ネハの料理
――――竈場で アルハル
この日の竈場は夜明けから慌ただしい空気に包まれていた。
多くの客人がやってくる、しかもネハという大切な客人が。
そのネハも料理の腕を振るうと張り切っているようだが、だからと言って何もしないわけにもいかず、アルナーの指揮の下、婦人会の面々が竈場の中を駆け回っている。
その中には当然セナイとアイハンの姿もあり、セナイ達を手伝うエイマやアルハルの姿もあり……護衛であるアルハルもこの場所なら護衛として気を張る必要もないだろうと、竈場での仕事を手伝っていた。
竈場には婦人会の面々しか立ち入らない、イルク村の住民であっても用事がなければ竈場には近付いてこない。
それは家事仕事を邪魔しないためでもあったが、湯が沸くまでの間、食材が煮えるまでの間、片付け中などちょっとした時間に婦人会の面々による愚痴大会が開かれる場所でもある竈場は、一種の聖域のような場所になっていたのだ。
妻や娘の自分に対する愚痴を聞いてしまうかも、友人知人に対する愚痴を聞いてしまうかも。
愚痴を言われるような心配がない者も、そうした息抜きの場所は大事だろうと遠慮して近付かず……ここに気軽に足を運ぶ男はディアスくらいのものだった。
ディアスに対して愚痴を言う者はいない。
ほとんどの村人がディアスへの敬意を抱いているし……アルナーは愚痴を言うくらいなら直接不満をぶつける性格で、セナイとアイハンもそれを見習っている。
それでいてディアスは鈍感というか、そういったことに気付きにくい性格なので、用事がなければやってはこないが、用事があるのなら何の躊躇もなく竈場にやってきていた。
そんな風に特定の者達しか近寄らず、見晴らしが良く、もし仮に誰かが近付こうものなら婦人会の面々の鼻がそれをすぐに捉えるので、安全なイルク村の中でも特別安全な場所が竈場だった。
そこで湯を沸かし、食材を切り、油で煮て、盛り付けて……。
今回の客人はとにかく数が多いので、竈場の全ての竈に火をつけて、出来上がった料理は次々に集会所に運ばれていく。
まずは冷めても美味しい料理から、次に温め直せる料理、そして最後に出来立てが美味しい料理という順に作ることになっていて……温め直せる料理が出来上がった頃、ドスドスと大きな足音と暑苦しい気配が竈場へとやってくる。
それを受けて作業を中断したアルハルがそちらに意識を向けると……客人のネハの姿がそこにあり、自分で用意したらしい食材を両手いっぱいに抱え、ついでに鼻で大きなカゴを持ち上げた状態で竈場へと入ってくる。
「どうも皆様初めまして、ネハと申します。
本日はアタクシ達のためにこんなにも想いを込めての料理をしていただいて、感謝の至りでございます。
……ですがただしていただくのはアタクシの性に合いません、どうかアタクシにもこの場での料理を許していただければ幸いでございます」
と、そんな丁寧な挨拶をし……竈場の主であるアルナーが返事をしてそれを受け入れたことで、婦人会の面々もネハを受け入れ、ネハが抱えていた食材を受け取り、調理用のテーブルなどに並べていく。
それらの食材はこの季節には珍しい野菜や果物などもあり、質の良さからも安くはない品だということが伝わってくる。
それを山のように積み上げて、その全てを料理に使う気のようで……一体どんな料理をするつもりなのかとアルハル達が興味津々な視線を向けているとネハは、食材には手を付けず小さな鍋といくつかの小さな壺と香辛料の入った袋を用意し、それらを煮込んでのソース作りを始める。
(まぁ、最初に味を決めるのも悪くない、のか?)
そんな光景を興味深げにアルハルが見つめていると、その視線に気付いたのかグルンッと体とひねって視線を合わせたネハが声をかけてくる。
「あら、猫人族かしら……? いえ、少し違うようね?
ならちょうど良かったわ、このソースの味を見てくださらない?
あ、そこのご婦人もお願いしますね、こちらのソースになります」
と、そう言ってネハは小皿に今作ったばかりのソースを注いでアルハルと、たまたま近くを歩いていたシェップ氏族の女性に手渡してくる。
特に断る理由もないかとアルハルは小皿のソースをちょいと舐め……好みには合わなかったのか、顔をしかめながら言葉を返す。
「ちょっと甘すぎるかな、酸味も少ない方が好きだ、まぁ不味くはないと思うよ」
「あ、わたしはこれ好きです、多分一族の皆も好きだと思います」
続いてシェップ氏族の女性もそう返して……それを受けて深く頷いたネハは「ありがとうね」と礼を言ってから、小さな鍋で作ったソースを小さな壺に入れて……また別のソースを作り始める。
(まさかそうやって全員が美味しいというソースを作るつもりか? そんなの簡単に出来ることじゃないだろ)
アルハルがそんなことを考えて訝しがっているとネハは、新しく作ったソースをアルハルだけに差し出して「味見をしてちょうだいな」なんて声をかけてくる。
「……ん、良いと思うぞ。
甘みも酸味もちょうどいいし、香辛料の風味も良い……ニャーヂェンの料理にも似た味があるな」
「うんうん、良かった良かった。
じゃぁニャーヂェン? の方々にはこれが合う料理をお出ししましょうね。
犬人族にはこちらで……あとイルク村には魚人族と鷹人族の方がいらっしゃるのでしたわね。
ああ、それと血無しの方……でも血無しの方は人間族と好みが似ているから問題はないかしら」
するとネハがそんな言葉を返してきて、それを受けてアルハルは目を丸くしながら口を開く。
「まさか人種ごとに別の味付けの料理をしているのか?!」
「もちろん!
アタクシ達の領は多種多様な獣人が暮らしているのですから、その味覚に合わせた料理をしないといけないのよ。
好きな味嫌いな味、好きな香り嫌いな香りくらいならまだ問題はないけども、人種ごとに食べて良いものいけないものもあって、そこら辺はきっちり把握しておかないと、台所を預かる身としては失格なの。
……まぁー、人種によって毒になる食べ物なんて稀だからそこまで気を張る必要はないのかもしれないけども、アタクシは嫌なのね。
……そうやって相手に気を使ってあげて理解してあげるからこそ、違う人種でも一緒に暮らしていけると思うの。
ああでも一方的なのは駄目よ、こっちばっかり気を使って理解してあげるんじゃなくて、向こうからもそうしてもらわないとね。
でも最初の一歩はこちらからってアタクシは決めているの、食は誰にとっても必要なものだから、その最初の一歩には最適なのよ。
人種が違っても国が違っても言葉が違っても、食事をしない人なんていないんだから」
「……お、おお、なるほどな。
そこまで深く考えたことはなかったが……言われてみるとその通りなのかもな」
と、アルハルがそんな言葉を返していると、話を聞いていたのか竈場の婦人会の面々がその目を輝かせ……より一層想いを込めて料理をしようとはりきり始める。
そしてアルナーが側までやってきて、アルハルの背中に手をやりながら口を開く。
「私もネハの考え方は好きだ、自分にそこまでのことをやれるかは分からないが、出来るようになりたいとは思う。
……アルハルが好きな料理や、アルハルの仲間達が好きになってくれる料理も頑張って作らないとだな」
その言葉を受けてアルハルは、思わずうんと頷いて……それからネハとアルナーが中心となって進める料理作りを懸命に手伝うのだった。




