春日山城下町をぶらり尼
なんだか調べるにつれ、臨済宗がちょっと好きになってきた。
あと、越後弁は適当だで、許してくんろ……
十月も今日で終わる。
越後の百姓は甜菜の収穫を終え、製糖工場ではひっきりなしに湯気が立ち上っている。
遠く空と交わるその湯気を横目に、三人の大柄な尼が街道を急いでいた。
「この分だと夕暮れまでには春日山の城下町に着きますな」
逞しさ爆発の、一際大きな体躯を持つ尼、覚禅坊が大股で歩きながら、同行している快川と沢彦に話しかけた。
快川は眉をひそめて覚禅坊を見た。
「お主の歩き方は、ちと女らしゅうないのう」
覚禅坊は憮然とした。
「そんな事にかまっておったら、歩みが遅くなるではないか!」
快川は得意げに鼻を鳴らした。
「ふふんっ、わし等を見よ。早足でも小股で楚々(そそ)とした動き。まさに女そのもの!」
「そう、この動きがさらにわし等を魅力的に見せるのよ。ほれ、あそこにおる百姓の爺を見よ。わしをじっと見ておる。あの爺め、頭の中でわしを裸にしておるな?ああ、嫌らしい、嫌らしい!男って、嫌らしい!!」
沢彦は自らの体を抱き締めると、身震いした。
なるほど、流石高僧である。完璧に女性の心理を理解し、体現している。
臨済宗は色々な方法で悟りの境地を表現できるというが、まさかこんな方法で悟りを表現しようというのか。
百姓の爺は隣の畑にいる若い男に何か呼び掛けている。
それを見た快川は言った。
「沢彦よ、あの爺、仲間を呼んで熟尼のわし等に声をかける気かもしれんぞ。さっさと行こう。町に入るのが遅れてしまう!」
「おう、そうさな。覚禅坊、走るぞ!」
「お、応!楚々として走るのだな!?」
「そうよ!楚々としてな!」
そそそそそそ…………
尼達は、走り去った。
その後を、先ほどの百姓爺と若者が鎌や鍬を持ってやって来た。
「見れ、もーう、あんなとこへ!」
「やたら、でこうて怪しい尼さんら思うとったが、やあっぱり妖怪の類いだったかあ」
「御城の方に向こうたの。御実城様は大丈夫かのう」
「なあに。今の御実城様はえろ大明神様ろ?逆に退治されんじゃねえだか?」
「ちげえねえ!」
「「えっろえろえろ!」」
百姓達は、笑い合った。
……まあ、そりゃそうだ。
女性とおじさんの狭間に揺れる尼。
現代ならともかく、戦国時代の人間からすると、どう考えても怪しい。当然、行く先々で不審者として注目されるわけだ。
ごつくて女らしいおじさん尼達は、そのまま春日山の城下町に入った。
そして、春日山の越後民を大いにざわつかせたのである。
「ほう、ここが春日山の城下町か。栄えておるのう」
春日山城の城下町は広く、大きく分けて三つの地区から成っている。
物流メインの港町『直江津』ゾーン、政庁がある昔ながらのビジネス街『府中』ゾーン、そして春日山城下のニュータウン『春日』ゾーンである。
府中には臨済宗の寺院安国寺があり、泊まろうと思えば泊めてくれようが、尼姿のまま「快川で御座い!」「沢彦で御座い!」と参るわけにもいかぬ。
これは世を忍ぶ仮の姿なのだ。
快川等は宿屋を求めて、城下町を歩いた。
「おお、甘味を売る店が多いのう。あそこから、旨そうな匂いが!鳥を焼いておるのか?流石に肉はまずいのう……」
覚禅坊が、町に並ぶ店の多様さに騒ぎ立てる。
快川も沢彦も、初めての町にきょろきょろとしながら、歩いていた。
ふと快川が、町の一画に妙な建物を見つけた。
塀に囲まれたその区画は、開け放たれた門から中が見える。
門から入ってすぐは店があり、その奥に六軒ほどの小屋が並んでいる。
「なんの店じゃ?なになに、『えろ教修行場 石牢』?」
「修行場?気になるのう。中の者に聞いてみるか」
沢彦はそう言ってすたすたと歩いて行き、門をくぐった。
快川達もそれに続く。
「すみませぬ。ここはどのような修行が出来るのでしょうか」
沢彦は高い声で、店内の受付らしき婆にしゃなりと聞いた。
受付婆は沢彦等を見てびくりとしたが、流石は数々の変態を輩出したえろ教の教徒である。
危険は無さそうだと判断するやすぐに落ち着き、笑顔で答えた。
「へえ、ここはえろ大明神様の為さった石牢での修行を、おら達も行えるように、えろ教徒共で協力して建てた簡易石牢の修行場ですろ」
「なんと、石牢で?!」
「へえ。といっても、石を使っておるのは床だけら。小屋の中の壁は石牢に見えるよう絵をつけておっての、腕を縛りこの木玉ぐつわをつけて、牢の真ん中に着衣人形を置いて、修行をするろ。時間は四半刻入れ換えで、修行場維持のためにお布施下されば入れるろ」
快川が感嘆した。
「なかなか面白いのう。まさに『禅』に通じる修行じゃ」
……マジか。『禅』とは、一体。
「やってみたいのう」と、うずうずしている覚禅坊に、沢彦は言った。
「私とてそうしたいのは山々ですが、今日は宿を探さねば。また後日にでも致しましょ?」
「……そうだった。婆よ、また来るぞ!」
「へえ、へえ」
「覚禅坊は、変装の意味があるのかのう……?」
快川は男らしすぎる尼を見やりながら、呟いた。
「いやあ、しかし流石はえろ大明神様の本拠地よな。越後はえろ教の最先端じゃ」
「真じゃの。わしは禅の魂に火がついてしもうたわ。石牢の厳かな空気と、四肢を封じられ高められた精神性が合わさり、より一層深く仏心に潜れそうじゃ」
まさかこんなアプローチで悟りに至ろうとする人間が現れるとは、御釈迦様とて予想外だっただろう。
夕方になっても、往来を行く人の数は減らない。
でかい青髭の尼が歩みを進める度に、その人波がモーゼ状態で割れるのも気にせず、快川等一行は春日山城下町を満喫していた。
「ああっ!」
覚禅坊が声を上げた。
「なんじゃ?」
沢彦が、訝しげに覚禅坊に目を向けた。
覚禅坊が興奮したように、店を指差している。
「あれは、隋風と頼宗殿御用達の柴田屋化粧店!」
「おお!あの猪口紅の!こちらにも出来ていたのか」
『柴田屋化粧店』とは、希美が以前出店した『柴田屋エステ』の化粧品部門である。
希美はエステに通うマダム達が、鉛や水銀入りの白粉を使っている事が気に入らず、とうとう米粉などの穀類に葛粉を混ぜた薄化粧白粉を開発し販売に至っていたのである。
(より白いのが良いから米粉白粉を使わないという風潮があるなら、そもそも薄化粧を流行らせればいいんじゃね?)
この思考であった。
そうやって白粉を作れば欲が出て、紅に手を出し、黛に手を出し、いつの間にかお歯黒以外の化粧品ラインを一通り揃えられる店になっていた。
特に白粉と並んで人気なのは猪口紅で、本膳料理の中に出てくる猪口を見て、現代の京都に売られていた猪口紅を思い出した希美が、様々な絵付けの猪口に二級品質の乾燥紅を塗りつけて、庶民層向けに安めに売った所、猪口の可愛さと低価格が一般層にうけたのであった。
その猪口紅が、隋風を始めとした坊主達の唇を彩る事になるとは。
ともあれ、柴田屋化粧店の前に、異様な存在感を放つ尼三人は立ち止まっていた。
彼らの目の前には、広告看板があった。
『御仏も絶賛間違いなし!柴田屋の白粉で薄化粧』
「薄化粧なら、白粉も許されるのかの……」
「わしの青髭、白粉で隠せば完璧だの……」
「薄化粧を極めし者は、御仏に絶賛……」
三人の足は、吸い込まれるように自然と店の中に向かった。
十一月一日。
希美はその日、二件の先触れを受けた。
一件は、伊達晴宗が出来上がったレース湯巻きを受け取りに、本日到着するというもの。
もう一件は、以前宗教法人様向けにえろ教説明会を行った時の坊主達が、会いに来るというものだった。
そして、早く着いたのは坊主達であった。
希美が執務をこなしていると、小性の久太郎が非常に困惑した様子で執務室に現れた。
「あの、先ほど快川様、沢彦様、覚禅坊様と言い張る者達が参ったのですが……」
「言い張る者達?偽者なのか?」
「いえ、美濃出身の者と尾張出身の者に確認させました所、どうも本人らしいという事で、広間に待たせて御座りまする」
「ならば、いいではないか。広間に行こう」
「……はっ」
希美は、さっさと広間に向かった。
希美が広間に着くと、そこには三人の大柄な尼が平伏している。
「尼さん?快川達は、どうした?」
希美が疑問に思っていると、尼が平伏しながら声を出した。
「お久しぶりに御座りまする。人目を忍び、やむ無くこのような成りをしておりますが、快川に御座りまする」
「なんだ、そうか。そんなに畏まらず、面を上げてくれ」
希美が深く考えずに、声をかける。
その言葉を受けた尼達は、顔を上げた。
そこには、三匹の化け物がいた。
希美は、腰を抜かした。
昔の口紅は高価だったらしいです。
私は、貝に入ったのを時代劇でよく見ましたが、他にも蓋付きの容器や、銀製や磁器のの皿の
底に、何度も塗りつけて乾燥させた紅が入っていたらしいです。
ただ、所詮ネット情報なので、作中ではその辺はふんわりさせてます。(笑)
猪口紅は、おそらく江戸時代あたりからできたスタイルかと思います。
戦国時代の猪口は、本膳料理の中に出てくる、和え物や酢の物を入れる小さな器でした。
これが酒器になったり、蕎麦つゆを入れる器になるのは、江戸時代頃かららしい。
昔の白粉は大きく分けると、鉛入り、水銀入り、米粉入りの三種類あって、鉛や水銀入りが超白くなると好まれ、米粉入りはすたれてしまったようです。
昔の子供がよく死ぬのは、胸まで白粉を塗った母や乳母のせいだとも言われています。
当然本人も中毒になります。