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知らぬ間に

五月十一日。斎藤義龍が死んだ。

左京大夫に任官され、念願の一色姓を名乗ってわずか数ヶ月後の事であった。



森部城でその知らせを受けた河村久五郎は、嘆息し深く唸った。

「まさか、本当に……今年、初夏……殿が……」

言葉にならなかった。

家老の井貫主膳の顔色は、蒼白だ。

「……殿、どうなされるので?」

久五郎は、鋭く主膳を見た。

「わしの心は、あの日から決まっておる。師に、柴田権六勝家についていくのみよ」

主膳は厳しい顔で久五郎を見た。

「そのように申されると思い、兵の準備はできておりまする。殿のどのような下知にも応じましょう」

「ようやった、主膳。それにしても凄まじいものだの、仏の御加護というものは。流石は我らが神よ」

「真に」

「お師匠様……早くお会いしたいものだ」

久五郎は、遠く清洲の方角を見た。久五郎の眼は、もう斎藤に向く事はない。




その頃、織田軍は既に清洲を発ち、美濃に入っていた。

しばらく行くと村人風の男が現れたが、こちらを見るや悲鳴を挙げて逃げていってしまった。男は逃げる時に、懐から何かを落としていったのだが、弓の名手である太田牛一は、目敏くそれに気付いた。

「何か落としましたな」

寄って見てみると、二十センチくらいの木材を荒く人形に削ったものに、小さく粗末な女物の着物を着せている。

牛一はそれを拾い上げて、信長の元に持って行った。

「これは一体何でしょうな?」

「何これ、なんか怖い」

牛一の手元を覗き込んだ希美は、人形の気味の悪さに思わず呟いた。


「殿に恥ずかしい趣味を植え付け、お方様達に折檻をさせて、間接的に殿を痛めつける柴田殿ほどの恐ろしさではありますまい」

「おい、人聞きの悪い事を言うな」

長秀が希美の耳許でうっとりと囁く。いつの間にか近づいていたようだ。

にこりと笑った長秀は、希美の左胸を指先でとん、と突いて言った。

「某は、柴田殿の乳首ごと心の臓までむしゃぶりつきたい……」

「お前が舐めるんかい!」

(赤ちゃんぷれいからのホラー展開、やめれ)

希美は馬を移動させて、さりげなく次兵衛の後ろに回り盾にした。



信長はそんな希美達に、

「そんなに気になるなら、次に村人に会ったら聞いてみればよい。行くぞ!」

と行軍を促した。

そのうち、前方に百姓姿の年老いた男が見えた。

腰を抜かしたのだろう、へたり込んで念仏を唱えている。


牛一は騎乗のままその老人に近づき、優しく声をかけた。

「そんなに怖がる事はない。織田の殿様は、逆らわぬ民に寛容よ。これまで美濃攻めには何度も来たが、乱取りをした事はないぞ」

老人は怯えた眼で牛一を見た。

「ま、真の事で?」

「真も真よ。命なぞ取らぬぞ。わっはっは」

牛一は怯える老人に笑って見せた。老人はほっとした様子で、肩の力を抜いている。

それを見て、牛一は懐から先程の人形を取り出し、尋ねた。


「ところで、ここに来る途中、わし等を見て慌てて逃げた男がおったのだが、その男がこれを落として行ったのよ。これは何なのだ?」

老人は何やら口をもごもごさせて答えた。

「ああ、そりゃ、喜八の奴だわ。喜八は、暇さえあればその人形を拝んどるんで」


「何、拝むのか?その人形を」

信長も気になったのか、近づいて老人に尋ねた。

「こちらは織田の殿様よ」と言う牛一の言葉に、老人は「ヒエッ、へへえっ」と平伏しかけたが、信長は「よい」と止めた。


「へ、へえ。最近美濃で流行っとる宗教です。男ばかりが入っております。その人形は神具で、それを拝む事で、神髄に近づけるんだとか」

「宗教だと?このような物を拝む宗教なのか?」

不思議そうな顔の信長に、牛一が言った。

「殿、堺には南蛮船が入っておるそうですが、南蛮人共が信仰している宗教の祭具に、『まりあ』という女の像があると聞いた事がありまする。もしや、それでは?」

「『バテレン』じゃな。このような所にまで入り込んでいるというか!」

驚く信長に、老人は口を挟んだ。


「ばてれんかどうかは知りませんがの、これは『えろ教』と申しますので」

「『えろ教』とは何じゃ?」

「喜八が言うておりましたのは、ええと、『えろ教』は元々『えろ道』から発しており、ある時現れた『えろ神』という人の姿をした神が、最初の弟子をして『えろ教』を為した、という話ですじゃ」

信長は、意味がわからないという表情だ。

牛一はどこからか筆を取り出し、紙にメモを取り始めた。

一方希美は、全身から冷や汗が吹き出している。

一益は目を剥き、次兵衛は固まっている。


一益は希美を睨み、口パクで聞いた。


ど、う、い、う、こ、と、だ?!


希美も慌てて、口パクで答えた。


な、し、て、な、い!な、す、わ、け、が、な、い!!



そんな希美達に気づかぬ信長は、老人に尋ねた。

「よくわからんな、そやつらは、何がしたいのだ?」

「『えろ教』の神髄に至れば、着物を来た女が裸に見えるんだとか」

「なんじゃと?!」

「信者達は、そのためにこの人形を見て修業するんだそうで」

「つまり、この人形をじっと見て、着物を着ていても裸に見えるよう修練を積んでおるという事か」

「へえ」

「なんと馬鹿馬鹿しい……」

「なんでも去年、森部の辺りで流行り始めたのだそうですじゃ」


(やっぱり、お前かあ!!河村久五郎!)

希美は森部に向けて、女が男に見える呪いを放った。


「去年……森部……」

信長は、ブツブツ呟きながら希美を見ている。それを見て、一益はそっと希美から離れた。

希美は、信長から目を逸らし続けている。

「のう、権六ぅ。その方、去年、森部にいたよなあ……」

ダメだ、第六天魔王からは逃れられない!


希美はなんとかしようと、頭の中で選択肢を挙げた。

➡①誤魔化す

 ②しらばっくれる

 ③黙秘する


どれにする?!これだ!!

➡②しらばっくれる


「いやあ、そのような話、森部にいた時にはありませんでしたなあ。のう、滝川殿」

そう言って振り向いた希美が見たのは、土下座中の一益の姿だった。

「申し訳ありませんでしたあ!!とるに足らぬ事だろうと報告せぬままでおりましたが、確かに柴田殿が河村久五郎に『えろ』について語っておるのを耳に致しました!」

「ちくしょうっ!彦右衛門っっ!!裏切りおったな!」

一益の凄まじい手のひら返しに希美は猛抗議したが、かえってそれが希美の嘘を露呈させた。


一益の口が動いている。


す、ま、ん、い、ち、ぬ、け、た


(わ、笑ってんじゃねえ!!)

一益がププッと笑ったのを見て、殺意を覚えた希美だったが、殺意を覚えたのは希美だけではなかったらしい。



ひゅおっっ


周囲の緊張、信長の息遣い、空気の流れ、風切り音。これらから判断し、希美はその場を飛びのいた。

そこには、刀を振り下ろして残心したままの信長の姿があった。

希美は、文句を言った。

「な、何するんですか!!」

「その方、反省していないようだのぉ」

「も、申し訳ありませんでしたあ!!」

信長は、ジャンピング土下座を放った希美の頭を踏みつけた。

「その方のために行軍の歩みを止める訳にも行かぬからのう……勝村に着いたら、当然『えろ』について聞かせてもらえるよなあ?権六よぅ……」


「そ、某が知る限りのエロについて、全て語らせてもらいますっ!!」




勝村に着いた希美は、信長に知る限りのエロを教授した。

そして信長は、開けてはならない扉の鍵を手に入れた。



希美のこの講義を密かに聞いてメモを取る太田牛一の姿があった事を、希美は知らない。



このままでは、信長公記が大変な事になる予感……

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