放たれた、えろ
ちょいと長くなり過ぎ申した!
「ならば権六、話がある。ついて来い」
会露改名ショックで放心状態となっていた希美は、信長に頭を鷲掴みにされ、我に返った。
「うぇ?!」
そしてそのまま流れで首根っこを捕まれ、強制連行だ。
「いやいや、首絞まってる!全然余裕だけど、絞まってるから!」
「五月蝿い!河村久五郎、お主もじゃ!」
「?ははっ」
引き摺られる希美の後を久五郎が着いていく。
それにしても、信長に会う度に説教コースになるのは何故なのか。
信長とて、毎度希美のやらかしにはうんざりだろう。
高校時代、修学旅行のあらゆる集合時間に遅刻した希美グループを毎回叱らねばならず、最後には監視をつけざるを得なかった教師の気持ちを、今一番理解しているのは信長かもしれない。
さて、今度は何をやらかしたのか。
岐阜城の一室に連れていかれ、適当にうっちゃられた希美は、信長の物理的な攻撃的スキンシップを羨ましそうに見る恒興の視線を感じながら、居住まいを正して座った。
隣には、久五郎が座っている。
信長が、ドスンと腰を降ろしてあぐらをかくと、後ろに控えていた長秀と恒興も腰を降ろした。
「おい、権六、その方恋人ができたそうだなあ?」
「はあ??」
上司から突然プライベートな質問だ。
それも、身に覚えはない。
希美は戸惑った。
信長は不機嫌そのものといった口調で重ねた。
「なんでも、徳栄軒殿とは『信玄』『のぞみ』と呼び合う仲だとか?『のぞみ』なぞと女のように呼ばせるとは、なかなかにいじらしい妻ぶりではないか?」
しかも嫌味ったらしい。
(信長がうぜえー!何なんだ、皆して!誰だ、間違った情報を流している奴は!)
希美は苛ついた。
ちなみに、噂を流しているのは信玄本人である。噂を先行させ、なし崩しにしてしまおうという腹だ。
「殿、間違った情報に踊らされておりますぞ。そのような事実は一切御座いませぬから!」
希美は憮然として抗議した。
信長は鋭い目付きで希美を見た。
「ならば、何故新しき農法を教えた?あの農法は末森以外の織田領も、今年から始めるのだぞ?それを、いくら同盟国とはいえ他領に教えるなぞ、あり得ぬわ!!」
(それは、絶対怒られるとは思ってましたー!)
だが、ここで非を認めるわけにはいかぬ。
他国も富まねば無駄な戦は無くならない、そう希美は考えていた。
希美は信長に問いかけた。
「殿は、世の在り方をどう考えておられるのですか?この修羅の世を」
「世の在り方、じゃと?」
眉をしかめる信長に、希美はさらに問うた。
「殿が天下布武の構想を持っている事は知っておりまする。殿の考える天下の範囲はともかく、天下統一までどのくらい時がかかりましょうや?その間、死ぬ仲間を少なくするには、どうすればよいでしょうや?」
信長は少し考えて、答えた。
「調略か?」
「はい、残念!解答権が丹羽さんに移った!丹羽五郎左さん、お答え下さい!」
「大量殺戮兵器」
「危険思想!!どこのアメリカさんだ?!この野郎!次!池田勝三郎さん答えて!!」
「殿を逃がすために、全裸で敵の目を引き付けまする!」
「全裸になったのは、絶対殿のためじゃないよね?!全員不正解で、仲間の命が大量に没収とされてしまうわ!」
「では、正解は何じゃ!」
悔しそうに信長が食ってかかった。
希美はあっさり正解を告げた。
「そんなの、戦が無ければよいだけの事でしょーが」
信長等がぽかんと口を開けた。
信玄から希美との話を聞いていたのだろう、久五郎はうんうんと知った風に頷いている。
「そ、そんなの、当たり前の事ではないか!!」
「その当たり前を作り出す。それが某の構想に御座る」
唾を散らす信長に、希美は言った。
信長は真顔になった。
「農法を隠さぬ事が、戦を無くす、と?」
「全てとは言いませぬが。腹が減って隣から奪う。その仕返しをする。そんな無駄な戦は減りましょうな。その分、味方の命が救われる」
「それは敵も、で御座いましょう」
恒興が懸念を述べた。
信長もその尻馬に乗る。
「その通りじゃ。みすみす、敵を太らせるのだぞ?」
希美はその懸念を肯定した上で、考えを伝えた。
「太らせればよいのですよ。ただし、誰が太らせてやったか、同時に民に浸透させますがね」
信長が何かに気付いた様子で希美を見た。
「まさかお主、えろ教を……」
「技術提供と共に、同時進行でえろ教布教。別に入信せずともよいのです。えろが、えろを遣わした織田が民を救おうとしてくれた。その事実が重要なのです。民は感謝するでしょうなあ。それなのにもし上が織田と戦うとしたら?」
信長の喉がごくりと鳴った。代わりに長秀が素晴らしい笑顔で答える。
「ふふふ……民は抵抗しましょうなあ。確実に士気は下がりましょう。ふくくくく……」
「然り。大軍といえど、その多くは民で御座る。民意を蔑ろにすれば民とて嫌になりましょう?何、我が領は豊かだし、まだまだ開墾できる土地はある。逃げたい民は、えろ教徒が連れて逃げても良い」
恒興が興奮して膝を叩いた。
「なるほど、内から瓦解させるのか……!」
希美は、にこりと頷く。
「その方、なかなかえぐい事を考えるの……」
信長はちょっと引き気味だ。
希美は憤慨した。
「失礼な!織田に反意さえ抱かなければ、皆が幸せになる道ですよ!」
そんな希美に、信長は気になる事を告げた。
「松平蔵人と同盟を結ぶ事となった」
「はあ」
(松平って、徳川家康の事か。そういえば、清洲同盟ってあったね)
「この十五日に、岐阜城にて蔵人と会うて結ぶ。先ほどあやつの使者とそう話が決まった」
「……それはおめでとう御座る」
(はい、清洲同盟、教科書から消えた!岐阜同盟!岐阜同盟に変更ですよー!)
「使者が言うには、蔵人めがえらく喜んでおったと」
「?」
信長が目頭を揉みながら声を絞り出した。
「えろ教徒が先月末、突如やって来て、『えろ大明神である柴田権六の意向により、新しき農法を伝え三河の地を豊かにしたい』と、百姓共に末森の農法を授けておるそうな」
「ふぁっ?!!」
「蔵人め、何やらえろの教えに感化されて、着衣人形作りにせっせと精を出しているとか」
「せせせ、精を出すって、一生懸命頑張っているって意味ですよね?」
「知るか!!」
混乱して怪しい事を口走る希美に、信長は怒鳴った。
「何にせよその方、えろ教徒を遣わすなら、何故先にわしに相談せんのじゃ!!」
信長の怒りはもっともである。
しかし、希美はそんな指示を出していない。
どういう事なのか。
「殿……、某、信玄には農法を教える話をしましたし、上杉にも伝えていいとも言いましたが、三河にえろ教徒なんて遣わしてませぬよ??」
希美の言葉に、信長は恫喝した。
「ああ?!その方が遣わさぬなら誰が遣わすというのじゃ!」
希美も反論する。
「本当に知らないんですよ!某は本当に……」
希美はふとした疑念が浮かび、久五郎を見た。
つられて信長も久五郎に目を向ける。
希美は低い声で訊ねた。
「おい、久五郎。お前、何か知っておるのではないか?」
久五郎は少し思い返す素振りをした後、ぽんと拳で膝を打った。
「おお!そういえば以前、徳栄軒殿から、お師匠様が如何にして新しき農法を徳栄軒殿に教えられたのかを伺いました際、あまりの感動にその話をえろ教の集いで、使徒や信者達に伝えましたな」
「そ、それで?」
希美は、嫌な予感がしてきた。
「その時、皆『えろ大明神様の素晴らしきご意向はわしらで叶えて差し上げようぞ』と盛り上がり申して、『命賭けても他国にお師匠様の農法を伝え、戦を無くす手伝いをする』と百姓出身の使徒達が息巻いており申した」
「「それだ(じゃ)!!」」
希美と信長の声がそろった。
「じゃあ、その使徒が早々と三河に行ったのか」
額を押さえる希美の前で、信長が不穏な声を出した。
「お、おい……使徒達と言ったな?まさか、他の国にも……?」
「「「あ……」」」
久五郎以外の全員の顔が青褪めた。
そんな中、久五郎が平然と言った。
「お師匠様、確かに使徒等は勝手に動きましたが、他国をも豊かにし戦を減らす、というお師匠様の意図からすれば、間違ってはおりませぬ。何を慌てておられるのですかな」
希美は鼻息を荒くして久五郎に言った。
「いや、そうだが!中には危険な国もある。せめて事前に知っておれば……」
どの口が言うのか。そんな目で信長が希美を見ている。
久五郎が笑って言った。
「この世に、安全な所などありましょうや?ただでさえ、他国へ行くのです。どこでどんな風に命を落としてもおかしくはない。それを承知で、使徒達は行く事を決めておりまする。安全な旅など、笑止で御座る!」
(これが、戦国時代……)
確かに現代日本と違うのだ。どこに行こうと人が争い、奪い合うのが常の時代。
考え込む希美と、ただじっと話を聞く信長に、久五郎は言った。
「既に矢は放たれ申した。お師匠様のご意向には命をかける価値が御座る。某もそのように考えたからこそ、使徒等を止めなんだ。その上でどのような事になろうと、その責任の一切は全て、筆頭祭司の某に御座る。気に入らねば、首をはねなされい」
信長はふっと息を吐いた。目が据わっている。
「ほう、ならば……」
希美は慌てて割り込んだ。
「筆頭祭司の責は、その上に立つ某の責で御座る!はねるなら、某の首をはねられよ!!」
「阿呆!お前の首は、はねたくてもはねられんだろうが!!」
「知ってた!」
信長は、深くため息を吐くと立ち上がり、久五郎をおもむろに殴りつけた。
「殿!」
久五郎の前に出た希美越しに信長は言った。
「今後、えろ教に関する権六の責は、お主を痛めつける事にする。こやつ、首がはねられぬでな」
「はあ?!」
「お師匠様のためならば、本望に御座る!」
「う、羨ましゅう御座る!」
驚く希美に、何故か喜ぶ久五郎、羨む恒興と三者三様だ。
信長はそれを見て、疲れたように言葉を放った。
「織田の今後のために、戦を減らす策を認める。好きにせい……」
「殿……!大好き」
「気色悪い事を申すな!」
希美の感謝の『大好き』を一刀両断した信長は、「飲み直さずにはおれぬ!」と恒興を連れて部屋を出ていった。
後には、希美と久五郎、そして長秀が残った。
「あれ?丹羽殿?殿に着いていかなくていいのか?」
長秀は首をかしげる希美の腕を取り立たせると、どこかに連れていこうとする。
「に、丹羽殿?どこへ?」
「厠ですよ。柴田殿」
長秀はにっこりと微笑んだ。
「さぞ、全身を信玄坊主の汚い手でまさぐられたのでしょう。そのような汚物まみれの体は、某の汚物でしっかりと洗い流しましょうなあ……」
「ぎ、ぎぃやああああーー!!」
「あ!お師匠様!待って下され!」
レベルが高い闇ぷれいを要求する長秀の恐怖に、希美は手を振りほどき、久五郎を置き去りにして全速力で逃げた。
自分のために命を賭けてくれる信者を見捨てるとは、希美は非道い神である。