森の関所の一幕
結論から言うと、ピゲル爺さんはエイマの愛馬であるアイーシアに乗ることになった。
厩舎に行くなり爺さんはアイーシアを見つめ、アイーシアもまた爺さんを見つめて……絶対に人を乗せないアイーシアが、爺さんが鐙を乗せても抵抗せず、跨っても抵抗せず、そのまま素直に歩き出したのには驚かされた。
それでもアイーシアはエイマの馬であり、アイーシアもまたそのことを理解しているのかピゲル爺さんに靡くことはなく、声をかけられても撫でられても無視を決め込んでいて……今回だけだと態度で念を押しているかのようだった。
そんなことがありつつ森に到着すると、クラウスを始めとした関所で働く面々が到着を待っていて……いつになく丁寧な態度で私達を迎えたクラウスは、ピゲル爺に色々と思う所があるのだろう、アイーシアの手綱を取って道中の世話をするなど、かなり気を使った様子だった。
そして森の中ではいつの間にか先回りしていたらしいセナイとアイハンと、アイーシアの様子に驚くエイマとアルハルが待っていて……関所へと向かいながら森の中の様子を説明してくれた。
木の管理は更に進んで、あちこちに日光が降り注ぎ、地面に生えている草の様子も変わっているように見える。
空気がジメジメとしていないからか、そういった空気を好む草が減り、草原でも見かけるような草が増えている……ような気がする。
また人や動物に害を与える植物やキノコは発見次第に駆除されているらしく、そういったものも見かけない。
馬に食べさせてはいけない葉をつける木や、触れるだけで肌がかぶれるキノコや木などなど……手付かずの奥深くにしか残っていないそうだ。
そんな森の中には春らしい花が数え切れない程咲いていて……その中をミツバチが元気に飛び回っている。
ミツバチの巣箱は、以前見かけた巣箱置き場以外にも設置され始めているらしい。
一箇所に固めすぎるのも良くないからと、森のあちこちにあるそうで……関所暮らしの犬人族達が見張りや管理をしてくれているそうだ。
下手をするとミツバチに刺されてしまう大変な仕事だが、アルナー達が出来るだけ刺されにくくなるようにと防具服を作ってくれているのと、あの美味しいハチミツのためならと、嫌がるどころか進んで励んでくれているようだ。
また、木々が綺麗に伐採された一画には、私の背丈を追い越すくらいに成長した木々が等間隔に植えられていて……これが秋に実をつけるかもしれない果樹畑になるそうだ。
セナイ達が言うには果物の種類ごとに適した場所に植えているとかで……これも森の各地に点在しているらしい。
そして例の美味しいキノコ畑。
これは森の奥の方にあるので、関所への道から見ることは出来ないが、日々拡張されていて、キノコも順調に増えているらしい。
……増えてはいるが、領民の増え方には追いついてないとかで、今後は貴重品になっていくのかもなぁ。
そんな森を抜けて関所に近付くとクラウス達が管理する畑が見えてきて……畑の周囲には獣用の罠が設置されているようだ。
森の中には色々な動物が暮らしている、特に多いのがシカで、次にイノシシ、そしてキツネやアナグマやクマなどなどがいるそうだ。
どれもこれも美味しい肉になるので、クラウス達は好んで狩っているようだが、動物が減りすぎるのも良くないからと、セナイ達による制限も行われているらしい。
分かりやすい例で言えば、クマやキツネを狩りすぎるとネズミやリスが増えすぎて畑が荒らされるようになる、とかなんとか。
イノシシのような食欲旺盛な動物のほうが畑を荒らすのでは? なんてことを思いもしたが、ある程度賢いイノシシのような動物は、犬人族達の縄張りの匂いを感じ取ると、そこに畑があっても絶対に近付いてこないんだそうだ。
そういう訳で罠は犬人族の匂いがしても構わず寄ってくる動物用で、狩りは寄ってこない動物達を主に狙って行っているようだ。
そんな森の中にある東側関所の食料生産量は、イルク村の二倍か三倍かといった所で……森の力の凄まじさを実感するなぁ。
世話をせずとも採れる山菜や木の実、ベリーなどもかなりの量で、それに加え森の中にある小川には結構な数の川魚がいて……それらに加えてセナイ達が世話をしている畑があってと、食料の宝庫だ。
そんな関所の食事は、クラウスの妻であり隣領出身のカニスが仕切っていて……イルク村とは食材も調理法も違う、隣領の料理を楽しむことが出来る。
香辛料をたっぷり使い、美味しさよりも保存性を優先した組み立てになっているとかで、関所に近付くだけで香辛料の匂いがしてくるくらいには、そういった食生活が染み付いているようだ。
そして久しぶりに見る東側の森の中の関所は……クラウスの手により更なる改良がされているようだ。
隣領側の壁の上部には張り出しのようなものが作られていて、壁に張り付いた相手に上から攻撃が仕掛けられるようになっている。
門も鉄などで補強されていて、門の開閉に使うためなのか滑車式の装置のようなものも作ったようだ。
更には少し前にドラゴン戦で使った攻城兵器が各所に設置されていて……一部は犬人族でも使えるように改良がしてあるようだ。
「……よくもまぁ、ここまで改良したもんだなぁ」
関所に到着し、ベイヤースの背から降り、手綱を世話係の犬人族に預けながらそう言うと、クラウスの部下のマスティ氏族の若者が元気な声を返してくる。
「全部洞人族さんにお願いしたんですよ! オレ達じゃぁここまでは無理です!
今度、門の辺りをもっと頑丈なものに改良してくれると言ってました!
木を伐る道具とか、丸太を運ぶ道具とか、洞人族さんがどんどん良いの作ってくれるんですよ!」
「ああ、なるほど……鉱山が本格稼働したおかげで改良が進んでいるのもあるのか。
これだけ立派だとドラゴンがやってきても安心だろうなぁ」
と、そう言ってから私は足元に集まってきた犬人族達のことを撫で回してやり……彼らの話に耳を傾けていく。
関所でどんな仕事をしているのか、どう頑張っているのか、自慢げに語る彼らの話を聞くのも領主の仕事で……懸命に行っている中で、ふと気付くとクラウスとピゲル爺の姿が周囲にないことに気が付く。
……どこで何をしているのだろうか? と、気になりはしたが、関所の内部……門のこちら側にはいくつもの木造の家が出来上がっていて、そのどれかで休んでいるのだろうと考え、それ以上は気にしないことにする。
それよりも今は仕事だと皆へと意識を戻し……そうしてしばらくの間、私は関所で働く犬人族まみれとなっての仕事を続けることになるのだった。
――――その頃、自宅の中で クラウス
ディアスが犬人族達の報告を受けていた頃、クラウスはピゲル爺を伴って自宅へと向かい……ピゲル爺への丁寧な礼を済ませてからの歓待を行っていた。
その正体は自らの主、忠誠を誓っていた相手ながら、言葉を交わすような機会は一度もなく……どう接したものかと困惑するばかりだったが、だからと言って接しない訳にもいかず、意を決しての行動だった。
それを受けてピゲル爺は、特に気にした様子もなく、素直に歓待を受け入れ……そしてクラウスと当たり障りのない言葉を交わしていく。
自らの本来の生業としてではなく、ただの隠居のジジイとして、なんでもない言葉を口にし続け……そうやってある程度、雑談が進んだ所でピゲル爺はこんな言葉を口にする。
「……何か聞きたいことがあったのではないのか?」
それを受けてクラウスは、手を口に当て唸り声を上げながら悩み……悩みに悩んで、今の自分が一番聞いてみたかった言葉を口にする。
「何故ディアス様を遠ざけたのですか? 遠ざけずとも王都で重用する手もあったはず……。
何故わざわざ王都から一番遠いここに?」
それを受けてピゲル爺は、そう問われることも想定内だったのだろう、淀むことなく流れるように言葉を紡いでいく。
「この地を開拓して欲しかったというのも理由の一つであるし、彼に報いたかったというのも理由の一つだが、君が望む答えはそれらではないのだろうね。
……君が望む答え、それはそれが最善だったから、になるだろうね。
救国の英雄、単騎で戦況を変えられる猛者、そんな存在が王城にいたなら、必ずや良からぬ連中が都合の良い戦力として使い倒そうとするだろう。
そして彼はそれに応えて結果を出すだろう、結果を出して出し続けて、そのうち人々は彼の王朝を望むようになる。
弱い王より強い王に……それが彼の望みならばそれでも良いが、彼はそれを望んではいない。
助けてくれと言われたから助けていたらいつのまにか望まぬ王に。
それでも彼は期待に応え続けるだろう……そしてそのうちに心と体が分離するようになる。
本当はそんなことはしたくないのに期待に応えるために体が動き続ける、休みたいのに動き続ける、やりたいことがあるのにそれが出来ない、共にいたい人の側にいることが出来ない、周囲がそれを許さない。
もし彼が王位を望むであれば、それは自らの力で成すべきなのだよ、彼の幸福を考えるのなら、彼を王城に住まうカラス達の道具にするべきではないのだよ。
遠いこの地で自らが望む形で、古臭い国を打倒する形で、若々しい新体制を築き上げるべきなのだよ。
……まぁ、未だに王国への愛着を抱いてくれている所を見ると、彼がその道を選ぶことはなさそうだが……」
と、そう言ってピゲル爺は出された森の中でとれたハーブを使った茶を飲み……ゆっくりと息を吐き出す。
そんな回答を受けてクラウスは、またも手を口に当てて悩み……悩みに悩んでから、クラウスなりの納得が出来たのか、それ以上は何も言わず、ただピゲル爺を歓待し続ける。
そしてそれはクラウスの妻であるカニスが、様子を見に来るその時まで、無言で続けられるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回は多分、西側関所のあれこれです




