※と悪魔と忍者
睡蓮屋の一室は、神と魔王と悪魔が相並ぶファンタジー空間と化していた。
ただし、神の腰は砕けている。
「おや、どうしました?膝立ちになって。……ああ、なるほど」
そういうなり、丹羽長秀は希美の目の前まで歩み寄ると、おもむろに袴の帯を緩め始めた。
「うおいっ、なんの『なるほど』!?」
眼前で今にも袴が落ちそうな長秀の下半身を見せつけられ、希美は慌てて、膝歩きで信長の後ろに隠れる。
長秀は、にゅいっと首を伸ばして信長の背後を覗き込み、にっこりと笑いかけた。
「ふふ……、てっきり、口寂しいのかと……」
「『ほうら、お食べ?』じゃねえわっ!なんで、お前ここにいるの!?」
信長も希美の疑問に同調した。
「確かにそうじゃの。お主には、安土城の普請を任せておったはずじゃ」
長秀は信長に視線を移し、肩をすくめた。
「安土様の縄張り図が完成し申したので、殿に報告するために岐阜に向かっていたので御座る。道中お二方にお会いしたので、合流しようと思ったのですが、柴田様が某を『捕まえたらナニをしてもよい鬼遊び』に誘うものですから、某もヤる気になってしまい申して……。気がついたら、お二方を見失っており申した」
信長が「お前が逃げるから」というような目で希美を見下ろしているが、希美は警戒を露に、長秀に問うた。
「だからって、なんで堺に?私達の行き先なんか知らないだろっ」
「いえいえ」と長秀が穏やかそうな笑みを見せる。
「東山道をあのまま進めば、京か、三好方の城か、堺が行き先であろうと思っておりました。もし京に上るなら、殿はもっと準備をされて行くでしょう?三好の城も然り。ならば、堺かな、と」
「流石、『米五郎左』よ。抜かりはないのう」
信長が感心している。
確かに頭の切れる男だ。だが今回、希美にとってはその有能さが恨めしい。
長秀は、荷物から縄張り図を取り出して信長に渡した。
「殿にはこれを。部屋でゆっくりご覧下さい。某はその間、隣の部屋で柴田様と※を×××して楽しんでおりますから」
「誰かー!※五郎左と私を二人にしないで!河村久五郎でいいから、私の傍にいてっ」
希美は、恐慌状態に陥った。
その時である。
「わしをお求めですかな!?」
カラリと襖が開き、見慣れた丸顔が希美の目に映る。
「久五郎!!助かった!」
希美は部屋に入ってきた久五郎に這い寄った。
河村久五郎の後ろに、悪魔教神父のルイスが立っている。
二人で、明日の祭の準備を行っていたのだろう。
何にせよ、希美には救いの神である。
久五郎は、片膝をつき希美の手を握りしめた。
何やら感極まった様子で、震えている。
「お師匠様がわしを求めて下さるとは……!この久五郎、絶対にお師匠様のお傍を離れませぬぞ。お師匠様が病める時も健やかなる時も、お早うから御休みまでっ、決して離れませぬ!!」
「私の『暮らしを見つめ続ける』宣言止めろ!ストーカーか、てめえっ」
希美は久五郎の手を振り払い、ルイスにすがりついた。
「ルイスさんっ、今日は私から離れないで!」
「お師匠様!?」
「喜ンデー!私ハ、アナタノ僕デース」
希美は、ほっと安堵の息を吐いた。
(あの※野郎から逃れられるなら、悪魔教神父に悪魔扱いされる方を選ぶ!それに……)
くんくん。
希美はルイスの黒衣に顔を埋めて匂いを嗅いだ。
(よし、そんなに臭くない!不潔なカトリック神父より、清潔な悪魔教神父!)
ルイスは、『清潔』という悪魔の教えを忠実に守っているようだ。
そのルイスだが、部屋に長秀を認めるなり「oh!悪魔ヨ!」と近付いていき、固く握手を交わしている。
長秀も、「悪魔だなんて、照れますなあ」と意味不明な事を口走っている。
希美は混乱した。
「あ、悪魔?ルイスさんもこいつに何かされたの?いや、でも仲良さそうだし、え?」
ルイスは、希美の方へと振り返り、ニコニコと話し始めた。
「悪魔ノ神ヨ、聞キマシタヨー。コノ悪魔ガ、仲間トハ、昨日、彼ニ話ヲ聞イテ、驚キマシタ!」
「あ、悪魔……?確かに悪魔みたいな奴だけど」
「ああ、それはですね」と長秀が説明を始める。
「昨日の夜、堺に着きましてねえ。あなたがこちらに来ているかもとこの睡蓮屋に寄った時に、ルイスさんと知り合ったのですよ。それで何かの話で、生まれつきの痣の話をしました所、なんだか感激して下さって、私を『悪魔』だと」
「彼ニハ悪魔ノ印ガアリマース。見セテモライマシタ」
「悪魔の印じゃと?」
「え、丹羽殿、そんなんあるの?」
怪訝な顔をする信長と希美に、長秀が尋ねた。
「見てみます?」
「え、いや、いいわ」
「見せてみよ」
同時に希美と信長が、正反対の反応を返す。
だが、長秀の中で、どんな答えが返ってこようと、見せる事は決まっていたのだろう。
「では、どうぞ」
の言葉が出た時には、すでに己れの袴を下ろしていた。
「なんで、ふんどしつけてないのっ!!」
希美はシャウトした。
「つけぬ主義でして」
信長は、つけぬ派の長秀に冷静に突っ込んだ。
「それより、何故露出したのじゃ、五郎左よ」
「見えにくい所にあるので御座るよ、殿」
言うなり、長秀はM字開脚した。
希美は、見せられた。
Mの真ん中に、『六六六』の(ように見える)痣。
「『666』ハ、神ヲ侮辱シ、悪魔ヲ讃エル数字デース」
「確かに『六六六』に見えるのう」
「仮にそうだとして、何故、漢数字で……」
「ハハハッ、皆に視られていると思うと、興奮して参りますなあ!」
「よし、みんな確認したな。解散、かいさーん!」
希美は、丹羽長秀が『悪魔』と呼ばれている理由を理解した。
だが、むしろ不可解さが増した気がする。
……やっぱり、関わらぬのが一番かもしれない。
希美は丹羽長秀から目を逸らして、明日の祭に専念する事にした。
そこで、希美は信長のこれからの動きを確認しておいた。
「殿、某は、明日の準備や最終確認のために外に出ますが、殿はどうされます?」
「わしは、ここでゆっくり縄張り図を見ておるわ」
「了解でーす!じゃあ、久五郎、ルイスさん、参りましょうかっ」
長秀を頭数に入れずにさっさと部屋を去ろうとする希美を、長秀が呼び止めた。
「柴田様、某をお忘れですよ」
下半身のフリーダムな長秀が仲間になりたそうな目で見ている。
心の底から、NO! ⬅
希美が拒否する前に、信長が長秀にストップをかけた。
「おい、五郎左!お前が行ってどうする。安土の縄張りについて報告せよ!」
「ええ~、そんなあ」
「お前、何しにわしに会いに来たのじゃ!」
希美はこの隙に、久五郎とルイスを伴い、部屋を脱出したのである。
睡蓮屋の裏門に向かおうと廊下を歩く希美達は、向こうから早足でやって来る助兵衛に遭遇した。
「あ、柴田様!お客様で御座います」
「おお、もしかして、大人数か?」
助兵衛は頷いた。
「はい。大人数の、それも手前共の同業者のようで」
汗をかく助兵衛を、希美は少しからかう。
「ふふ。驚いたであろう」
「それは、もう」
「お師匠様、何のお話で?」
久五郎が訝しんでいる。
希美は久五郎に言った。
「明日の祭の打ち合わせと、柴田家の新しい仲間の紹介をしようというのだ」
「新しい仲間……。お師匠様、新たに家臣をお抱えになりましたので?」
久五郎の推測を希美は肯定した。
「そうだよ。彼らは私達のために、おおいに活躍してくれるだろうよ」
「それは、楽しみな!」
希美達は、新たな仲間に会いに、助兵衛の後を着いていく。
そして、その先に待っていたのは、先だっての甲賀忍者多羅尾四郎右衛門一派と、伊賀忍者藤林長門守一派であった。
「なんと、忍びの者をお抱えに!」
河村久五郎が驚いている。
ルイスは……、よくわかっていないようだ。
だが、興味深そうに彼らを見ている。
「急な事であるのに、よく集まってくれたな。助かるぞ!」
希美は忍者達を労った。
実は伊賀を抜け、藤林長門守等伊賀忍者を召し抱えた時に、希美は彼らにミッションを与えていたのだ。
条件に合う忍者を十名ずつ揃えて、堺に急ぎ馳せさせたのである。
多羅尾四郎右衛門が希美に尋ねた。
「ご命令通り、武器の扱いに長け、猿楽の経験を持つ選りすぐりを十名集め申した」
藤林長門守も同調する。
「同じく、伊賀者も十名。殿、某等の初任務、何を致しましょうや!」
希美は、彼らの覚悟を確める。
「お主等、私のために、どんな事でもすると言ったな?」
忍者集団が「ははっ」と答える。
「潜入、諜報、暗殺。殿のためなら、わし等甲賀者は、どんな危険も顧みず、何でも致しまするぞ!」
「わし等伊賀者も、命は惜しまぬ!」
希美は、満足して頷き、彼らに任務を与えた。
「明日の祭を盛り上げるために、前座で『忍者ショー』をしてほしい!」
「「「「「に、忍者しょお!?」」」」」
希美は自信ありげに一人ごちた。
「そうだ。南蛮人は、やたら忍者が好きだからな!忍者ショーは、おおいに盛り上がるに違いない」
「に、忍者しょおとは一体……?」
しかし皆、よくわかっていないようだ。
それに気付いた希美は、説明した。
「忍者ショーとは、忍者の技を見せて、観客に盛り上がってもらう事だ。手妻や手裏剣投げ、演舞などを見せるのだ!」
「な、なるほど……」
忍者達は、まだ、ピンと来ていないようだ。
無理もない。忍者だのスパイだのは、本来は目立たぬ事を求められるのだ。
だが、忍者ショーは目立ってなんぼだ。
希美は、忍者の意識を変える必要があると感じた。
希美は忍者達に語りかけた。
「なあ、お前達、これまで称賛を浴びた事はあるか?忍者になりたいという子どもに会った事はあるか?」
希美の問いかけに、忍者達は首を振った。
忍びの地位は、正直低い。
多羅尾のように忍者でありながら武将であるというのは、例外だ。
多くの忍者は、いつだって忍んでいる。
「忍者は汚れ仕事が多いし、危険だし、忍耐ばかりだ。表舞台に立てぬ。でも、お前達の仕事は、もし皆が知れば、きっと称賛の的になり、子ども達の憧れになると私は信じている。お前達忍者は、本当は格好いい仕事なんだ!」
トム・ク○ーズとかな!
忍者は現代でも、大人気だ。
伊賀や甲賀では、ゴールデンウィークに、老若男女国問わず、大勢の忍者コス達が湧くのだ。
「わ、わし等の仕事が、格好いい?」
「蔑まれる事はあるが、そんな事を言われたのは初めてだの……」
忍者達はざわついている。
希美は畳み掛けた。
「忍者ショーは、忍者の格好よさを皆に知ってもらう良い機会だと思う。お前達は、いつだって忍んできた。我慢してきた。でも、時には忍者が目立っていいじゃないか!たまには忍ぶどころか堂々と喜ばれてもいいじゃないか!なあ、どうだ?忍者ショーで、忍びの技を見せつけてやろうぜ!!」
一人の忍者がおずおずと問う。
「わ、わし達が目立ってもいいんですかい?」
「いいんです!」
希美は間髪入れずに返した。
「お前達、私を信じろ!明日のお前達は、きっと忍者でよかったって。最高の気分で舞台に立ってる!」
忍者達の目に力がこもった。
藤林長門守が呟いた。
「わしらを格好いいと、ここまで受け入れてくれた主は初めてじゃ」
多羅尾四郎右衛門が吠えた。
「わしは、やる!殿を信じて、最高の舞台にしてみせる!お主は、どうじゃ、長門守?」
「無論、わしも力を尽くすぞ、四郎右衛門!」
「「「「「えい、えい、おおおう!!!」」」」」
忍者達に火がついた。
「演目を一つ追加、ですな。お師匠様。……これは、盛り上がりますぞお」
プロデューサー河村久五郎は、ニヤリと希美に笑いかけた。
だが、希美は首を横に振った。
「まだまだだ、久五郎。奴等は、私達は、もっと高みを目指せる。私達のライブは、こんなものでは満足できない。そうだろ?」
希美はこの勢いに乗って、忍者達に更なる注文をつけた。
「忍者ショーの次は、躍りな!今から教えるから、猿楽だと思って、しっかり覚えてくれ!」
ルイスは期待に胸を膨らませた。
「明日は、素晴らしいサバト(悪魔崇拝集会)になりそうだ!」