過日、丘陵地帯の逆転劇 その4
――――天幕の下で 帝国軍指揮官
ディアスがいない、見つからない、どこで何をしているかが分からない。
そのことは指揮官を大いに苦しめることになったが……それからの出来事も指揮官に更に苦しめることになった。
まず偵察兵が次々に捕獲され始めた、熟練の偵察兵が不足し、未熟な者達まで導入することなり、それすら捕獲され……王国軍が露骨なまでにディアスを探されることを嫌がっているということが伝わってきた。
であればこそと、どうにか情報を手に入れたいのだが、どれだけの手を尽くしてもそれが出来ず……とにかく情報を得てから動くべきだと考えていた指揮官は本当にこれで良いのかと苦悩しながら、軍を停滞させ続けることになる。
すると今度は敵陣地の周囲だけでなく、北の一帯や南の一帯にまで枝付きの木材が積み上げられ始め……明らかに包囲を警戒しているだろう王国軍のその行動は、指揮官への味方からの突き上げを強くしてしまった。
すぐにでも行動すべきだ、敵の陣地はどんどん強化されている、北、南、東からの包囲が成らなくなるかもしれない、手遅れになってからでは遅いのだ……などなど。
仮にどれだけの木材が積み上がったとしても数の差は圧倒的、じっくり木材を撤去しながら包囲をしていけば良いだけだと指揮官は懸命に味方を説得したが……未だにディアスを見つけられないこと、ディアスがどこで何をしているかが分からず、その不安もあってか味方の士気がじわじわと低下していくことになる。
……それでも指揮官は動かなかった、焦って行動することこそが相手の思うツボだと考えて耐え続けた。
そうしていると捕らえられていた偵察兵達が敵陣から脱走、無事に帰還するという出来事が複数回あったのだが……これらも指揮官を苦しめることになる。
彼らは偵察兵だ、捕獲されながらも情報収集に務めていて……捕獲されていた敵陣の情報など、様々な情報を持ち帰ってきたのだが……それらの情報に統一性が全くなかったのだ。
曰くディアスは負傷して王国本土に帰還した、曰くディアスは女に夢中になって後方にある街に入り浸っている、曰くディアスは奇襲をしようと帝都に向かっている……いや、こちらの陣地に今まさに迫っている。
敵兵の会話を盗み聞いたりなどして手に入れたらしい情報は、明らかに意図的に偵察兵達に与えられたもので、指揮官はすぐさまそれを看破し、敵の仕掛けた罠であり動揺を狙っての工作であると断言した……が、味方の動揺の全てを消し去ることは出来ず、更に士気が低下していってしまう。
普段であればそんなことにはならないのだが、軍全体の人数が今までにない程に多く、北と南と本陣と部隊を分けていることが災いしてしまった。
指揮官の管理能力を超えてしまっている、指揮官の目と声が隅々まで届かない、指示が行き届かない……。
それを良いことに声だけ大きい、妄想家のような連中があれやこれやとあり得ないようなことを吹聴して回っていて……それをディアスがどこにいるか分からないという状況が悪化させてしまい、内部のあちこちに変な噂が広がり、動揺が大きくなり……精鋭だったはずの大軍が烏合の衆と化していく。
このままではいけない、どうにかしなければいけない、そう思い焦りの気持ちが大きくなりはするが……どうして良いか分からず、指揮官の苦悩が限界を越えようとした時だった、予想外の朗報が指揮官の元に飛び込んでくる。
偵察兵の一人が、奥地にある陣地から脱走してきた、その偵察兵を捕らえたのはなんとディアスで……ディアスの居場所がこれで確定した。
それだけでなくその偵察兵は多くの情報を持ち帰ってくれた。
ディアスは奥地……王国軍から見て後方の陣地で新兵達の調練をしており、敵の工作はそれが完了するまでの時を稼ぐためのもので……ディアスの下には数万を越えるだろう新兵達がいる。
これまでディアス達が丁寧に陣地を構築し、物資の管理に気を配っていたのは、それだけの援軍がやってくるからで……このままディアス達の好きにさせてはいけない。
そんな報告を受けて指揮官は大いに喜んだ……が、その報告全てを盲信することはなく、その偵察兵と直接顔を合わせて時間をかけて話を聞き……一つ一つの情報をどこで手に入れたか、どれだけの確度があるものかを丁寧に確かめていった。
まずディアスがいるという陣地の位置は確定した、丘陵地帯の向こうのかなりの後方……そこから自らの足で逃げてきたのだから、この点に関しては疑いようがない。
ディアスがそこにいることも確定した、何しろ偵察兵を捕らえたのがディアス本人であり、その際に言葉も交わしていて……変装などの可能性も排除出来た。
新兵の調練をしているという点に関しては……調練の際に発せられる音や声を木組みの簡易牢の中で聞いてはいたが……簡易牢が幕屋の中にあったため、その様子を目視することは出来なかった。
音や声からしてかなり激しい調練を行っていたことは確かなようだ。
新兵の人数に関しては王国兵の会話などから推察したものであり……実際にその目で確かめた訳ではない、ディアス達の目的もそれらからの憶測だ。
「……逃亡の際に陣地の規模を目にしたのだろう? 幕屋や宿舎の数を確認したのだろう? それらはどの程度だったのだ?」
天幕の下、逃げてきた偵察兵を前に指揮官がそう問いかけると……偵察兵は首を左右に振ってから言葉を返す。
「いえ、簡易牢を組み縛っていた縄のほつれに気付き、破ったのが夜のことでしたので……。
簡易牢を出るなりディアスに勘付かれ、凄まじい殺気でもって追い回され……かなりの数の篝火が広範囲に広がっていたのだけは目視しましたが……それ以上のことは……。
ただ、あれだけの篝火の規模となると、3万4万の敵兵があそこにいたとしても驚きはしないでしょう」
「そうか……」
そう返して指揮官は考え込む。
王国が3万4万の兵を集めることは……可能だろう、農民などを徴兵したならそれだけの数になるだろうし、わざわざディアスを後方に下げ、調練をさせている理由もそれなら納得出来る。
徴兵しただけの農民など戦場ではただの役立たずだ、しかしディアスも元々はその役立たず……国を思って声を上げた若く未熟な志願兵だったという情報は、捕虜などから得て周知の事実であり……長い戦争の中で成長を続け、ああ成ってしまったディアスに農民達を調練させるというのは、これ以上なく理に適っているだろう。
正規兵が調練するよりも効果的であることは明白で……あの悪辣な軍師の思惑もこれではっきりしてくる。
つまりあの軍師はあの陣地を守る気などないのだ、出来るだけ時間を稼ぎ、積み上げた枝付きの木材などでこちらを足止めするつもりで……こちらに攻められた瞬間に撤退、後方のディアスと新兵と合流した上で、こちらを上回る数でもっての逆襲を仕掛ける気なのだろう。
その策が成ればこちらの被害は甚大、帝国軍大敗との報を耳にしたなら崩壊しつつある他の王国軍が息を吹き返してしまうかもしれず、それらから逆包囲されたとなったら……帝国史に残る大敗北となることだろう、先の低地の敗北など比較にならない程の大敗北だ。
ああ、ようやく全てが見えてきた、黒い霧に覆われていた視界がはっきりとし、広がり……どうしたら連中に勝てるのかが分かってきた。
まずあの軍師達を撤退させてはいけない、北と南と東だけでなく西からの包囲もしなければならない、その上で軍師や副官を捕らえるなり死傷させるなりし……ディアス達を大いに動揺させなければならない。
動揺させ士気を下げさせ……ディアスとの直接戦闘をなるべく避けるようにしながら数だけ多い新兵達を焦らずゆっくり、確実に減らしていき、他の王国軍が立て直しを行えないようそちらにも手を回し……新兵達を全滅させる。
あの軍師や副官を失えば、ディアスの軍の戦力は激減することだろう……ディアス個人の強さはそのままかもしれないが、軍としては使い物にならなくなるはず。
そうなったらもうディアスを相手にする必要はなく……適当にあしらうなり追い払うなりしたらそれで良い。
あれを討ち取ろうとして無駄に戦力を消耗するよりも、さっさと王国に帰ってもらい……敗戦濃厚となった王国の立て直しに尽力してもらった方が良い。
何しろ3万4万もの農民を失ったなら、王国はもう戦争どころではないはずだ、すぐさま降伏するに違いない、交渉の席ではどんな悪条件でも飲むに違いない……王国に勝てたならそれで良いのだ、あの化け物のようなディアスをわざわざ相手する必要など微塵もない。
そう考えて指揮官はすぐさま信頼出来る者達を天幕に集め、その考えを共有する。
共有し、自分の考えに間違いがないか、見落としがないかをその者達にしっかりと確認してもらい……その上でよく相談をし、今後の方針を決めていく。
まずは戦力を再編する、北を7000、南を7000とし、敵後方に回り込む急襲軍6000を編成、東は5000のままで包囲を敢行……あとは指揮官の考え通りに行動し、勝利するだけ。
ディアスがどこにいるのかや、その目的がはっきりしたことで帝国軍の士気はいくらか盛り返すことが出来て、再編も問題なく完了し……そして間をおかずに騎兵を中心とした急襲軍による全力で駆けての裏回りが敢行された。
軍師達がこちらに気付いて撤退する前に……動き出す前に退路を断つ。
そのために装備は出来るだけ軽くし、余計な物資も持たせず、とにかく機動力だけを重視した。
そして……急襲軍が行動を開始してから3日後、指揮官の下に満身創痍といった様子の伝令が駆けてきて、裏回りが成功したのか失敗したのか、その報告が成される。
「き、丘陵地帯を越えた先は近くの小川が氾濫したのかぬかるんでおり、それで策を成そうと進んだ所、泥の中に木材が埋めてあったり、縄張りがしてあったりとして多くが落馬……!
そこにディアス率いる少数兵が奇襲を仕掛けた結果……急襲軍は散り散りになってしまい、どれだけの数が帰還出来るか……自分には分かりません!!」
「大雨が降った訳でもないのに川が氾濫してたまるか……!
王国軍の工作に決まっているだろう……何故それに気付かなかった? 何故足を止めなかった……?
いや、そんなことよりもディアスめ……少数、少数だと……? 最初から大軍などいなかったのか……? 500かそこらの増援しかなかったがためにこんな回りくどいことをしたのか……??
さ……さっさと攻めていればこんなことには……!!」
天幕の下に置かれた机を怒りのままに振り下ろした拳で叩き割った指揮官は、残る戦力での総攻撃を決断する。
6000を失い……合計1万9000、それに対する王国軍は恐らく1500前後。
10倍以上の差がある以上、敗北はない。
ディアスはどうにもならないかもしれないが、他を圧殺することが出来る……それからディアスを追い払えば良い。
……と、そう考えての決断だったのだが指揮官は見落としていた、自分が率いる5000対ディアスが率いる1500だけの戦いとなってしまったなら、自分達が圧倒的に不利なことを……。
その上、ディアス達の実際の数は2000と少し、装備も物資も士気も充実している、完璧な状態の2000と少し。
一切の枷のないディアス達であればその程度の差であれば余裕で覆してくる……何度も何度も何度も、この戦争の中で帝国軍がそうされてきたということを、指揮官は怒りと絶望と恐怖のあまり失念してしまっていた。
そうしてジュウハの策に見事にハマってしまった指揮官は、ジュウハの思惑通りに総攻撃を仕掛けることになり……更にジュウハの策にハマってしまい抜け出せなくなってしまい……結果5000対2000という、どうしようもなく不利な戦いを強いられることになってしまうのだった。
お読みいただきありがとうございました。
次回こそ決着とエピローグになる予定です。




