第二回柴武会談後編
まあ、生き馬の目を抜く時代だし、それぞれ思惑や事情があるよねって話。
さて、その日起こった出来事については、神保長織の行動に注目せねばなるまい。
柴田勝家と武田信玄の第二回武将会談が、今回は外に湯殿を作るため和田川の川原近くで行われる、という話を長織は事前に知らされていた。
その場所が、蛇行した和田川の、城側にぐっと入り込んだ形の川原で、城からよく見える場所である事、船で渡ればすぐの場所である事も、長織にはわかっていた。
まあ、増山城は、和田川を堀代わりにして建てているので、城から川原を臨めるのは当然である。
そして、武田が千の兵に対し、柴田勝家は寡兵の忍び部隊をを連れるのみだという。
それ以外の両軍は、さらにずっと後方で互いに牽制し合い、見守る格好となるらしい。
その情報を柴田勝家の使者から聞いた長織は、考えていた。
確かに、柴田勝家の庇護下に入れば、武田が攻めてきた時には今回のように助けてもらえるに違いない。
だがその代わり、神保氏は柴田も守らねばならず、今回の一向一揆では最終的に加賀から援軍が来たものの、一向宗に与した家老の寺島職定の粛清や門徒との交戦で、多くの犠牲を払った。
さらに考えてみれば、これからも自分達は武田と柴田の間に立ち、加賀に直接武田が向かわぬよう武田の攻撃に耐え続けねばならぬ。
これでは体のいい壁として使われているだけではないか。
長織はようやく、柴田勝家と結んでしまった不平等協定に気付いたのである。
だが、能登畠山氏も柴田領となり、もう柴田勝家の他にどこも頼れぬ状況。
あれだけ偉そうな事を言っておいて、今さら武田に寝返る選択肢もない。
では、どうするか。このまま、柴田に臣従するのか。
だがこうとわかれば、神保氏を壁扱いする柴田勝家に降るのも腹立たしい。
それに今、柴田と武田で和睦になっても、どうせまた忘れた頃に武田は攻めてくる。あれはそういう男だ。
だからこそ、柴田は神保氏を壁として生かし続けるのだ。
そんな事を考えながら鬱々として籠城していた長織は、目の前の状況に第三の選択を見出だしてしまった。
「小島!至急兵を集め非常用に隠してある小舟を五百、用意せよ。信玄坊主めと柴田権六に奇襲をかける!」
「と、殿!?どういう事で?」
神保家家老の小島職鎮が驚愕に目を見開いて叫ぶ。
長織は口の端を歪ませながら、職鎮に語った。
「お主もわかっておろう。このままでは、神保家は柴田の壁となり、信玄との間に挟まれ少しずつ擂り潰されるだけじゃと。だが、ここで信玄めと柴田権六を討たば、大変な混乱となる。奴らは慌てて逃げ帰ろう。そのどさくさに紛れて、わしらは一揆の時に抑え込んだ門徒共を解放し、味方につける。それに能登畠山のえろに反発する者等は、海から逃れてこの越中に流れておる。奴らも取り込み、反えろの旗印となるのじゃ!」
「そ、そんな事をしては、それこそえろに擂り潰されますぞ!」
青い顔をして反論する職鎮に、長織は自信ありげに言った。
「確かにえろは急激にその数を増やしておる。だが、この越中は元々一向宗の勢力が強く、えろの数はそれほどでもない。だからこそ、一向一揆には手こずらされたが、柴田勢の奴共、共存だのと抜かして降伏した門徒を根切りにせなんだからな。多くの反えろになりそうな門徒が残っておるわ」
「それは確かに……」
「それに、武将たるわしが旗印ともなれば、各地で散らされた門徒がわしを頼ってやって来よう。今は時流を見ておとなしくしている越中内や周辺の反えろの武家達も立ち上がるはずじゃ。奴等、天敵の一向一揆には与せなんでも、同じ武家たるわしならば、必ずや同調してくれるはずじゃ!」
「周辺の反えろ武家……。えろ大名やえろ武将に滅ぼされたお家の者達ですな?」
「うむ。この機に乗じて越中内の領を広げてもよいが、能登畠山家の反えろ勢力と共に、能登を取り返すのもよい。その後、能登と協力して少しずつ加賀を削り取りながら、加賀の元門徒を取り込んでやろう」
「な、なるほど……!そこまで、お考えでしたか」
まだ青ざめてはいるが、職鎮はいくぶんか納得し、多少感心した様子であった。
一時は越中全土に幅をきかせた神保氏だ。しかし昨今は、ただただ守っては敗れ、この増山城まで追い込まれたのだ。
そんな自分達の不甲斐なさに、嫌気が差していたのもある。
大胆すぎて甚だ不安を隠せない主の計画ではあるが、あの武田徳栄軒と柴田勝家を討ち滅ぼせたら、武士としてどれほど誇らしい事か。
お家存続のために、かつては上杉、今は柴田に尻を振らねばと職鎮は考えていた。
しかし、殴られ役として守ってくれるというのなら、そんな庇護など要らぬ。
職鎮は思い定めたようだ。
「一か八かの大博打に見えるが、勝機はある。わしの目の前で、並んで裸の尻を晒すなど、突っ込んでくれと言っておるようなものではないか」
長織はべろりと己れの唇を舐めた。
職鎮は、ふと思い出したように、懸念を口にする。
「しかし、武田めはともかく、柴田権六は不死身だという噂に御座る」
馬鹿馬鹿しい、と長織は鼻を鳴らした。
「この世に不死身などある筈がない。首を飛ばして生きておれるかよ」
「……左様に御座いますな」
長織と職鎮は顔を見合わせて笑い合った。
その眼は、まさに、ベンチャー企業の社長のそれだ。
己れにできぬ事はない。野望は大きく。夢は絶対叶うんだ。
そう、やればできる。できないのは、やらないからだ!
そんな肥大した自己過信の炎が、ちらちらと燃えている。
「この神保長織が、あの信玄坊主と柴田権六を嵌めてやろう。くっくっくっ、それまで仲良く尻を洗っておれ……」
で、実際仲良く尻を洗い、湯に浸かった希美と信玄であったが、信玄の入欲剤で、せっかくきれいにした尻を汚されかねない状況に陥っていたのであった……。
その後の希美はすぐに動いた。
湯殿を出て、果たし合いの準備を始めたのである。
今にも暴発しそうな信玄の軍配団扇を目撃してしまえば、そりゃあ武田信玄でなくとも『疾きこと風の如し』となる。
あのまま同じ湯に浸かり続けていたら、白色のにごり湯になってしまっていただろう。
下手したら、フェイスやボディーにかけ流されてしまうかもしれない。
ぞっとした希美は、「先に上がるからな!」と信玄に声をかけるや、そそくさと湯殿から出た。そして、体を拭いててきぱきと着物を纏い、誰に話をすべきか考えながら湯殿用に張られた幕の中から出た。
そうして信玄が湯から上がるのを待とうとふと目をやると、湯殿の傍で控えている武田家中の中に見慣れた猫耳を見つけたのである。
「あ、お前、うちの直江と意気投合してた……」
「別に意気投合はしておりませぬ。山県三郎兵衛尉(昌景)と申す。お屋形様はまだ?」
「ああ、でも、そろそろ上がってくると思う」
希美の言葉を受けて、山県昌景が小姓に目配せをする。
小姓は、幕内に入っていった。信玄の体を拭いたり着物を着せたり、軍配団扇を宥めたり、まあ色々とあるのだろう。
いい大人が、自分でやれよ!(いろんな意味で)である。
「ねえねえ、山県くん、猫好きなの?」
「……まあ、好きで御座る」
「抱っこして寝るなら猫派?犬派?熊派?」
「何故そんな事を知りたがるので御座……熊?!そんなものに抱かれて寝たら死にますぞ!!」
「やだなあ。可愛い人形の話だよー」
「熊の人形を可愛いなどという神経がわかりませぬな」
「真面目か!」
そんなくだらない話をしていたら、信玄が小姓を伴って出てきた。
「あれ?もう?お前、思ったより『疾きこと風の如し』なんだな」
「おい、その言葉をそんな意味で使うのは止めろ……。第一わしは手数で勝負よ。これからのぞみに存分に見せてやるからな!」
「なんで私に見せる流れになってんだよ!」
希美と信玄の会話を聞きつけ、武田家中の者達が騒ぎ出す。
「これから?お屋形様、どういう事で!?」
「話はついたのでは?」
信玄は不審がる家臣等に言い放った。
「決着は、わしとのぞみとの果たし合いでつける事となった!」
「「「な、なんですとおお!!?」」」
驚愕した家臣達が、信玄に詰め寄る。
「お屋形様がお命を賭けるなど許されませぬ!」
「其が代わりに!」
「いや、其が!」
「静まれい!!!」
騒然となった場に信玄が一喝する。
「心配せずとも命を取らぬ果たし合いだ。わしはのぞみを手に入れたい。のぞみはわしを殺すつもりはないがわしを止めると言い張る。ならば、どちらが相手を従える男か、屈服させ合って決めようという話よ」
「そんなもの、互いに戦で決着をつければ!」
「逸るな、山県よ。戦となれば、どちらにも損害が出る。特に柴田勢は数も多く戦上手。さらに神保と挟撃されれば、面倒であるからな。ならば、わし等が果たし合いをする方が早い」
「し、しかし、柴田殿は、死なぬ体と聞きまする!」
「源五郎の言い分もわかる。だが、のぞみとて何も感じぬ体ではない。のぞみの勝ちの条件はわしの意識を失わせる事だが、わしはこやつに尻餅をつかせるか膝をつかせるだけ。戦をするよりも、良い条件よ」
信玄はくつくつと笑った。
「ひと撫ででこやつの腰を砕けさせてみせるわ」
『源五郎』と呼ばれた男、高坂弾正昌信も、信玄とは昔からのお突き合いである。その技を身をもって知る者として、渋々納得した。
「確かにお屋形様の攻めは、長年我々が鍛えに鍛えましたからな……。わかり申した。お屋形様がそこまで言うなら、存分になされませ」
「うむ。必ずや、のぞみの腰を砕いてみせるぞ」
「あのー、条件は私の腰を砕く事じゃないですよー。私に尻か膝を地面につかせる事ですよー」
希美はそう言うが、結果的には似たようなものである。
とまあ、そういうわけで、希美と信玄の果たし合いは武田軍一千にぐるりと囲まれた中で開始された。
「効率がよいから」という信玄たっての謎の主張により、何故か両者全裸で。
「あへ☆」
「「「「「お、お屋形様あああああああ!!!!」」」」」
開始10秒。
希美はタックルしてきた信玄の首を上腕三頭筋ごと抱えながらわきで抑え込み、もう片方の手も使って頸動脈を締めた。
もちろん肉体チートの希美が普通にやれば、死んでしまう。真綿で首を絞めるように、優しく締めたが、信玄はあっという間に落ちた。
「いやー、友達に付き合って護身術教室行っててよかった。動画で見た事ある頸動脈の手刀だと、加減間違えたら首が飛びかねないもんなあ。……それにしても、なんでこいつ、ちょっと恍惚な表情なの?」
慌てて武田家家中の者達が信玄に駆け寄る。
武田軍のおよそ二千の目が、希美に向けられる。殺意、憤り、悔しさ、畏怖、恐怖……まさに一触即発の雰囲気である。
希美は、ペチペチと信玄の頬を叩いた。
信玄はうっすらと目を開けたのを見て、周囲の武田家家臣がホッとした表情を見せた。
「お屋形様はご無事じゃあ!目を覚まされたぞ!!」
その言葉で、武田軍の目がいくぶんか和らいだ。
だが、緊張の和らいだその瞬間、一本の矢が希美の足元に突き立った。
見れば、いつの間にか和田川を渡る無数の小舟。そこから何百もの矢が放たれた。
「敵襲ーーー!!盾持ち、守れええーー!!!」
流石は武で知られる武田軍である。盾持ちの兵等が、希美の言葉を理解するよりも早く盾を構える。
しかし陣形が陣形であった。
希美と信玄を中心にした円陣である。川からの攻撃を想定していなかったため、盾の防御が満足に機能しない。
特に、ドーナツ状に空いた真ん中は、まるきり無防備だ。
「てめえら、せめて頭だけでも私の陰に隠れろ!!」
希美は信玄の前で両手を広げて仁王立ちになった。
信玄が混乱したまま叫ぶ。
「のぞみっ……!やめろ!それじゃあ、お前が!!」
「お屋形様!柴田殿は死なぬ!どうか動かず陰に!」
「わし等もお屋形様の盾になるのじゃあ!」
「お屋形様を守りまいらせよおお!」
希美は、目一杯腕を広げたままで、がむしゃらにその腕を上げ下げし始めた。
(できるだけっ!できるだけ私が守る面積広くするっ!!)
速く。ただひたすら速く。高速で……!光速で!!
腕じゃない。これは、―――壁だ!!
「おおおおおおお!!!」
肉体チートが、そんな希美の思いに応える。
信玄達に向かう矢は、希美の体と、高速で動く腕に全て弾かれている。
その姿はまさに、何ものも通さぬ肉の円盾。
希美は必死で気付かぬが、希美の背後から震えるような声がいくつも聞こえる。
「お、おお……尻は二つに……腕が何本にも分かれておる……千手観音じゃ……!」
「尻と腕がなんという力強き神々しさ……!尻のついた千手観音じゃあ!」
「敵となった我等をも、その力強き尻と逞しき腕で守るというのか……!これが神の慈悲……」
「のぞみ……」
どうも、傍目には腕が残像化して千手観音のようになっているようだ。
希美の背後からは、尻丸出しの千手観音に見えているらしい。
ちなみに前からは……。わかるな?
「千手観音……」
「柴田権六は千手観音……」
「やはり、神じゃ……」
武田軍からそんな呟きが聞こえる。
「柴田権六勝家こそ、あまねくえろを救おうとされる慈悲深き千えろ観音!その手はあらゆるえろを守り、桃色の極楽へ誘いたもう!!さあ、祈ろう!えろえろえろえろ……」
「えろえろえろ……」
「えろえろえろえろ……」
「「「「「えろえろえろえろえろえろえろえろ……」」」」」
誰やらの余計な声により、武田軍からは祈りの声が聞こえ始め、その声はどんどん大きく、高まりを見せる。
だが、それどころじゃない希美は気付かない!
ようやく矢が尽きたようで、小舟を川原につけた武者達が、後から後からこちらに迫ってくる。
転じてこちらは、なんとか信玄は無傷で守ったものの、見れば武田兵の三分の二ほどが、矢雨で動けぬ体にさせられている。
ここは、川原からそう離れてはいない。
既に、敵兵は武田兵と交戦を始めた。
「武田兵!動ける者は、迎え討て!!」
敵は一気に襲いかかる。二千はいる。
こちらは満足に動けるのは六百ほど。
辺りを見回す。向こうの旗印は、竪二引両。
「やはり神保か!何考えてんだ!?」
対岸の増山城を見る。川向こうに、立派な武者が数名の近習に囲まれて、こちらを見ている。
「あいつが、神保長織だろうな……」
これは神保氏のための会談だ。それをめちゃくちゃにしてどういうつもりかはわからないが、この勢い、確実にここで信玄と希美を仕留めるつもりらしい。
希美は、襲いかかる神保兵をちぎっては投げちぎっては投げしてしているが、その勢いは凄まじい。
別に希美一人ならそれでもどうという事はない。
だが、信玄やその家中の者達を守りながらはちときつい。
(信玄は全裸だし……って、いつの間にか着物着せてもらってるぅーー!全裸私だけ!?ずっるーー!!)
「ちくしょーー!!きりがない!これ、武田か柴田かどっちかの援軍が来る前に、信玄が討たれちゃう!」
希美の背に庇われて、抜き身の刀を振るう信玄が敵兵をひと突きして、尋ねた。
「のぞみっ、お主……、なんでそこまでわしを守る?」
「うっせえ!知らねえわ!お前が一応守るべきえろ教徒で、なんだかんだで友達だからじゃねーの!?」
信玄が、目を見張る。
その一瞬の隙を突いて、凶刃が信玄の右後方から迫っていた事に希美は気付き、自ら盾になって庇う。
そうして、襲撃者を力一杯蹴飛ばした。
「ああ、やっぱりチートって言っても、一人じゃあ出来る事限られてるわっ。タラちゃんとこの忍者達、助けが来るまでもってくれよおお!」
「殿、わしの助けが必要なんですな?」
「うおおっ!!?」
希美の傍らに、いつの間にか黒頭巾の忍者が現れている。
「え?ちょっと待って?お前の声……まさか……!」
「多羅尾殿に頼んで、こっそり忍びに紛れさせてもらったかいがあり申した。……ではわしの最大のえろ奥義!わしの全力をもって!必えろ『全てはえろに帰すべし』!!!」
「やっぱり河村久五郎!!……おい、ちょ待て……それ、ここで使ったらあああ!!!」
その日、増山城城下の川原に、桃色の極楽が出現した。
その空間は、和田川を挟んだ対岸の一部まで範囲を広げており、そちらで高みの見物をしていた神保長織等をも呑み込んだ。
そこには、敵も味方もない。
攻めも受けも関係ない。
殺意や敵意や悲壮、苦痛、悩み、あらゆる負の感情は、めくるめくえろへと昇華され、ただ快楽と幸せのみが満ちた空間だけがそこに在った。
その空間の住人は、何もかもから解き放たれ、互いに慈しみ合い、この世の極楽を貪るように味わった。
しかしこの極楽、外側から見ると、大変酷い地獄であったという。
あわわ……今気付いてしまったんすけど、信玄さん、当初お屋形様呼びだったのに、すっかり忘れて殿呼びにしてる!!
ちょっとずつ直していけたらなーと思っています……。