」
希美のだめ押しに、何人かの家臣等が「言いました」と頷いた。
希美は辺りに呼び掛けた。
「柴田、武田、松平の皆さーん、カモーン!!」
本丸館から、二の丸の館から、近くの建物から、ぞろぞろと希美率いる連合軍が現れた。
業盛等箕輪衆も、しれっとそこに加わる。
希美は上杉勢に向かって言った。
「上杉さんは、私がもらった!お前等、降伏しろ」
「ふ、ふざけるな!誰が降伏など……」
家臣等が叫ぶ。
希美は鼻を鳴らした。
「ふん、降伏せず戦って命を落とす事を選ぶか?」
「わし等は最強の上杉軍よ!毘沙門天の御加護もある。お主等なんぞ、食い破ってくれるわ!」
それを聞き、希美は呆れたように言った。
「あのさあ、私達もけっこう数いるけどさ、実は松山城で戦った武田・北条軍のお兄さん達、上杉の皆さんともうひと勝負したいって、この城の外に来ていまーす。だよねえ、次兵衛!」
「ははっ!」
次兵衛が仕掛けておいた火縄銃を空に放った。
「ぅおおおおおおおおおおおお!!!!」
その音を合図に、城外で空を震わすほどの声が挙がった。
容易に、大軍と想像できるほどの声だ。
希美は、さらに重ねた。
「お前等、毘沙門天の御加護とか言ってたが、それならこちらとて、お主等も見た通りの仏の御加護も、えろ大明神の力もあるんだぞ。あ、そうそう。越後からの救援は来ないよ」
上杉方の一人が恐々と聞いた。
「な、何故だ……」
「ええー?だって今頃、芦名さんとドンチャン騒ぎの真っ最中だぞ?来たくても、来れないんじゃない?いやあ、残念だったな。わかる?」
希美は、にっこり笑った。
「上杉さん達の、詰み、だよ?」
上杉家臣団は、状況を悟ったようだ。
重臣の一人が膝から崩れ落ちると、皆、雪崩れの如く崩れていった。
張り詰めた心が、折れてしまったようだ。
希美はそんな彼らに優しく語りかけた。
「なあ、『殺せ』とか思ってる?ふふ、殺さないよ。だってお前達、私に借りがあるだろう?輝虎を救ってもらった借り、がさ」
「な、何を……、元々お主が、殿をあんな目に……」
希美は意外そうに上杉家臣団を見た。
「そうだよ?だから、何?我等は敵同士。攻撃するのは当たり前じゃないか」
家臣等は何も言えなくなった。
希美は語りかけた。
「私はね、私の都合で上杉さんを助けたんだ。でも、私が上杉さんを助けたのは事実だし、『助けてくれるなら何でも言うことを聞く』って言ったのも事実だろ?なら、私がお前達に望むのは一つだ」
「それは何だ?」
家臣の一人が尋ねた。
「生きてさ、私と上杉さんが越後を生きやすい地にするのを助けて欲しい」
希美の言葉に、上杉方は皆目を丸くした。
希美は越後の方角を見た。
「聞いているよ、貧しいって。越後の民を食わせるために、お前達が頑張っているって」
希美の視線が、家臣団に向いた。
「本当は、豊かになるなら、えろ教徒が教える農法を受け入れたいって思ってるよな」
皆、俯いた。
飢えは悲惨だ。だからこそ、奪ってきたのだ。
豊かになるなら、何でもする。そう思ってここまで来たのだ。
「お前達も知っての通り、私は別に上杉さんの命が欲しいわけじゃない。こうなってしまった以上、越後を喰らうし、武田や松平、北条、芦名にも越後を分けないといけないけどな。でも、えろ教徒が農法を広めれば、今よりずっと民の暮らしは良くなる。上杉さんもうちで引き取るし、お前達、これからは私といっしょに越後を豊かにしていかないか」
家臣等は揺れている。
いくら輝虎が柴田に引き取られたとしても、主の意向を裏切る事になるのではないかと不安なのだ。
希美は彼らの眼を見て感じ取った。
揺れている、と。
彼らは背中を押されたがっている。
そこで、希美は笑って肩をすくめて見せた。
「と言っても、お前達に選択権は二つしか無いんだ。抵抗して死ぬか、共に生きるか。そして、私はその選択肢を削る。借りを返せ、お前達!!私の望みを叶えよ!お前達は、武士だ。武士に二言は無いはずだろう!生きて、越後を豊かにせよ!!」
上杉の家臣等の目が希美に向いた。
決断した目だ。
そして、先頭の武士が平伏すると、波が伝わるように皆、平伏していった。
彼らは恭順を示したのである。
(いやあ、なんか、上杉さん死んじゃった時はどうなるかと思ったけど、結果オーライだったわ!)
希美は呑気に喜んでいるが、輝虎が目を覚ましたらどうなるか。
なんせ、起きたら家臣団が降伏し、越後は詰みの状態なのだ。
もしかしたら、またショック死してしまうかもしれない。
なんだかんだで、輝虎を生き返らせた時に、家臣達はえろ教や柴田勝家を受け入れちゃったのが彼らの敗因ですかね。
それがなかったら、徹底交戦で根切りになってたかもしれません。