ネハの礼拝
「改めましてご無沙汰しておりました、メーアバダル公。
メーアバダル夫人もお変わりなく……素敵な村での心沸き立つ歓迎、感謝の至りでございますわ」
元気過ぎる程に元気な挨拶の後に、大きく装飾がされた立派な馬車から犬人族の歓迎の遠吠えを浴びながら降りてきたネハが、そう言ってスカートをつまんでの一礼をし、それから大きく両手を広げる。
それは仕草から再会を喜んでの抱擁を期待してのものだと分かり、アルナーが両手を広げて応じるとネハは、なんとも愛おしそうにアルナーのことを優しく抱きしめ……結構な時間しっかりと抱きしめ、感情が高ぶったからかアルナーを持ち上げ、振り回すようにしながら抱きしめ……それから自分のやっていることに気付き、アルナーをそっと下ろしてから、長い鼻を揺らし口を開く。
「コホン、失礼いたしました。
メーアバダル公とは色々とお話もしたいしお料理もしたいし、本当に色々としたいことがあるのですけど、まずは神殿にて礼拝を済ませたいと思いますの。
エルダンちゃんのお子が元気に産まれてくれたのは大メーア様のおかげ……何よりまず、そのことに対する感謝を示さなければなりません。
……という訳でメーアバダル公、神殿までの案内をお願いしてもよろしいでしょうか」
その言葉に私が頷くとネハはにっこりと笑い……それから長い鼻を振り上げてゲラントにそれに止まるよう促し、鼻でもってゲラントを受け止めたならゲラントとあれこれ言葉を交わしながら、神殿へと向かう私の後をついてくる。
そうやってネハはゲラントから細かい報告を受けているようで……そう言えば先触れには、そういった偵察のような役割もあるんだったか。
偵察と言うと少し大げさで、ゲラントの報告は大したことのない、こちらでの日々での話ばかりで……それを楽しげに聞いていたネハは、神殿が見えてくると震わせた声を上げる。
「あれが……あれが大メーア神殿……。
なるほど、まだまだ出来たばかりといった様子、エルダンちゃんが神殿への贈り物を色々と用意しているみたいだけど……これはアタクシも何か用意しないといけませんねぇ。
大メーア様のお力に相応しいよう、もっと立派に豪華に……この大陸中にその名が知れ渡るようにしないといけません。
その神殿を一目みただけで心が震えてしまうくらいに……各地の大神殿に負けないくらいに……!」
その声にはかなりの力がこもっていて……神殿の中で来訪を待っていたベン伯父さんにも聞こえていたようで、神殿から出てきて神官らしいやや仰々しい一礼でネハのことを歓迎した伯父さんが、それに対する言葉を口にする。
「お気持ちはありがたく。
ですが外観ばかりを豪華にしても、それ相応の中身が伴わなければ意味がありませぬ。
この神殿を預かる儂も今はまだまだ修行中の身……今よりも深く神々の御心に寄り添えた時が来たなら、その時にお願いしたく」
「まぁまぁ、他の神官達に聞かせたくなる程の謙虚なお言葉、アタクシ感動してしまいますわね!
……初めましてベン様、アタクシはネハ、マーハティ公エルダンの母親でございます」
伯父さんにそう返したネハは、それから伯父さんといくらかの言葉を交わし……それから礼拝を済ませるために神殿の中へと足を進める。
足を進める間もネハはあれこれと話し続け、神殿中に声を響かせ……それにベン伯父さんが続き……私とアルナーも同席する必要があるだろうと足を進めると、石造りだからか一段と冷やされた、なんとも不思議というか清涼な空気が私達を包み込む。
壁も柱も天井も石造りで床には鬼人族達が作った絨毯、祈りを捧げるための場所として椅子が並び……左右にはいくつかの木戸。
そして絨毯が進む先……神殿の奥の奥には仮ということではあるけども、洞人族達が作ってくれた大メーアの石造りの神像があり、一体どういう仕組みなのか、その神像は不思議な光でもって照らされていた。
……外から取り込んだ太陽の光を鏡か何かでそうしているのか、神殿の中で一番明るく暖かく照らされた神像は、石造りのはずなのにどこか輝いているように見える。
そんな神殿の左右にはパトリック達が儀式用の杖を掲げながら待機していて、神像の前にはフェンディアの姿があり……フェンディアが軽く頭を下げて挨拶をすると、それまでずっと喋りっぱなしだったネハは、フェンディアに軽く挨拶をしてから深く息を吸い……パタリと喋るのを止めて神像の前に足を進め、跪いて祈り始める。
後ろからでは見えないが恐らくは目を閉じているのだろう……両手を胸に当てて頭を下げて、先程までの賑やかさはどこへ行ったのかと思うくらいに静かに祈り……その祈りは結構な長時間となる。
それだけ神々に伝えたい言葉というか想いがあるのだろう……長い祈りに口を挟む者はなく、私もアルナーも、神殿の皆も……ネハの鼻に止まったままのゲラントも、護衛ということでついてきた犬人族達も静かに祈りが終わるのを待つ。
そうしているとネハから鼻をすするような音が聞こえてきて……どうやら感極まってしまっているようだ。
それだけ孫の誕生が嬉しかったのだろう……もしかしたらエルダンが病気を克服したこともその感動に含まれているのかもしれない。
そうこうしているうちに涙がこぼれたようで、側に控えていたフェンディアがハンカチを取り出しネハに差し出し……それを受け取ったネハが涙を拭い、立ち上がったことで祈りの時間が終了となる。
「……本当に、本当に大メーア様には感謝しかございません。
アタクシの後悔も不安も恐怖も全て洗い流してくださって……この気持ちを言葉や祈りだけで表すことは難しいでしょう。
ですからここからは行動でもってその想いを皆様に伝えさせていただきたいと思います!
まずはお料理! アルナーちゃんも色々と用意してくださるみたいですけど、アタクシも色々用意してきましたの!
以前メーアバダル公に楽しんで頂いた料理や新作もお披露目させていただきます!
それと贈り物! アタクシに可能な限り色々揃えてきましたが、きっとまだ足りない……いえ、マーハティにある全てをかき集めてもこの気持ちを表すには足りないかもしれません。
ですからこちらを……この特別な品をメーアバダル公に贈りたいと思います!」
最初の丁寧さはどこへやら、段々とネハらしい口調になり声も大きくなり……身振り手振りも大きくなった結果、鼻に止まっていたゲラントはかなり激しく振り回されてしまう。
ネハの言葉云々よりも振り回されるゲラントのことが心配になってしまって、そちらに目を奪われていると……ネハはドレスの中、腹の辺りに入れていた袋を取り出し……その中身をゴソゴソと取り出し始める。
それはかなり大きめの金の指輪だった。
……いや、大柄なネハや象人族が使うのなら普通の大きさなのか?
そしてその金の指輪にはかなり目立つ模様の、牙を持つ獣の印象があり……そんな指輪をネハは私に差し出してくる。
「こちらはアタクシが故郷から持ってきたもの。
あの男に奪われていましたが、エルダンちゃんが取り戻してくれたもの……そしてきっとメーアバダル公のこれからの力になってくれるもの。
アタクシにはもう必要ないものですので、どうか受け取ってくださいまし」
「……いや、その気持ちは嬉しいが、そんな大きな指輪は私の指には合わないだろうし、それはネハにとって大切なものなのだろう?
エルダンとの思い出の品でもあるのだろうし、受け取る訳には……」
と、私がそう返すとネハは、柔らかく微笑み……そしてすごい力で私の手を取り、半ば無理矢理に指輪を握らせてくる。
「良いのです、良いのです。
今のアタクシにはエルダンちゃんとお嫁さん達とそのお子達という何よりの宝があるのですから。
それにアタクシはもうあの国には戻るつもりはありませんの……だからこれも必要ないのです。
ですがメーアバダル公にとってはご近所となってしまう訳ですし、きっとこの指輪が助けになってくれるはずです。
先祖代々伝わっているだけの古い指輪ですが、どうかどうか、受け取ってくださいまし」
そう言ってネハは、物凄い……本気の私でも抗えないかもしれない力で指輪を押し付け、そしてアルナーの手を取り……料理をするつもりなのか神殿の外へと駆けていく。
そうして神殿に残された私は伯父さんや結局振り落とされてしまったらしいゲラントの方を見て、どうしたものかと表情でもって問いかける。
すると伯父さんは何も言わず肩をすくめてからネハ達の後を追いかけていき……そしてゲラントは、私の腕に飛んできて居住まいを正し「コホン」と咳払いをしてからクチバシを開く。
「……我輩もその指輪を見たのは初めてのことでして、どんな価値があるものかは分かりませんが、ああ見えてネハ様はとても賢く慎重なお方……浅慮短慮で決めたことではないはずです。
あのお言葉の通り、メーアバダル公のお力となってくれるはずですので、どうか受け取っていただければと思います。
それでもご心配とあれば我輩がエルダン様にこの件をお伝えしておきますので、エルダン様の判断を待つという手もございますが……」
「うぅーむ……そういうことならエルダンに報告してもらえるか?
それまでは私がこの指輪を預かるということにしておくとしよう。
……まぁ、そもそも、これが何なのかいつどこで使ったら私達の力になるものなのかも分からないままなのだが……。
せめてその辺りのことを教えてもらえると助かるのだがなぁ……」
と、私が返すとゲラントは「ネハ様ですので……」と、それだけを返してきて、それ以上は何も言わずクチバシを閉じる。
そんなゲラントの態度を受けて私は小さなため息を吐き出してから、懐に金の指輪をしまい込み……それからひとまず広場に向かうかと、神殿を後にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回はこの続き、ネハとアルナーのあれこれなどなどの予定です