不穏
和歌の出来については、もうアレなんで。
私、平安貴族じゃないんで……!としか、言いようがないです。
ザバアッ
湯船から湯が勢いよく溢れた。
狭い空間に湯気が立ち込め、六角義治の薄桃色の肌をうっすらと覆う。
「湯殿は、風呂と違って気持ちの良いもので御座いますな」
などと言いながら、ふうっと息を漏らした義治を、その隣で湯に浸かっている希美は、ちらりと見た。
義治の、少しもちっとした裸体が湯気に包まれているのが、以前希美が爆笑しながらプレイした乙女ゲームを彷彿とさせる。
その乙女ゲームでは、主人公の女子が覗き魔なのだ。
中でも攻略キャラの風呂を覗くミニゲームにおいて、男子の裸体を拝むためにひたすらコントローラーに息を吹きかけて、湯気を取り除かねばならない。
そんな様など誰にも見られたくないので、家で一人でプレイするのだが、一人で必死に息を吹きかけて、男の裸を覗こうとする光景の意味のわからなさといったら……。
ちなみに失敗すると通報されてしまい、前科がついてバッドエンドである。
希美はその時の事を懐かしく思い出し、つい、ふうふうと義治(を包む湯気)に息を吹きかけた。
「はあんっ!」
首筋に息を吹きかけられ、義治が悶えた。
「あ、ごめん……」
謝る希美に、義治がモジモジしながら言った。
「いえ。某、えろ大明神様に湯殿に誘われた時から、抱かれる覚悟は出来ており申す!や、優しくして下され……」
希美は慌てて否定した。
「違うわっ!そういうつもりで誘ったんじゃない!せっかくだから、男同士、腹を割って話そうと……」
「いやいや、尻を割って、で御座ろう?」
「落ち着け、六角の!尻なら既に割れている!」
「どうか、四郎、と呼んで下され」
「うん、わかった、四郎。まずは尻を下ろせ。湯船の中に、ゆっくりとだ。違う!私の膝にじゃない!普通に湯に浸かれって言ってんの、阿呆!!」
しばらくバシャバシャと説得アンド攻防の音が続き、ようやく湯船の中は落ち着きを取り戻した。
希美は、仕切り直す事にした。
「四郎、尾山御坊の居心地はどうかな?」
「あの、はい。皆、良くして下さいまする」
「そうか」
「斎藤殿が建設している最新のえろ修行場も、完成のあかつきには是非に体験しとう御座る」
「そ、そうか……。石牢と鎖と、木玉ぐつわ……。うん、そうか……」
人の趣味はそれぞれだ。
希美はあえて、何も言わなかった。
すると『えろ』の話で思い出したのか、義治が『えろ』本の話を持ちかけた。
「先日からお借りしております、松永弾正殿(久秀)から贈られた『黄素妙論』の写本で御座るが、流石に教養人の松永殿。巻末に、一首さらりと自作の和歌を入れて御座る。格好の良いものですなあ」
「和歌を?どんなのだ?」
希美は、贈られたその本をパラパラとめくり、『エロ本じゃねえか!』と捨て置いたまま放置していたので、和歌の存在にはいっこうに気付いていなかったのである。
「まだ読まれておらぬので?」などと言いながら、義治は目を閉じ、その歌を諳じた。
『池深き はちすに落つる藤の花 かたぶく山に 御吉野の月』
「月が顔を見せる夕暮れ時、吉野の山奥の蓮池にそっと落ちて沈む藤の花の景色か。私はあまり和歌に通じてはいないからよくわからんが、なかなか風雅なものだな」
そう評した希美に、義治も同調した。
「某も、和歌よりは弓馬が得意で。良き歌とは思いまするが、詳しくはわからず。恥ずかしき限り」
「互いにな。にしても、この歌、何やら暗いな。不安をかき立てられるような」
「言われてみれば、『落つ』だの『かたぶく』だの、不穏な言葉に御座る。父ならば、和歌をそれなりに嗜んでおるのですが」
希美は、義治の言葉で承禎の禿げ頭を思い出した。
「父か。四郎、承禎殿は、良い父親だなあ。お主の事を大事にしている」
「某も最近、父の心を少し理解できたような気がするので御座る。これまでは、父は愚かな某よりよく出来る弟を当主に据えたがっておると思うており申し……」
「そうか……」
尽きぬ会話が、湯殿に響く。
希美と義治が、尻ではなく腹を割って話し込んでいる湯殿の外では、頼照が中の様子を窺いながら希美が湯から上がろうとするのを今か今かと待っていた。
頼照は手に、何やら筒を持っている。毒蛇入りの筒だ。
希美の単の中に毒蛇を仕掛けようという魂胆なのである。
湯殿の中で、話の流れが変わった。
「少し長風呂になったな。湯あたりしてしまう。そろそろ出ようか」
「左様で御座るな」
(出てくるぞ!)
頼照は素早く筒の蓋を開け、単の中に毒蛇を忍ばせると、なに食わぬ顔で外に出た。
そうして、首尾よくいくか聞き耳を立てる。
「それでな……、おわっ!蛇!?」
「えろ大明神様、そやつ、猛毒を持っておると聞いた事が!」
「なにいっ!?めっちゃ、噛まれてるんだけど」
「それは、一大事……いや、ここに牙らしきものが落ちておりますぞ?」
「あ、噛んだ瞬間、折れたのね。どおりで、何やらはむはむと気持ちよいなあと……」
「毒液が垂れておりますが」
「可哀想だが、始末してしまおう」
湯屋の外で、頼照は肩を落とした。
「やはりこれも、駄目であったか」
中から、主である柴田勝家が自分を呼んでいる。
「おい、頼照ー、毒蛇いたぞ!気をつけろよー」
(お前を狙ったんじゃ!)
頼照は能天気に自分を心配する勝家に、内心呆れて返事を返す。
「おお!殿はご無事ですかなー!?(棒)」
「噛まれたけど、無事ー。ああ、玄任に毒蛇出たって伝えてくれ。皆に周知させないと、まだ仲間がいたらいけないからなあ」
「御意」
「それが終わったら、我らの残り湯で悪いんだが、湯殿を使ってくれ。後はもう休んでいいからなー」
頼照は、トボトボと玄任の元へ行く。
玄任は、加賀が一向宗のものだった頃は自分の下で働いていた。
しかし、今やその立場は逆転している。
第六天魔王であるえろ大明神柴田勝家の暗殺。
その目的のために小姓に甘んじているとはいえ、やはり気まずく口惜しいものがある。
そんな気持ちを隠しきれず、ぶっきらぼうに毒蛇の事を伝えて、もやもやした気持ちのまま手拭いを持って湯殿に戻ってきた。
そこには既に柴田勝家の姿は無い。
頼照は着物を脱ぐと、湯船の湯でかけ湯をした。
「温かい……。差し湯して下されたのか」
頬が思わず緩み、頼照はそんな自分を戒めるように頭をプルプルと振った。
「ふ、ふん!湯に罪は無いからな!」
頼照も自分が何に言い訳しているのかわからないが、何となく憎まれ口を叩きながら湯に浸かり、「ほおおぅ」とため息を吐いた。
何とも心地よい温かさだ。
いつまでも包まれていたい。
しばらくその温もりにたゆたいながらうとうとしかけた頼照は、顔を引き締めると、振り切るようにザバリと湯船から出た。
湯を使い終えた頼照は、その後夕食を済ませると自室へと戻った。
先ほどまで茜色に城内を染めていた陽は、とうに落ちてしまった。
暗い室内を、燈台の灯りがぼんやりと照らしている。
頼照は、物入れからあるものを取り出した。
それを見下ろしながら、呟く。
「やはり、これしか無い……」
柴田勝家は、女と交わると死ぬ。
その事は頼照も知っていた。
勿論、それを利用した暗殺も考えた。
だが、柴田勝家の身辺は近習達が目を光らせており、信頼のおける限られた者以外で、女と二人きりになる事はまず無い。
特に寝所の周辺は女人禁制となっていて、こっそりと女を送り込む事は叶わなかった。
そこで頼照は考えた。
『女』とは、どこまでが『女』と見なされるのか。
以前、頼照は女にしか見えぬ男を見た事があった。
その男は頼照の知人が囲っている妾で、容姿だけでなく、口調も格好も女そのもの。男本人も、自分は『女』だと思っていると語り、知人も完全に女として囲っていると話していた。
「あれは最早、女であった。ならば、柴田勝家に近付けるわし自身が女になり、まぐわえば……!」
頼照の目の前には、かもじを加工して頭に被せるようにした鬘、女中の着物、えすて屋で売られている化粧品の見本。
頼照は、目の前にある禁断の変身セットに手を伸ばした。
彼は、思った以上に追い詰められていたのである。